ルーカスがある可能性に気づき始めた頃、イザークはすれ違う騎士たちに目もくれず、城内を駆け抜けていた。
二階の廊下から階段を下り、一階のエントランスを過ぎると扉から外に出た。
するとすぐに右に曲がり、城壁との間にできた砂地を突き進む。
この城は六角形なので角が多く、道を曲がるまでその先は見えない。
イザークは二個目の角を曲がったところで足を止めると、今まで急いでいたのが嘘のように、冷静な足取りで歩き始めた。
先ほど二階の書斎から見えた景色、その場所に辿り着いたイザークは、目当ての人物を視界に捕らえた。
「おい、なにをやっているんだ」
声をかけられた二人は一度に顔を上げ、イザークを振り向いた。
一人は城壁近くに立ったメイド服姿のカルラ。もう一人は砂地に蹲るようにして座っているティアナだった。
「あっ……イザーク様……!!」
イザークの姿を見つけるなり、ティアナは目を輝かせて立ち上がった。
すると、ティアナの動きに合わせ、水色のロングヘアーがふわりと揺れる。
晴天の空の下、ティアナの姿を前にしたイザークは、目を見開いて動きを止めた。
固まっているイザークに、無邪気に駆け寄るティアナ。近くで向かい合うと、身長差から自然とティアナが上目遣いになる。
――ドキッ。
イザークは胸に手をあて、服をクシャリと握りしめた。
まただ、とイザークは思う。
初めてティアナと対面した時にも、こんなふうに心臓が弾むような感覚に見舞われた。
「どうなさったんですか? こんなところでお会いするなんて」
小首を傾げて聞くティアナに、イザークはハッとする。
そして気づく。その質問の答えを持ち合わせていないことに。
――どうなさったんですか、だと……? そんなこと、俺が一番聞きたい……。
イザークは今になって、自分の行動の不可解さを知った。
ティアナを見つけて部屋を飛び出し、一目散にここまでやって来た。
本来は、この時間は闘技場に向かうはずだったのに、それよりもティアナに会うことを優先したのだ。
なぜ、そんなことをしたのか。
意味がわからないイザークは、自分自身が理解できず戸惑った。
しかし顔は相変わらずクールなままだ。あれだけ走ってきたのに息一つ乱れていない。さすが最強騎士団を率いる団長だけのことはある。
「……二階の書斎から姿が見えたんだ」
「えっ? ではわざわざ会いに来てくださったのですか?」
「なっ……」
金の瞳を見開いて言葉に詰まるイザークに、期待に満ちた目を向けるティアナ。
くりくりとした青い瞳を直視できなくなったイザークは、思わず視線を逸らした。
「お前が怪しい動きをしているから偵察に来ただけだ、断じて好きで会いに来たわけではない」
目を合わさずに早口で説明するイザーク。その様子に違和感を覚えたカルラは、不思議そうにイザークを見た。まるでここに来る言い訳をしているように感じたのだ。
しかし素直なティアナは、イザークの言葉をそのまま受け止める。
「そうだったのですか、それは……ご面倒をおかけして申し訳ありません」
ティアナは期待が消えた瞳を伏せ、明らかに肩を落とした。
イザークはチラッと横目でティアナを窺うと、その悲しげな表情に胸がズキンと痛む。
――なんなんだ、この妙な感覚は……。
今までどんなに人を斬っても、罪悪感を覚えたことがなかったのに、なぜティアナの顔色一つでこんなに胸が痛むのか。
イザークは自身の中に生まれた、得体の知れない感情に戸惑っていた。
かける言葉が見つからないまま、イザークはゆっくりと改めてティアナと向き合う。
するとティアナが前で重ねた両手が目に入った。
ずいぶんと土で汚れている。不思議に感じイザークが視界を広げてみると、ティアナの後方、砂の地面が耕されたように凸凹になっていた。そしてその近くには、抜かれた雑草が集められている。
その状況を見たイザークの脳裏に、ある一つの可能性が浮かんだ。
いや、しかし、いくらなんでもと、否定する気持ちがせめぎ合う。
「……で、これはどういう状況なんだ?」
イザークは顎に手をやりながら、まさかという思いでティアナに問いかけた。
するとティアナは顔を上げ、胸の前で両手拳を作り元気いっぱいに答える。
「これは……ええと……草抜きをしておりました!!」
イザークの秀麗な顔が、石のようにピキッと固まった。
草抜きをしているようにしか見えない。いや、だが、相手は王女。そんなことをするわけがない。バカげてる……。
そんな己の予想が的中したイザークは、次の反応を示すまで時間を要した。
素直すぎるティアナに、顎に手を置いたまま黙り込むイザーク。
耕した土よりも凸凹な二人に、見かねたカルラが口を出すことにした。
「……申し訳ございません、旦那様、すべては私の責任でございます。奥様がお忙しい旦那様や団員たちのために、なにか役立つことはできないかと、とても熱心にお願いされ、ついに折れてしまいました」
謝罪しながらイザークに深々と頭を下げるカルラ。そんな彼女を見たティアナは、ギョッとして急いで自分も頭を下げた。
「も、申し訳ありませんっ、悪いのは私でございます! カルラは何度も止めたのですが、私がわがままを言ってしまったので……だからカルラを叱らないでください!」
ティアナの台詞に今度はカルラの方がギョッとして顔を上げる。
「なにをおっしゃるんですか」
「だって本当のことだもの!」
止めようとするカルラに、ティアナも顔を上げて負けじと応戦する。
「メイドの私が悪いに決まっております、どこの世界に使用人を庇う王女様がいらっしゃるのですか」
「身分なんて関係ないわ、悪いことをしたら謝るのは当然でしょう!」
その言葉はカルラだけではなく、イザークにも刺さった。
身分に関係なく、悪いことをしたら謝るべき――。
そんなことを言う王侯貴族が、この世に存在するのかと、イザークは自身の耳を疑った。
そして深読みした。物分かりがいいふりをして、貧民出身のイザークを取り込もうとしているのではないかと。
「……俺たちの役に立ちたいだと? そんなことをして媚を売ったところで、なんの得もないぞ」
イザークの黄金の瞳が、鈍く光ってティアナを睨みつける。
長年の付き合いであるカルラも、息を呑むような迫力。しかし、カルラは黙って見過ごすわけにはいかない。一週間生活をともにしただけでも、ティアナを慕うには十分だったからだ。
「旦那様、そのような言い方は……」
「いいのよ、カルラ、私がイザーク様の立場だったら、同じことを思ったかもしれないわ」
ティアナは軽い口調でそう言うと、ニコッと笑ってカルラを制した。
勇気を出してイザークに物申したカルラは、ティアナの落ち着いた対応に肩の力が抜けた。
ティアナはカルラからイザークに視線を移すと、真剣な面持ちで彼を見上げた。
「イザーク様、お会いできてよかったです、お礼を申し上げたいと思っていたので」
「礼……だと……?」
イザークが脅したというのに、ティアナからは恐怖も嫌悪も感じられない。
むしろその逆と言える……好意的で真っ直ぐな瞳がイザークを見つめていた。
「はい、私はあの父の娘ですし、人質としてここにやって来たわけです。なのでひどい仕打ちを受けるだろうと、覚悟していました。ですが、あのように綺麗な部屋を与えてくださり、優しい侍女までつけてくださいました。食事も美味しいですし、いつも身支度も整えてくれて……何不自由ありません、本当にありがとうございます」
ティアナは美しい姿勢でハッキリと伝えると、羽が舞うようにふわりと微笑んだ。
――トクン……。
再びイザークの胸から、少女漫画のような擬音が出た。
なにがなんだかよくわからないが、とりあえず、胸が騒がしいのはティアナのせいだ、ということだけは認識する。
「ですから、なにか私にもできることをと思い、こっそり庭を綺麗にしようと――」
ふと、ティアナは言葉を切って目を丸くした。
片手で目を覆うようにしたイザークの顔色が、おかしくなっていることに気づいたからだ。
「イザーク様? どうなさったんですか!? お顔が赤い気がしますわ、もしやお熱がおありで!?」
本当の理由など見当もつかないティアナは、単純に体調不良を心配して気遣う。
しかしイザークは健康そのもの。それなのに顔が熱いのはなぜなのか。
納得できる理由など存在するはずがないと思ったイザークは、無理やり気のせいということにした。
そして団員たちのむさ苦しい肉体を思い出し、クールダウンした後に目を覆っていた手を外した。