目次
ブックマーク
応援する
10
コメント
シェア
通報

第十話、騎士団長の憂鬱

 一方、ビクトール城の二階にある書斎では、二人の青年が向き合っていた。

 イザークは焦茶色の丈夫な椅子に座り、机に両肘をついて、組んだ手の甲に顎をのせている。

 その机の前に立ったルーカスは、真剣な面持ちで文章を読み上げていた。


「……以上で報告を終わります」


 そう言ってルーカスは、手にした報告書をイザークに渡した。

 イザークは肩肘をついたまま、片手で受け取った報告書に目を通す。


「……特に変化はなし、か」

「そうですね、よほど団長を恐れているのか、散財も控えて大人しくしているようです」


 ルーカスはイザークに、ロッキンベル宮殿の偵察内容をまとめて報告していた。

 特に問題ないとのことだが、イザークに安堵の表情は見られない。

 マルティンを殺すのは簡単だが、国の揺らぎを他国に察知されれば、攻め込まれる恐れがある。

いくらセレステッタ騎士団が強いとはいえ、犠牲者を増やさないためにも無駄な戦いは控えたい。

 そう、マルティンが命乞いの際、言っていたのは事実だった。

 だが足元を見られないようにするため、イザークは剣をマルティンの首に突きつけたのだ。

 つまり、今回は最初からマルティンを殺す気はなく、言うことを聞かせるための脅しだった。

 自分たちの勢力が整ったところで、とりあえず反逆して従わせ、少しでも早く国民の生活を楽にする。そして人質を取り、その後を落ち着いて検討する算段だった。


「とはいえ、あいつがこのまま黙っているとは思えん。警戒を高めるためにも、ロッキンベル宮殿に常駐の騎士をつけるべきだ」


 頬杖をやめて意見するイザークに、ルーカスは精悍な眉をへの字に曲げた。


「そうしたいのは山々なんですけどねぇ、なんせ人手が足りないもので……」

「城周辺……特に裏側の見張りが手薄だ、強化する必要がある」


 無視して話を進めるイザークに、ルーカスの口元がピクッと引き攣る。


「ですからー、無理なんですよ、うちにはそんな余裕ありません」


 ルーカスの口ぶりは、小遣いを強請る夫を諌める妻のようだ。


「やっぱり増員した方がいいですよ、我々も活動範囲が広がってきて、このままの人数では賄いきれません」 


 最初はイザークとルーカスを含め、五、六人ほどで結成された小さな騎士団。

 しかしその実力が世に轟き、任される務めも増えた。それに伴い、騎士の数も徐々に増やしてはいるのだが……。


「増員の件については、お前に頼んだだろ」


 その一言に、ルーカスのこめかみにピキッと血管が浮かび上がった。


「基準が厳しすぎるんですよー!! 一分以内に俺に一撃くらわすとか、十分間俺の攻撃に耐えるとか、そんな奴一人もいやしませんからね!!」

「お前がそううるさいから、一撃ではなく触れただけでオーケーにしただろう、攻撃に耐えるのは五分に短縮したはずだ」

「めちゃくちゃ楽な基準にした、みたいな顔してますけど、それでもかなりハードですからね……」 


 必死に訴えるルーカスに、なぜかどや顔で言い返すイザーク。 

 こんな上司と部下のやり取りは、日常茶飯事だった。

 相当腕が立つルーカスは、騎士の採用担当もしている。

 その際、剣術や武闘の実技試験がある。この規定が厳しすぎるがゆえに、なかなか入団する騎士が増えないのだ。


「数だけ増えればいいという問題ではない、セレステッタ騎士団は少数精鋭、弱い奴に用はない」


 イザークの正論すぎる答えに、ルーカスは頭を抱えながらも言い返せない。

 焦って数だけ増やしたところで、実力が伴っていなければ意味がない。

 下手に弱い者を雇えば、足手纏いになって、かえって戦力を削ぐ可能性だってある。

 それをわかっているからこそ、ルーカスは困り眉でポリポリと頬を掻いた。


「いやぁまあ、実にその通りなんで、なんとも言えんです」

「とりあえず、新しい奴らの育成を急ぐぞ、一定の基準まで行けば、また増員する」

「またその一定基準が厳しいんだよなー」


 ボソッと呟くルーカスに、イザークが鋭い視線を向ける。


「なにか言ったか?」

「いえっ、なんでもありません!」


 ピンと背筋を伸ばし敬礼するルーカス。

 彼もかなりの手練れだが、イザークはその遥か上を行く。だから誰も文句を言わないのだ。


「しかし、そこまで警戒しなくてもいいと思いますけどね、こっちにはマルティンの愛娘がいるわけですから」


 ルーカスがティアナを『愛娘』と呼ぶには理由がある。

 マルティンはティアナを差し出す時、『病弱で人前に出したことがない、目に入れても痛くない可愛い娘』……と涙ながらに訴えた。

 ティアナの人質としての価値を証明するため、迫真の演技をしたわけだ。

 だからイザークをはじめ、セレステッタ騎士団のティアナに対する認識は、国王の秘蔵っ子といったところだった。


「まあ、用心するに越したことはないと思いますけど……」


 話の途中、ルーカスはイザークの異変に気づいた。

 切れ長の目を少し大きくし、一点を見つめるようにして固まっている。

 イザークがこうなったのは、ルーカスの言葉が原因だ。

 マルティンの愛娘……すなわち、ティアナを指す言葉に、過剰に反応していた。


「団長? どうかしましたか?」


 どうしたもこうしたもない。なぜ、自分がこんなふうになっているのか、イザーク自身が一番知りたかった。

 団長としての務めに集中している時は、どうにか忘れようと気を紛らわすこともできる。

 しかし、ひとたび彼女を思い出してしまえば、気持ちが一気に引っ張られてしまう。

 一週間前、ビクトール城の玄関で会ったきりの相手。

 それなのに、あれからイザークは、度々ティアナの顔を思い浮かべていた。


「……別に、なんでもない……あの女は……」

「あの女? ティアナ姫のことですか?」

「ああ、それは……なんだ……元気にやっているのか」


 目を逸らしたまま、気まずそうに尋ねるイザークに、ルーカスはキョトンとした。

 普段何事にも動じないイザークが、なぜこんなに歯切れが悪いのか不思議だった。


「さ、さあ……? 特にカルラから報告もありませんし、問題なく暮らされているかと……」

「……ふん、そうか」


 そう言ったイザークの表情が、ほんの少し和らいだ気がしたルーカスは驚いた。

 まさかイザークが、ティアナの様子を窺ってくるとは意外すぎる。


「気になるならご自分で見に行けばいいじゃないですか」 


 なんとなくさらっと聞いてしまったルーカスを、イザークはキッと睨みつけた。


「別に、気にしているわけではない、死なれては人質の意味がなくなるから、どうしているか聞いただけだ」

「あ、ああ、そう、ですか?」

「ふん」


 イザークは腕を組んでそっぽを向き、椅子にふんぞり返るように腰かけた。

 そんな彼を前に、ルーカスはティアナのことを思い浮かべる。

 ルーカスも最初に、地下室に案内したきり、ティアナとは会っていなかったが。ハッキリとその言動を記憶するほど、よい印象が残っていた。


「……彼女は、ちょっと変わったお姫様のようですが、悪い感じはしませんよ、俺たち一介の騎士にも丁寧に接してくれる……マルティンには全然似ていません」


 静かに感情を込めて話すルーカスに、答えを持ち合わせていなかったイザークは、間がもたなくなり席を立った。

 そしてなんとなく後ろを振り向いた時だった。

 なにかに気づいたイザークが、目を細めて窓に接近する。

 イザークの視界に映るのは、城と城壁の間にできた砂地、そしてそこに立つ二人の女性。

 イザークが特に注目したのは、見覚えのある水色の髪をした彼女だった。


「団長? どうしたんですか?」

「……少し席を外す」

「えっ!? 今から闘技場に行く予定じゃ!?」

「すぐに戻る、それまでお前が団員たちを鍛えてろ」

「あっ、ちょっと……!」


 ルーカスにそう言い残すと、イザークは脇目も振らず駆け出して部屋を出た。

 あっという間の出来事に、ルーカスはポカンと立ち尽くす。

 そして、イザークの行動を振り返り、窓の外になにかがあると気づいた。


「……団長が訓練より優先することって……」


 いつも一番に考えている訓練を、後回しにしてまでやりたいこと。

 これはただ事ではないと感じたルーカスは、窓に駆け寄るとイザークと同じように外を見た。

 そこで目にした光景に、ルーカスはエメラルドの瞳をパッと大きく見開いた。

 イザークの様子が急変した理由がわかったからだ。


「こりゃあ、もしかしたら、もしかするかも……?」


 ルーカスは顎に手をやりながら、驚きと戸惑い、そして喜びが混じったような、複雑な表情を浮かべた。

 視界に入るティアナを眺めながら。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?