一方、ビクトール城の二階にある書斎では、二人の青年が向き合っていた。
イザークは焦茶色の丈夫な椅子に座り、机に両肘をついて、組んだ手の甲に顎をのせている。
その机の前に立ったルーカスは、真剣な面持ちで文章を読み上げていた。
「……以上で報告を終わります」
そう言ってルーカスは、手にした報告書をイザークに渡した。
イザークは肩肘をついたまま、片手で受け取った報告書に目を通す。
「……特に変化はなし、か」
「そうですね、よほど団長を恐れているのか、散財も控えて大人しくしているようです」
ルーカスはイザークに、ロッキンベル宮殿の偵察内容をまとめて報告していた。
特に問題ないとのことだが、イザークに安堵の表情は見られない。
マルティンを殺すのは簡単だが、国の揺らぎを他国に察知されれば、攻め込まれる恐れがある。
いくらセレステッタ騎士団が強いとはいえ、犠牲者を増やさないためにも無駄な戦いは控えたい。
そう、マルティンが命乞いの際、言っていたのは事実だった。
だが足元を見られないようにするため、イザークは剣をマルティンの首に突きつけたのだ。
つまり、今回は最初からマルティンを殺す気はなく、言うことを聞かせるための脅しだった。
自分たちの勢力が整ったところで、とりあえず反逆して従わせ、少しでも早く国民の生活を楽にする。そして人質を取り、その後を落ち着いて検討する算段だった。
「とはいえ、あいつがこのまま黙っているとは思えん。警戒を高めるためにも、ロッキンベル宮殿に常駐の騎士をつけるべきだ」
頬杖をやめて意見するイザークに、ルーカスは精悍な眉をへの字に曲げた。
「そうしたいのは山々なんですけどねぇ、なんせ人手が足りないもので……」
「城周辺……特に裏側の見張りが手薄だ、強化する必要がある」
無視して話を進めるイザークに、ルーカスの口元がピクッと引き攣る。
「ですからー、無理なんですよ、うちにはそんな余裕ありません」
ルーカスの口ぶりは、小遣いを強請る夫を諌める妻のようだ。
「やっぱり増員した方がいいですよ、我々も活動範囲が広がってきて、このままの人数では賄いきれません」
最初はイザークとルーカスを含め、五、六人ほどで結成された小さな騎士団。
しかしその実力が世に轟き、任される務めも増えた。それに伴い、騎士の数も徐々に増やしてはいるのだが……。
「増員の件については、お前に頼んだだろ」
その一言に、ルーカスのこめかみにピキッと血管が浮かび上がった。
「基準が厳しすぎるんですよー!! 一分以内に俺に一撃くらわすとか、十分間俺の攻撃に耐えるとか、そんな奴一人もいやしませんからね!!」
「お前がそううるさいから、一撃ではなく触れただけでオーケーにしただろう、攻撃に耐えるのは五分に短縮したはずだ」
「めちゃくちゃ楽な基準にした、みたいな顔してますけど、それでもかなりハードですからね……」
必死に訴えるルーカスに、なぜかどや顔で言い返すイザーク。
こんな上司と部下のやり取りは、日常茶飯事だった。
相当腕が立つルーカスは、騎士の採用担当もしている。
その際、剣術や武闘の実技試験がある。この規定が厳しすぎるがゆえに、なかなか入団する騎士が増えないのだ。
「数だけ増えればいいという問題ではない、セレステッタ騎士団は少数精鋭、弱い奴に用はない」
イザークの正論すぎる答えに、ルーカスは頭を抱えながらも言い返せない。
焦って数だけ増やしたところで、実力が伴っていなければ意味がない。
下手に弱い者を雇えば、足手纏いになって、かえって戦力を削ぐ可能性だってある。
それをわかっているからこそ、ルーカスは困り眉でポリポリと頬を掻いた。
「いやぁまあ、実にその通りなんで、なんとも言えんです」
「とりあえず、新しい奴らの育成を急ぐぞ、一定の基準まで行けば、また増員する」
「またその一定基準が厳しいんだよなー」
ボソッと呟くルーカスに、イザークが鋭い視線を向ける。
「なにか言ったか?」
「いえっ、なんでもありません!」
ピンと背筋を伸ばし敬礼するルーカス。
彼もかなりの手練れだが、イザークはその遥か上を行く。だから誰も文句を言わないのだ。
「しかし、そこまで警戒しなくてもいいと思いますけどね、こっちにはマルティンの愛娘がいるわけですから」
ルーカスがティアナを『愛娘』と呼ぶには理由がある。
マルティンはティアナを差し出す時、『病弱で人前に出したことがない、目に入れても痛くない可愛い娘』……と涙ながらに訴えた。
ティアナの人質としての価値を証明するため、迫真の演技をしたわけだ。
だからイザークをはじめ、セレステッタ騎士団のティアナに対する認識は、国王の秘蔵っ子といったところだった。
「まあ、用心するに越したことはないと思いますけど……」
話の途中、ルーカスはイザークの異変に気づいた。
切れ長の目を少し大きくし、一点を見つめるようにして固まっている。
イザークがこうなったのは、ルーカスの言葉が原因だ。
マルティンの愛娘……すなわち、ティアナを指す言葉に、過剰に反応していた。
「団長? どうかしましたか?」
どうしたもこうしたもない。なぜ、自分がこんなふうになっているのか、イザーク自身が一番知りたかった。
団長としての務めに集中している時は、どうにか忘れようと気を紛らわすこともできる。
しかし、ひとたび彼女を思い出してしまえば、気持ちが一気に引っ張られてしまう。
一週間前、ビクトール城の玄関で会ったきりの相手。
それなのに、あれからイザークは、度々ティアナの顔を思い浮かべていた。
「……別に、なんでもない……あの女は……」
「あの女? ティアナ姫のことですか?」
「ああ、それは……なんだ……元気にやっているのか」
目を逸らしたまま、気まずそうに尋ねるイザークに、ルーカスはキョトンとした。
普段何事にも動じないイザークが、なぜこんなに歯切れが悪いのか不思議だった。
「さ、さあ……? 特にカルラから報告もありませんし、問題なく暮らされているかと……」
「……ふん、そうか」
そう言ったイザークの表情が、ほんの少し和らいだ気がしたルーカスは驚いた。
まさかイザークが、ティアナの様子を窺ってくるとは意外すぎる。
「気になるならご自分で見に行けばいいじゃないですか」
なんとなくさらっと聞いてしまったルーカスを、イザークはキッと睨みつけた。
「別に、気にしているわけではない、死なれては人質の意味がなくなるから、どうしているか聞いただけだ」
「あ、ああ、そう、ですか?」
「ふん」
イザークは腕を組んでそっぽを向き、椅子にふんぞり返るように腰かけた。
そんな彼を前に、ルーカスはティアナのことを思い浮かべる。
ルーカスも最初に、地下室に案内したきり、ティアナとは会っていなかったが。ハッキリとその言動を記憶するほど、よい印象が残っていた。
「……彼女は、ちょっと変わったお姫様のようですが、悪い感じはしませんよ、俺たち一介の騎士にも丁寧に接してくれる……マルティンには全然似ていません」
静かに感情を込めて話すルーカスに、答えを持ち合わせていなかったイザークは、間がもたなくなり席を立った。
そしてなんとなく後ろを振り向いた時だった。
なにかに気づいたイザークが、目を細めて窓に接近する。
イザークの視界に映るのは、城と城壁の間にできた砂地、そしてそこに立つ二人の女性。
イザークが特に注目したのは、見覚えのある水色の髪をした彼女だった。
「団長? どうしたんですか?」
「……少し席を外す」
「えっ!? 今から闘技場に行く予定じゃ!?」
「すぐに戻る、それまでお前が団員たちを鍛えてろ」
「あっ、ちょっと……!」
ルーカスにそう言い残すと、イザークは脇目も振らず駆け出して部屋を出た。
あっという間の出来事に、ルーカスはポカンと立ち尽くす。
そして、イザークの行動を振り返り、窓の外になにかがあると気づいた。
「……団長が訓練より優先することって……」
いつも一番に考えている訓練を、後回しにしてまでやりたいこと。
これはただ事ではないと感じたルーカスは、窓に駆け寄るとイザークと同じように外を見た。
そこで目にした光景に、ルーカスはエメラルドの瞳をパッと大きく見開いた。
イザークの様子が急変した理由がわかったからだ。
「こりゃあ、もしかしたら、もしかするかも……?」
ルーカスは顎に手をやりながら、驚きと戸惑い、そして喜びが混じったような、複雑な表情を浮かべた。
視界に入るティアナを眺めながら。