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第十一話、衝動(前編)

 ルーカスがある可能性に気づき始めた頃、イザークはすれ違う騎士たちに目もくれず、城内を駆け抜けていた。

 二階の廊下から階段を下り、一階のエントランスを過ぎると扉から外に出た。

 するとすぐに右に曲がり、城壁との間にできた砂地を突き進む。

 この城は六角形なので角が多く、道を曲がるまでその先は見えない。

 イザークは二個目の角を曲がったところで足を止めると、今まで急いでいたのが嘘のように、冷静な足取りで歩き始めた。

 先ほど二階の書斎から見えた景色、その場所に辿り着いたイザークは、目当ての人物を視界に捕らえた。


「おい、なにをやっているんだ」


 声をかけられた二人は一度に顔を上げ、イザークを振り向いた。

 一人は城壁近くに立ったメイド服姿のカルラ。もう一人は砂地に蹲るようにして座っているティアナだった。


「あっ……イザーク様……!!」


 イザークの姿を見つけるなり、ティアナは目を輝かせて立ち上がった。

 すると、ティアナの動きに合わせ、水色のロングヘアーがふわりと揺れる。

 晴天の空の下、ティアナの姿を前にしたイザークは、目を見開いて動きを止めた。

 固まっているイザークに、無邪気に駆け寄るティアナ。近くで向かい合うと、身長差から自然とティアナが上目遣いになる。


 ――ドキッ。


 イザークは胸に手をあて、服をクシャリと握りしめた。

 まただ、とイザークは思う。

 初めてティアナと対面した時にも、こんなふうに心臓が弾むような感覚に見舞われた。


「どうなさったんですか? こんなところでお会いするなんて」


 小首を傾げて聞くティアナに、イザークはハッとする。

 そして気づく。その質問の答えを持ち合わせていないことに。


 ――どうなさったんですか、だと……? そんなこと、俺が一番聞きたい……。


 イザークは今になって、自分の行動の不可解さを知った。

 ティアナを見つけて部屋を飛び出し、一目散にここまでやって来た。

 本来は、この時間は闘技場に向かうはずだったのに、それよりもティアナに会うことを優先したのだ。

 なぜ、そんなことをしたのか。

 意味がわからないイザークは、自分自身が理解できず戸惑った。

 しかし顔は相変わらずクールなままだ。あれだけ走ってきたのに息一つ乱れていない。さすが最強騎士団を率いる団長だけのことはある。


「……二階の書斎から姿が見えたんだ」

「えっ? ではわざわざ会いに来てくださったのですか?」

「なっ……」


 金の瞳を見開いて言葉に詰まるイザークに、期待に満ちた目を向けるティアナ。

 くりくりとした青い瞳を直視できなくなったイザークは、思わず視線を逸らした。 


「お前が怪しい動きをしているから偵察に来ただけだ、断じて好きで会いに来たわけではない」


 目を合わさずに早口で説明するイザーク。その様子に違和感を覚えたカルラは、不思議そうにイザークを見た。まるでここに来る言い訳をしているように感じたのだ。

 しかし素直なティアナは、イザークの言葉をそのまま受け止める。


「そうだったのですか、それは……ご面倒をおかけして申し訳ありません」


 ティアナは期待が消えた瞳を伏せ、明らかに肩を落とした。

 イザークはチラッと横目でティアナを窺うと、その悲しげな表情に胸がズキンと痛む。


 ――なんなんだ、この妙な感覚は……。


 今までどんなに人を斬っても、罪悪感を覚えたことがなかったのに、なぜティアナの顔色一つでこんなに胸が痛むのか。

 イザークは自身の中に生まれた、得体の知れない感情に戸惑っていた。

 かける言葉が見つからないまま、イザークはゆっくりと改めてティアナと向き合う。

 するとティアナが前で重ねた両手が目に入った。

 ずいぶんと土で汚れている。不思議に感じイザークが視界を広げてみると、ティアナの後方、砂の地面が耕されたように凸凹になっていた。そしてその近くには、抜かれた雑草が集められている。

 その状況を見たイザークの脳裏に、ある一つの可能性が浮かんだ。

 いや、しかし、いくらなんでもと、否定する気持ちがせめぎ合う。


「……で、これはどういう状況なんだ?」


 イザークは顎に手をやりながら、まさかという思いでティアナに問いかけた。

 するとティアナは顔を上げ、胸の前で両手拳を作り元気いっぱいに答える。


「これは……ええと……草抜きをしておりました!!」


 イザークの秀麗な顔が、石のようにピキッと固まった。

 草抜きをしているようにしか見えない。いや、だが、相手は王女。そんなことをするわけがない。バカげてる……。

 そんな己の予想が的中したイザークは、次の反応を示すまで時間を要した。

 素直すぎるティアナに、顎に手を置いたまま黙り込むイザーク。

 耕した土よりも凸凹な二人に、見かねたカルラが口を出すことにした。


「……申し訳ございません、旦那様、すべては私の責任でございます。奥様がお忙しい旦那様や団員たちのために、なにか役立つことはできないかと、とても熱心にお願いされ、ついに折れてしまいました」


 謝罪しながらイザークに深々と頭を下げるカルラ。そんな彼女を見たティアナは、ギョッとして急いで自分も頭を下げた。


「も、申し訳ありませんっ、悪いのは私でございます! カルラは何度も止めたのですが、私がわがままを言ってしまったので……だからカルラを叱らないでください!」


 ティアナの台詞に今度はカルラの方がギョッとして顔を上げる。


「なにをおっしゃるんですか」

「だって本当のことだもの!」


 止めようとするカルラに、ティアナも顔を上げて負けじと応戦する。


「メイドの私が悪いに決まっております、どこの世界に使用人を庇う王女様がいらっしゃるのですか」

「身分なんて関係ないわ、悪いことをしたら謝るのは当然でしょう!」


 その言葉はカルラだけではなく、イザークにも刺さった。

 身分に関係なく、悪いことをしたら謝るべき――。

 そんなことを言う王侯貴族が、この世に存在するのかと、イザークは自身の耳を疑った。

 そして深読みした。物分かりがいいふりをして、貧民出身のイザークを取り込もうとしているのではないかと。


「……俺たちの役に立ちたいだと? そんなことをして媚を売ったところで、なんの得もないぞ」


 イザークの黄金の瞳が、鈍く光ってティアナを睨みつける。

 長年の付き合いであるカルラも、息を呑むような迫力。しかし、カルラは黙って見過ごすわけにはいかない。一週間生活をともにしただけでも、ティアナを慕うには十分だったからだ。


「旦那様、そのような言い方は……」

「いいのよ、カルラ、私がイザーク様の立場だったら、同じことを思ったかもしれないわ」


 ティアナは軽い口調でそう言うと、ニコッと笑ってカルラを制した。

 勇気を出してイザークに物申したカルラは、ティアナの落ち着いた対応に肩の力が抜けた。

 ティアナはカルラからイザークに視線を移すと、真剣な面持ちで彼を見上げた。


「イザーク様、お会いできてよかったです、お礼を申し上げたいと思っていたので」

「礼……だと……?」


 イザークが脅したというのに、ティアナからは恐怖も嫌悪も感じられない。

 むしろその逆と言える……好意的で真っ直ぐな瞳がイザークを見つめていた。


「はい、私はあの父の娘ですし、人質としてここにやって来たわけです。なのでひどい仕打ちを受けるだろうと、覚悟していました。ですが、あのように綺麗な部屋を与えてくださり、優しい侍女までつけてくださいました。食事も美味しいですし、いつも身支度も整えてくれて……何不自由ありません、本当にありがとうございます」


 ティアナは美しい姿勢でハッキリと伝えると、羽が舞うようにふわりと微笑んだ。


 ――トクン……。


 再びイザークの胸から、少女漫画のような擬音が出た。

 なにがなんだかよくわからないが、とりあえず、胸が騒がしいのはティアナのせいだ、ということだけは認識する。


「ですから、なにか私にもできることをと思い、こっそり庭を綺麗にしようと――」


 ふと、ティアナは言葉を切って目を丸くした。

 片手で目を覆うようにしたイザークの顔色が、おかしくなっていることに気づいたからだ。


「イザーク様? どうなさったんですか!? お顔が赤い気がしますわ、もしやお熱がおありで!?」


 本当の理由など見当もつかないティアナは、単純に体調不良を心配して気遣う。

 しかしイザークは健康そのもの。それなのに顔が熱いのはなぜなのか。

 納得できる理由など存在するはずがないと思ったイザークは、無理やり気のせいということにした。

 そして団員たちのむさ苦しい肉体を思い出し、クールダウンした後に目を覆っていた手を外した。


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