目次
ブックマーク
応援する
11
コメント
シェア
通報

第十三話、気になる彼女とカルラの興奮

 ティアナはイザークの姿が、曲がり角に消えていくまで見送る。

 その後、ふーっと息をつくと、高鳴る鼓動を落ち着かせた。


 ――ビックリした……あんなに真剣な顔で髪を撫でられるなんて……しかも、美しいだなんて……。


 思わぬ事態にドキドキしていたのは、イザークだけではなかった。

 まあ、ティアナの場合はトキメキよりも、驚きの方がずいぶんまさっていたが。

 それでも久しぶりに会ってみて、さらにイザークの人柄に触れることができた。

 口は悪いけど優しい彼は、懐の広い明君に違いないとティアナはほぼ確信した。

 となれば、お手伝いも俄然やる気が湧いてくる。


「さっ、カルラ、続きを――」


 そう言ってティアナがクルッと後ろを振り返ると、あるものが視界に入り言葉を止めた。

 カルラの向こう側、イザークが消えたのと反対側の角に、なにやら人影が見える。

 小柄で黒いフードを目深に被った人物は、城の角から顔を出して、ティアナたちの様子を窺っているようだ。


 ――あれは、一体……?


 ティアナが疑問を浮かべた瞬間、その人物も見られていることに気づいたのか、身体をビクつかせさっと姿を消してしまう。

 その瞬間、フードから漏れた髪の毛が、ティアナの目を奪った。

 その人物が何者なのか、どうしても知りたくなったティアナは、ドレスの裾を両手で持ち上げ走り出す。


「奥様!?」


 カルラの驚く声を背に、ティアナは慣れないハイヒールで器用にダッシュする。本当は健康な上、運動神経も抜群なのだ。

 角を曲がり目当ての人物を発見したティアナは、逃すまいとスピードを上げ距離を詰める。

 相手も捕まるまいと走っているが、ティアナの速度には敵わない。やがてティアナの伸ばした右手が、その人物の左手首を捕まえた。

 強制的に足を止めることになった彼女は、咄嗟にティアナを振り返る。

 すると、その動きに合わせ、彼女の頭からフードが滑り落ちた。

 晴天の空の下、晒されたボブヘアーは艶やかで、世にも珍しいピンク色をしていた。

 ローズクォーツのように淡く澄んだ髪色に、ティアナの視線が釘づけになる。


「綺麗……」


 ティアナが思わず呟いた後、乱れた髪の隙間から真紅の瞳が覗いた。

 二人の視線は一瞬合ったものの、すぐさま彼女に逸らされてしまう。

 ティアナは掴んだ手の力をやや緩めながら、目の前にいる彼女を見つめた。

 ティアナより幾分か背が低い彼女は、全身を覆うような黒いフードつきのローブを羽織っている。

 顔や身体つきからすると、ティアナよりやや年下の女性のようだ。


「あ、あなたは……? どうしてここにいるの?」


 ティアナは少しソワソワした気持ちで尋ねた。

 母親と自分以外の稀髪を初めて見たので、妙に親近感が湧いてしまい、勝手に仲間意識のようなものを感じたのだ。

 しかし彼女は顔を背け俯いたままで、ティアナの方を見ようとしない。


「……あたしの考えたやつ、可愛いって言ってたから……」


 ギリギリ聞き取れる声でそう言うと、彼女はティアナの手を振り払って、今度こそ走り去ってしまった。


「あっ、待って!」

「奥様ー!」


 再び彼女を追いかけようとしたティアナだったが、後ろから名を呼ぶ声が聞こえてハッとした。


 ――まずい、なんとかごまかさないと……!


 自分の立場を思い出したティアナは、慌ててその場に蹲って胸を押さえた。

 その直後、城の角を曲がってきたカルラが、ティアナの姿を見つけ駆け寄ってきた。


「奥様! 大丈夫でございますか!?」


 カルラはティアナのそばにしゃがむと、心配そうに顔を覗き込んだ。


「あ、ご、ごめんなさい、つい急いでしまって、少し胸が苦しいわ」


 彼女を追うのに夢中で、つい病弱王女の設定を忘れていた。なので、苦しむ演技で乗り切ることにしたのだ。


「まあ、それはいけません、すぐにお医者様をお呼びいたしましょう」

「大丈夫よ、大人しくしていればじきによくなるから」

「私がついていながらご無理をさせてしまい、なんとお詫びを申し上げれば……」


 悲しげなカルラの表情に、ティアナの胸が痛む。

 命がかかっているとはいえ、優しいカルラを騙すのは気持ちがいいものではない。


「カルラは悪くないわ、私が勝手に走っただけだもの……そこにいたのが誰なのか知りたくて」

「誰かいたのですか? 私は気がつきませんでした」

「いたわ、黒いフードを被った、ピンクの髪をした女の子が」


 彼女はカルラの後ろの方にいたので、気づかなかったのも無理はない。

 ティアナは苦しむふりをやめて、胸から手を離すと、ゆっくりと上体を起こす。


「追いついたけど、名前も聞けずに逃げられてしまったわ、一体なんだったのかしら……」


 そう言ってティアナがカルラを見ると、目を大きくして明らかな反応を示していた。

 どうやら先ほどの少女に関して、なにか知っているようだ。


「カルラ、覚えがあるの?」

「……はい、そんな珍しい容姿は……ポルカ様しかいません」

「ポルカ、様……?」


 カルラの手を借りてティアナが立ち上がると、ドレスからパラパラと乾いた土が落ちた。

 二人が立って向き合う形で、さらにカルラが続ける。


「はい、地下室のデザインはすべて、そのポルカ様がなさっているのです」


 その台詞にティアナはハッとした。


『あたしの考えたやつ、可愛いって言ってたから』


 さっき、彼女はそんなことを言っていた。

 ならば『考えたやつ』というのは、地下室のデザインのことだ。そしてそれをティアナが『可愛い』と言ったのを、どこかで聞いていたのだろう。

 そう考えれば辻褄が合う。

 やはり、先ほどの稀髪の少女は、カルラが言っている『ポルカ』という人物に間違いないようだ。

 男ばかりのビクトール城で、地下の部屋だけが可愛いかったのは、やはりデザインしている女性がいたからだった。

 しかしカルラは神妙な面持ちで、ポルカについてあまり触れたくなさそうだった。


「ポルカ様には少し事情がありまして……ずっと地下の部屋で暮らされています」


 カルラの対応に、ティアナはピンと来た。

 この広い城内で、わざわざ地下に身を潜めているなんて、理由は一つしかない。

 ポルカがイザークの大切な女性なのだ。

 イザークは人質にするため仕方なく自分と結婚したが、本当に愛する人を手放せなかった。しかしさすがに堂々とするのは憚られるため、地下室で囲っているのだろう。

 そう考えれば、カルラが以前からポルカについて口ごもっているのも説明がつく。

 形だけとはいえ嫁いできた王女に、旦那様に愛人がいますとは言えないはずだ。


「そう……だったのね」


 ティアナは少しぼんやりしながら、独り言のように呟いた。

 その脳裏には、先ほどのイザークとのやり取りが思い浮かんでいる。


 ――あのお方に、そんな愛しい人がいたなんて……。


 なんだか意外だと思いながら、ティアナは少し胸の奥がモヤモヤした。

 しかし、この時カルラは、ティアナとはまったく別のことを考えていた。


「奥様、今はポルカ様よりも旦那様のことを考えるべきです」


 ティアナはカルラの言葉の意味がわからなかった。

 なぜこのタイミングで、そんなことを言うのかと不思議に感じた。


「え……どうして?」

「どうしてって……旦那様の様子になにか感じられませんでしたか?」


 まったく心当たりがないティアナは、目を丸くして首を傾げるだけだ。

 そんなティアナを見たカルラは、少し苦笑いをしてからさらに続ける。


「旦那様は一流の剣士であり、優秀な統率者であられます。しかし、いつも感情を表に出さず、なにを考えておいでなのかわからない部分があります。それなのに、あんなふうに取り乱されるなんて……大変珍しいことだと思います、少なくとも私は初めて目にしました」


 ティアナとイザークのやり取りをそばで見守っていたカルラは、イザークの言動に驚かされるばかりだった。

 いつもクールに決めている彼が、驚いたり戸惑ったり……ましてや照れるなど、あり得ないことだったからだ。

 しかしカルラの言葉を、ティアナは悪い方に受け止めた。

 乱したということは、イザークの心を害したと同意義だと思ったからだ。


「そうなの……、私が余計なことをしてしまったせいかしら」

「余計だなんてとんでもございませんっ、むしろ、よい反応だと思います」


 申し訳なさそうにするティアナを、カルラが急いで否定する。

 カルラはイザークより年上の大人の女性だ。だから先ほどのイザークから、すでにその想いに気づき始めていた。


「先ほどの旦那様の様子から察するに、奥様は決して嫌われていません」

「え、そ、そう?」

「はいっ、ですので旦那様と距離を縮めるなら、今このタイミングがベストかと……奥様も旦那様がお嫌でなければ、今夜にでも旦那様のお部屋に足を運ぶべきです」

「え……ええっ!?」


 たった今、イザークの愛人について聞いたばかりなのに、どうしてイザークと自分の仲を取り持つようなことを言うのか、ティアナは不思議でならなかった。

 しかし、ティアナの気持ちなどおかまいなしに、カルラはずいっと身を乗り出し、ティアナの瞳を見つめる。


「鉄は熱いうちに打て、でございます。奥様さえその気なら、私はいくらでもお手伝いいたしますので、がんばってくださいませ……!」


 ティアナを慕い、イザークを尊敬するカルラにとって、二人が上手くいくよう願うのは自然なこと。

 しかし、ポルカの実態を知らないティアナは、謎が深まるばかりだ。


「あ……あ、う、うん……? カルラがそう言うなら、がんばってみよう、かしら……?」

「ぜひ!」


 いささか混乱気味のティアナだが、結局カルラの勢いに圧倒され頷いてしまった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?