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第十二話、衝動(後編)

「……平気だ、なんでもない」

「で、ですが……」

「体調管理もできないようでは、セレステッタ騎士団の団長は務まらないからな」

「責任感がお強いのですね」


 尊敬の眼差しを送るティアナに、イザークは小さな息を漏らした。

 脅しても怯まず、今の状況を嘆きもしない。むしろ楽しんでいるかのような逞しさに、イザークは少し感心してしまった。


「そういうお前はどうなんだ」

「私、ですか?」

「身体が弱いんだろ。草抜きなどして平気なのか?」


 イザークがそう言うと、ティアナの顔がみるみるうちに輝きを増してゆく。

 その反応にティアナの心情を悟ったイザークが、慌てて口を開いた。


「い、言っておくが、別に心配しているわけではないぞ、体調でも崩されれば面倒だと思っただけで」

「ふふふ、はい、大丈夫です、ここに来てから体調がよいので、だから動きたくなったのもあります」


 片手を口元に添え、上品に笑いながら答えるティアナ。

 本当はめちゃくちゃ健康体なので、動けるのは当たり前なのだが、病弱王女として嫁いでいるため合わせなくてはならない。


「……ふん、ならいいが」


 ティアナの返事を聞いたイザークは、改めて彼女の手に目をやった。

 白く細い指が土で茶色くなり、手の甲は赤みを帯びている。

 その傷はロッキンベル宮殿にいた頃、メイドとしてこき使われてできたものだ。

 しかし、そのことを知らないイザークは、赤い部分も今草抜きをしたせいでできたものだと思った。

 どうせすぐに飽きるであろう病弱王女の退屈しのぎ、変わってはいるが止める必要はないと、イザークは判断した。


「カルラ、手袋を用意してやれ、なるべく厚手で、質がよいものを。それから軟膏も塗ってやるといい、仮にも王女なんだからな」

「……あ……は、はい……!」


 イザークの指示に、嬉しそうに返事をするカルラ。

 一方、ティアナは動きを止めていた。イザークの言葉が意外すぎたからだ。

 彼の人格は人伝てで聞いていたため、監禁まではしないと思った。

 しかし、勝手に地下室を出てウロついていたのだ、なんらかの罰はあって当然だと覚悟していた。

 それなのにイザークがティアナに与えたのは、罰ではなく気遣いだった。

 ほうけた様子のティアナに、イザークが声をかける。


「……別に草抜きが悪いことだとは思わないからな。ただ、隠れてするのはやめろ、今後はなんでも俺に断ってからするように」


 イザークの台詞が合図になって、ティアナの胸に熱いものが込み上げてくる。

 言い方はぶっきらぼうだが、要するに俺の許可を取れる範囲なら自由にしていいということだ。

 草抜きがオーケーなら、ティアナがしたいこと、大体の許可が取れそうな気がする。

 今まで意思を持つことを許されなかったティアナは、初めて自分の言動を認められたようで嬉しかった。

 やがて感激のあまりじっとしていられなくなったティアナは、ずいっと身を乗り出すと、イザークの両手を自身のそれで握りしめた。


「イザーク様っ、やはりあなた様はとっても寛大で慈悲深いお方ですわ! ありがとうございます!」


 喜びを爆発させて、めいっぱい感謝の気持ちを伝えるティアナ。

 興奮のあまり、掴んだイザークの両手をブンブンと上下に振っている。

 まるで子供の遊戯のように無邪気に見えるシーンだが、イザークは真顔の無言でされるがままになっている。

 その様子を見たカルラは、思わず吹き出しそうになり顔を背けた。

 最強の騎士団長が少女のようなティアナに好きにされる様は、なんとも珍妙で笑いを誘う。

 一頻り喜びを体現したティアナは、ようやくイザークの反応がないことに気づいた。


「あっ、も、申し訳ありません、勝手に……」


 我に返ったティアナは、急いでイザークの手を離すと、恐縮して身体を小さくした。

 イザークがあまりに無反応だったので、気分を害してしまったと勘違いした。

 本当はいきなり手を握られて、どうすればいいかわからず固まっていただけなのだが。

 ティアナが少し離れると、イザークは徐々に思考を動かし始めた。

 目の前で恥ずかしげに唇を結ぶティアナ。実年齢よりも幼く見える、美少女のような風貌。

 イザークが黙って眺めていると、不意に優しい風が訪れた。

 するとティアナのアクアマリンのようなロングヘアーが、風に靡いてふわりと揺れる。


 ――まるで穏やかな波のようだな……。


 イザークは心の中で呟くと、そっと右手を上げてティアナの髪に触れた。


「……美しいな」


 ポツリ、イザークの本音が無意識のうちに零れ落ちた。

 イザークは指先で、優しく髪を梳くように撫でる。

 ティアナは瞬きするのも忘れ、頬を掠める指先を感じていた。


「……あ、あの……?」


 ようやくティアナが声を出すと、イザークはハッとして手を引っ込めた。

 ティアナに声をかけられ、やっと自分がなにをしていたのか気づいた。

 ティアナの戸惑った顔を見たイザークは、なにか言わねばと頭をフル回転させた。


「な、なんだ、なにか問題があるのか、俺がお前に触れることに」


 言い訳が見つからなかったイザークは、もはや開き直りとも取れる台詞を放った。

 それに対し、ティアナは胸の前に出した手と、首も一緒にブンブン横に振る。


「い、いいえ、まったく問題なんてありませんっ、ただ驚いただけで……」


 イザークはティアナの返事に胸を撫で下ろした。


 ――そうか、ただ驚いただけで、嫌がってはいない、のか……?


 イザークはもはや、自分の心の声に突っ込む余裕すら失っていた。


「……夫婦なのだから、これくらい普通だろ」

「え?」


 イザークはボソッと呟くと、振り返ってティアナに背を向けた。

 あまりに小さな声だったので、ティアナにはイザークがなにを言ったのか聞き取れなかった。


「あ、い、イザーク様……」


 無言のまま立ち去ろうとするイザークを、ティアナが呼び止める。

 するとイザークは踏み出そうとした足を止めた。


「そのイザーク様というのはやめろ」


 ティアナに背を向けたまま、冷たく言い放つイザーク。

 その発言を勘違いしたティアナは、まずいと思い緊張で背筋を伸ばした。


「失礼しました、ではやはり旦那様と」

「ヤメロ、メイドじゃあるまいし……イザークでいい……わかったな、ティアナ」

 そう言って振り向いたイザークは、どこか優しい目をしていた。


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