「……平気だ、なんでもない」
「で、ですが……」
「体調管理もできないようでは、セレステッタ騎士団の団長は務まらないからな」
「責任感がお強いのですね」
尊敬の眼差しを送るティアナに、イザークは小さな息を漏らした。
脅しても怯まず、今の状況を嘆きもしない。むしろ楽しんでいるかのような逞しさに、イザークは少し感心してしまった。
「そういうお前はどうなんだ」
「私、ですか?」
「身体が弱いんだろ。草抜きなどして平気なのか?」
イザークがそう言うと、ティアナの顔がみるみるうちに輝きを増してゆく。
その反応にティアナの心情を悟ったイザークが、慌てて口を開いた。
「い、言っておくが、別に心配しているわけではないぞ、体調でも崩されれば面倒だと思っただけで」
「ふふふ、はい、大丈夫です、ここに来てから体調がよいので、だから動きたくなったのもあります」
片手を口元に添え、上品に笑いながら答えるティアナ。
本当はめちゃくちゃ健康体なので、動けるのは当たり前なのだが、病弱王女として嫁いでいるため合わせなくてはならない。
「……ふん、ならいいが」
ティアナの返事を聞いたイザークは、改めて彼女の手に目をやった。
白く細い指が土で茶色くなり、手の甲は赤みを帯びている。
その傷はロッキンベル宮殿にいた頃、メイドとしてこき使われてできたものだ。
しかし、そのことを知らないイザークは、赤い部分も今草抜きをしたせいでできたものだと思った。
どうせすぐに飽きるであろう病弱王女の退屈しのぎ、変わってはいるが止める必要はないと、イザークは判断した。
「カルラ、手袋を用意してやれ、なるべく厚手で、質がよいものを。それから軟膏も塗ってやるといい、仮にも王女なんだからな」
「……あ……は、はい……!」
イザークの指示に、嬉しそうに返事をするカルラ。
一方、ティアナは動きを止めていた。イザークの言葉が意外すぎたからだ。
彼の人格は人伝てで聞いていたため、監禁まではしないと思った。
しかし、勝手に地下室を出てウロついていたのだ、なんらかの罰はあって当然だと覚悟していた。
それなのにイザークがティアナに与えたのは、罰ではなく気遣いだった。
ほうけた様子のティアナに、イザークが声をかける。
「……別に草抜きが悪いことだとは思わないからな。ただ、隠れてするのはやめろ、今後はなんでも俺に断ってからするように」
イザークの台詞が合図になって、ティアナの胸に熱いものが込み上げてくる。
言い方はぶっきらぼうだが、要するに俺の許可を取れる範囲なら自由にしていいということだ。
草抜きがオーケーなら、ティアナがしたいこと、大体の許可が取れそうな気がする。
今まで意思を持つことを許されなかったティアナは、初めて自分の言動を認められたようで嬉しかった。
やがて感激のあまりじっとしていられなくなったティアナは、ずいっと身を乗り出すと、イザークの両手を自身のそれで握りしめた。
「イザーク様っ、やはりあなた様はとっても寛大で慈悲深いお方ですわ! ありがとうございます!」
喜びを爆発させて、めいっぱい感謝の気持ちを伝えるティアナ。
興奮のあまり、掴んだイザークの両手をブンブンと上下に振っている。
まるで子供の遊戯のように無邪気に見えるシーンだが、イザークは真顔の無言でされるがままになっている。
その様子を見たカルラは、思わず吹き出しそうになり顔を背けた。
最強の騎士団長が少女のようなティアナに好きにされる様は、なんとも珍妙で笑いを誘う。
一頻り喜びを体現したティアナは、ようやくイザークの反応がないことに気づいた。
「あっ、も、申し訳ありません、勝手に……」
我に返ったティアナは、急いでイザークの手を離すと、恐縮して身体を小さくした。
イザークがあまりに無反応だったので、気分を害してしまったと勘違いした。
本当はいきなり手を握られて、どうすればいいかわからず固まっていただけなのだが。
ティアナが少し離れると、イザークは徐々に思考を動かし始めた。
目の前で恥ずかしげに唇を結ぶティアナ。実年齢よりも幼く見える、美少女のような風貌。
イザークが黙って眺めていると、不意に優しい風が訪れた。
するとティアナのアクアマリンのようなロングヘアーが、風に靡いてふわりと揺れる。
――まるで穏やかな波のようだな……。
イザークは心の中で呟くと、そっと右手を上げてティアナの髪に触れた。
「……美しいな」
ポツリ、イザークの本音が無意識のうちに零れ落ちた。
イザークは指先で、優しく髪を梳くように撫でる。
ティアナは瞬きするのも忘れ、頬を掠める指先を感じていた。
「……あ、あの……?」
ようやくティアナが声を出すと、イザークはハッとして手を引っ込めた。
ティアナに声をかけられ、やっと自分がなにをしていたのか気づいた。
ティアナの戸惑った顔を見たイザークは、なにか言わねばと頭をフル回転させた。
「な、なんだ、なにか問題があるのか、俺がお前に触れることに」
言い訳が見つからなかったイザークは、もはや開き直りとも取れる台詞を放った。
それに対し、ティアナは胸の前に出した手と、首も一緒にブンブン横に振る。
「い、いいえ、まったく問題なんてありませんっ、ただ驚いただけで……」
イザークはティアナの返事に胸を撫で下ろした。
――そうか、ただ驚いただけで、嫌がってはいない、のか……?
イザークはもはや、自分の心の声に突っ込む余裕すら失っていた。
「……夫婦なのだから、これくらい普通だろ」
「え?」
イザークはボソッと呟くと、振り返ってティアナに背を向けた。
あまりに小さな声だったので、ティアナにはイザークがなにを言ったのか聞き取れなかった。
「あ、い、イザーク様……」
無言のまま立ち去ろうとするイザークを、ティアナが呼び止める。
するとイザークは踏み出そうとした足を止めた。
「そのイザーク様というのはやめろ」
ティアナに背を向けたまま、冷たく言い放つイザーク。
その発言を勘違いしたティアナは、まずいと思い緊張で背筋を伸ばした。
「失礼しました、ではやはり旦那様と」
「ヤメロ、メイドじゃあるまいし……イザークでいい……わかったな、ティアナ」
そう言って振り向いたイザークは、どこか優しい目をしていた。