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第十四話、旦那様の部屋

 やがて夜が訪れると、ティアナはカルラに付き添われシャワーを浴びた。

 水回りも地下に揃っているため、地上に出なくても準備はできる。

 いつもより身体を入念に洗われ、シャワールームから出たティアナは、シルクのネグリジェに着替えた。

 そしてファンシーなドレッサーの前に座ると、カルラに化粧水で肌を整えられた後、櫛で丁寧に髪を梳かされた。

 この一連の流れは、いつもティアナが一人でしていることだ。

 メイドとして育ったティアナに、人に世話をしてもらう習慣はない。

 そのため、初日にカルラから申し出られた時にやんわり断っていた。

 しかし、今夜だけは絶対に私がいたしますと、カルラがどうしても譲らないので、ティアナが折れた。

 母以外の人に初めて身体を洗われたティアナは、くすぐったいやら恥ずかしいやらで少し困った。

 そしてこれがなんのための工程なのか、さすがにわからないほどティアナも子供ではない。

 夜中に旦那様の部屋に行くということは、床をともにするということだ。

 身支度が整うと、ティアナはあるものを手にし、部屋の出入り口に立った。


「奥様、本当にご一緒しなくてよろしいのですか?」

「ええ、イザーク様の部屋は前に教えてくれたでしょう、だから大丈夫よ」

「ですが距離がありますし……その……地下を上がったところには、鎧も並んでいますので……恐ろしくありませんか」


 カルラが心配するのも無理はない。ここからイザークの部屋まではけっこう離れているし、地下室を出れば鎧が並ぶ廊下に出てしまう。

 カルラを含む、騎士団の関係者なら、仲間の鎧を恐れることはないが。外から来たティアナからすれば、不気味に感じても不思議ではない。

 明るい日中でも異様な雰囲気があるのに、暗い夜中ならなおさらだろう。

 そんな気遣いから不安な顔をするカルラに、ティアナはにこやかに微笑み返す。


「ちっとも怖くないわ、カルラの旦那様や、騎士たちの魂がこもった鎧なんだもの、敬意を払わなくてはいけないわね」


 ティアナのシンプルな言葉がカルラの胸を震わせる。

 ティアナはただ思ったことを述べただけで、特に意識しているわけではないので、カルラが感激していることに気づかなかった。


「じゃあ行ってくるわね」

「……はい、ご武運を祈っております」


 そう言って礼をするカルラに背を向け、ティアナは部屋を出ると、廊下を歩いて階段を上った。

 そして頭上に現れた秘密の扉に片手をあてると、ぐっと力を込めてからスライドさせる。

 ある程度の圧力をかけてずらせば、後は簡単に開くようになっているのだ。

 この女性が出入りしやすい作りも、やはり彼女――ポルカのためなのだろうかと、ティアナは思った。

 階段を上りきり、地上に出たティアナは、一度しゃがんで扉を閉じる。

 するとやはりただの床に元通り、ティアナは何度見てもすごいと感心する。

 しかし一番ボロボロの鎧の前が扉になっているため、見失うことがないから安心だ。

 実はその目印が、カルラの亡き夫の鎧なのだが、それはまた別の話である。

 ティアナは立ち上がると、秘密の扉から離れて歩き始める。 

 現在の時刻は午後十一時。

 廊下の窓から見える外は当然真っ暗だ。壁や床のところどころに照明があるため、辺りになにがあるかは見えるが、日中の明るさとは比べものにならない。

 暖色系の光がぼんやりと照らす古城のような屋敷。真夜中に一人ぼっちでこんな場所を歩くなんて、肝試しか罰ゲームのようだ。

 女性なら怖がって足がすくんでもおかしくない状況だが、ティアナは躊躇うことなく道を進んでいく。


「ふふ……なんだかワクワクしちゃうわ」


 そう呟くティアナの表情は、怖がるどころか楽しそうだ。

 ティアナが一人でイザークの部屋に行くと言ったのは、これが目当てだった。

 一人で深夜の城探索。

 それが堂々と許されるのだから、いい機会だと思った。病弱設定とは真逆なおてんば娘である。

 しかし、ティアナはただ好奇心旺盛なだけではない。イザークの部屋を案内されたのは一度だけ。にも関わらず、ティアナはしっかりその場所を記憶していた。

 イザークの部屋だけではない。この巨大な要塞のような城内を、ティアナはさらっと案内されただけですべて覚えていたのだ。

 ロッキンベル宮殿の中も、把握するのが早かった。だから幼くして、メイドという役割をこなせたのだろう。

 そんな人並外れた才能があるとはつゆ知らず、本人はいたってマイペースに深夜の城観光を楽しんでいる。

 やがて二階にあるイザークの部屋に辿り着くと、ドアの前で立ち止まってノックする。


「イザーク様、ティアナでございます、起きていらっしゃいますか?」


 コンコンと二回ドアを叩いてから声をかけるが、中から返事はない。

 みんな寝静まっているのか、辺りはしんと静まり返っている。


 ――返事がないわね、寝ていらっしゃるのかしら。なら仕方ないわね。


 ティアナは自分の中で完結させると、大して待ちもせずに踵を返す。

 そして元来た道をしばらく歩いた時だった。

 どこからか走る足音が聞こえて、背後のドアがバーンと勢いよく開く。

 それに気づいたティアナは、廊下で立ち止まると、後ろを振り向いた。

 すると視線の先には、ドアを開いたイザークの姿があった。


「……あきらめるのが早すぎないか?」


 廊下の間接照明に照らされたイザークは、不機嫌そうな顔つきでティアナを見ている。

 実はバッチリ起きていたイザークは、ティアナの訪問に驚き、対応を迷った。

 あまり早くドアを開ければ、まるで待っていたかのようなので、もう一度ノックをされてから出ようと考えた。

 それなのに待てども次のアクションがなかったため、まさか帰ったのかと焦ったイザークが、結局急いで自分から出てきてしまったのだ。

 そんなイザークの葛藤を知らないティアナは、単純に彼に会えたことが嬉しく、急いで駆けつける。


「てっきりもうお休みだと思っていたので」

「俺は忙しいんだ、そんなに早く休んでいる暇はない」

「そうでしたか、それは失礼いたしました、では私はこれで」


 せっかく戻ってきたというのに、深々と頭を下げて再び引き返そうとするティアナ。

 その後ろ姿を見た瞬間、イザークは思わず手を伸ばした。


「おい、ちょっと待て!」


 ティアナの腕を掴んだイザークの声が反響する。イザークがこんなふうに声を荒げるのは珍しかった。


 ――まただ、また、考えるよりも先に身体が動いた。


 自分ではどうしようもないなにかに突き動かれる、その訳に、さすがにイザークも薄々気づき始めた。

 ただ、まだ認めたくないだけである。

 ティアナは驚きと戸惑いが混じったような表情で、改めてイザークを振り返った。


「そっちから来ておいて、なんで帰るんだ」

「お忙しいとお聞きしたので、お邪魔かと……」


 計算でも弄んでいるわけでもない。純粋に気遣うティアナの瞳が美しすぎて、居た堪れなくなったイザークは少し視線をずらした。


「……ちょうど休憩しようとしていたところだ、だから別に今は忙しくない」

「まあ、そうだったのですか」


 本当はめちゃくちゃ忙しいのだが、それを知られるとティアナが帰ってしまいそうなので、イザークは嘘をついた。

 しかし、パッと明るい顔になるティアナを見ると、嘘をついた甲斐もあるというものだ。

 その後、ティアナの腕を掴んだままであることに気づいたイザークは、さっと手を離すと身体を部屋の方に向けた。


「……とりあえず中に入れ」

「あ……はい、失礼いたします」


 ティアナは少し驚きながら軽く頭を下げた。

 まさか突然来た理由も聞かず、こんなにあっさり部屋に招き入れてくれるとは思わなかった。


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