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第八話、もう一人の存在

 ルーカスの姿が見えなくなると、ティアナは部屋に戻り、改めて室内を見渡した。

 こんなに可憐な部屋が、自分に用意されたものだなんて、ティアナはまだ信じられなかった。


「管理を任されているということは、ここのデザインもあなたが?」


 ティアナが振り返ると、すぐ後ろに立つカルラの表情が僅かに曇った。


「いえ……それは違いますが、ここの掃除やお客様のお世話は私が勤めています」

「お客?」

「はい、ここは騎士たちの関係者……主に恋人や奥様が来られた時に利用しているのです。セレステッタ騎士団に入団した者は皆、様々な場所からここに移り住んでいますから」


 住み込みで鍛錬に励んでいる騎士たちと、そのパートナーにとって、ここは癒しの空間のようだ。

 遠く離れた愛しい人と会える場所、ホテルのような作りになった地下室は、本当に宿泊施設として使われていた。


「なるほど……」

「私自身も、かつてはその客人の一人でした。夫が団員でしたので……」


 少し寂しげに話すカルラに、ティアナは彼女の経緯を悟る。

 カルラは夫が団員『でした』と言った。

 つまり、今はもう、存在していないということだ。


「そう……それで、ここのメイドを?」

「はい、最後まで旦那様にはよくしていただきましたので、少しでも報いたく申し出ました」


 カルラの夫はイザークを尊敬し、自分の意思で仕えた末、人生の幕を下ろした。

 それをよくわかっているカルラは、夫が生きた世界を、影ながら支えたいと思ったのだ。

 もちろんカルラの夫の鎧も、例の通路に保管されている。


「……あなたのような奥様を持って、旦那様は幸せだったでしょうね」


 ティアナの心からの言葉に、カルラは垂れ目をハッと開いた。

 どれだけ月日が流れても、大切な人を失った傷は完全に塞がることはない。

 だからこんな優しい言葉をかけられ、嫌な気持ちになる人間はいないだろう。


 ――なんと思いやりのある王女様なのでしょう……。


 イザークに王女の侍女を任された時は、どうなることかと不安もあったが。

 カルラは仕える相手が、ティアナでよかったと思った。


「それにしても、みんなとても優しいのね。私はてっきり、もっとひどい目に遭うかと……」

「旦那様から命じられているのですよ。人質とはいえ女性に変わりないので、粗末な扱いはするなと」


 今度はティアナが目を開いて驚く番だった。

 イザーク自身は、王女相手にお前呼ばわりで敬語も使わなかったのに、裏でそんな優しい指示を出していたとは意外すぎる。


「あのお方が、そんなことを……」

「旦那様はああ見えて、女子供には優しいのですよ、なので地下に部屋を作られたのです、なにかあった時は、ここが一番安全ですから」


 カルラの台詞に、ティアナはさらなる衝撃を受けた。

 地下室は閉じ込めるための手段ではなく、むしろ身を守るための安全な場所だった。

 確かに、嵐が来ようが槍が降ろうが、地下が打撃を受けることはない。

 だから部外者には秘密なのかと、ティアナは地下室の深い意味を理解した。


「まあ……ジェントルマンなのね」

「そうですね……団員たちには鬼のようですが」

「あら、そうなの?」

「ええ、それはもう……」


 真剣な顔をするカルラと、ティアナはしばし見つめ合う。

 そしてどちらからともなく、ふっと吹き出して笑い合った。

 年齢も境遇も違うが、ティアナはカルラの落ち着いた雰囲気に安堵していた。

 それからティアナは、室内をゆっくりと歩いて見回り、やがて丸いテーブルの椅子に腰かけた。


「なにかお茶をお淹れいたしましょうか?」


 席に着いたティアナを見て、カルラがすかさず尋ねる。

 こういったやり取りに慣れていないティアナは、嬉しくも少しソワソワする。

 宮殿ではもっぱら清掃担当だったティアナは、他の家事については必要最低限の経験しかない。そのため、お茶の種類にも詳しくないので、カルラに任せた方がいいと考えた。


「ありがとう、好き嫌いはないから、カルラのオススメをお願い」

「かしこまりました」


 快く聞き入れたカルラは、ティアナに頭を下げた後、部屋を出てドアを閉めた。

 密室に一人なったティアナは、ふぅと一息つく。

 ここまで上手くやれているか、まったく自信はないが、とりあえず部屋まで辿り着けたことに一安心した。

 それにしても、お茶を淹れてもらうなんて、一体いつぶりだろう。

 母が元気な時は出してくれたが、それはもう十年以上前の話だ。

 まだ小さかったティアナに、母はよく温かいミルクを用意してくれた。

 ティアナが懐かしい当時に思いを馳せていると、ふと、どこからか物音がした。

 ティアナは座ったまま、不思議そうに周りを確認するが、特に変化はない。

 静まり返った部屋で、ティアナは顎に片手を添え、考える姿勢を取る。

 単なるティアナの気のせいだったかもしれないし、カルラが作業している音かもしれない。

 しかし、ティアナは自分とカルラの他に、誰かがいる可能性を考えた。

 そしてそれは、単なる勘ではなかった。


 ――コンコン。


 やがてドアがノックされると、ティアナは「どうぞ」と返事した。

 すると開いたドアから、トレーを片手に持ったカルラが入ってくる。

 彼女はティアナに歩み寄ると、テーブルにトレーを置いて、ソーサーつきのカップを並べた。そしてティーポットを持ち上げると、カップに紅茶を注ぎ始める。


「……カルラ、今、誰かおいでなの?」

「いえ? 今は『お客様』はおられません。そもそも地下室には誕生日などの記念日くらいにしか招待できませんので、そんなに頻繁には使われないのです」


 ここまではカルラも、冷静に答えるだけだったが。


「なら、今ここにいるのは、私とあなただけ?」


 ティアナの質問に、カルラの紅茶を注ぐ手が止まった。

 その反応を見たティアナは、ああ、なるほどねと、やけに納得した。

 地下室をこんなに可愛らしくデザインして飾り立てた人物。

 騎士たちやカルラでないなら、他に女性がいるということだ。

 カルラが『お客様』はいないと言ったことから、客の立場ではなく、ここに住んでいることがわかる。

 一番安全な地下に囲う女性、ティアナには紹介できない相手……それらが指し示すことを、ティアナは素早く理解した。


「……あの」

「いいのよ、カルラ、今のは忘れて」


 口籠るカルラに、ティアナはニッコリと余裕の笑みを向ける。

 カルラの立場上、それを口にはできないと察したからだ。


「そんなことよりも、一緒にお茶しましょう」

「え……? ですが……」


 ティアナの向かい側には、もう一脚椅子が置いてあるので、二人で座ることができる。

 しかし、メイドとして働いているカルラは、意外な誘いに戸惑った。


「一人じゃつまらないもの……でも、無理にとは言わないから、大丈夫よ」


 遠慮がちに誘うティアナに、カルラは断る理由が思いつかなかった。


「……では、お言葉に甘えて」


 カルラは控えめに微笑みながら、ティアナの誘いを受けた。

 ティアナは温かな紅茶を口に含みながら、イザークの顔を思い浮かべる。


 ――イザーク様、あなたには他に好きな女性がいらっしゃるのね。かしこまりました。私は決して、邪魔をいたしません。


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