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第十五話、無自覚な奇襲

 深夜に初めて男性の部屋に入るにも関わらず、ティアナはまったく緊張していなかった。

 それは、イザークが自分を女性として見ていないと思い込んでいたからだ。

 ティアナが嫁いでから一週間、イザークからティアナの部屋に来たことは一度もない。

 最初から『俺に愛される資格など一切ない』と言及されていた上、愛人の存在まで出てきた。

 それらのことからティアナは、完全に油断しきっていたのだ。

 だからこそ城を探索する余裕もあったのである。

 この城に来てから一週間、イザークの中で劇的な変化が起きていたとは知らず……。

 イザークに続いてティアナが部屋に入ると、ドアを閉めて前を向く。

 カーテンや絨毯、寝具なども、すべて黒い生地に金色の刺繍が入っている。

 広さはティアナの部屋と同じくらいで、絵画や置物など、趣味を楽しむようなものはまったくない。

 爵位を持つ騎士団長にしては、こぢんまりした質素な部屋に思える。

 イザークはドアの正面にある丸いテーブルの前に立ち、入ってきたティアナの姿を見て目を見開いた。


「……ティアナ」

「はい?」  

「お前……ここに来る途中で、誰かに会わなかっただろうな」

「……? 誰にも会っていませんよ、この時間は皆様お休みか酒場でございましょう?」


 なぜか険しい表情をするイザークに、疑問符を浮かべるティアナ。

 日中、ハードな鍛錬をこなしている騎士たちは、もうこの時間には就寝している。もしくは城内にある食堂兼酒場で癒しの一時ひとときを過ごしているだろう。メリハリをつけるためにも息抜きは必要なので、酒は禁止されていない。

 深夜に起きて勤めているのは、城の外にいる門番くらいだ。だから、ティアナはここに来るまで、誰ともすれ違わなかった。

 そのことを知ったイザークは、ホッとして険しい表情を緩めた。


「……ならいいが」


 イザークが気にしていたのはティアナの服装だ。

 廊下に出た時は薄暗かったためよくわからなかったが、部屋に入るとしっかり明かりがついているのでハッキリ見えた。

 今のティアナは純白のネグリジェ姿、上質なシルクでできているが、生地が薄いため少し下着が透けている。

 それに気づいたイザークが、他の男に見られたのではないかと危惧したのだ。

 その時点ですでにティアナへの気持ちは決まっているだろうが、まだ認めたくない、なんとも往生際の悪い騎士団長である。


 ――まったく、一体どういうつもりなんだ……。


 イザークは心の中でそう呟きながら、丸いテーブルの椅子に腰を下ろす。

 ティアナの部屋にあるものに似ている、丸テーブルと二脚の椅子のセット。

 しかし色はもちろんピンクではなく、落ち着いた木製そのものの茶色だ。


「突っ立っていないで座ったらどうだ」

「はい、では失礼いたします」


 イザークに促され、ティアナは軽く頭を下げてから空いた椅子に座る。

 二脚の椅子は向かい合って置かれていたため、ティアナは必然的にイザークと対面する形になった。


「……で、なんの用なんだ?」

「……あ、いえ、特別用があったわけではないのですが、ただ、お顔を見てお話できればなと思いまして」


 これはティアナの本音だった。

 きっかけはカルラに勧められたからだが、イザークとゆっくり話してみたいと思っていた。


「……そうか……まあ……今まで互いを知る機会もなかったしな」


 イザークの返事はティアナにとって意外だった。

 なにも用がないのに突然深夜に訪ねるなんて、迷惑だと追い返されてもおかしくないと思っていたのに。


『奥様は決して嫌われていません』


 そう言ったカルラの考えは正しかったのかもしれないとティアナは思った。

 そして左手に携えてきたものを、両手に持ち替えイザークに差し出す。


「あの、これ、イザーク様に……」


 テーブルの上に差し出されたのは、手のひらサイズの透明の袋。巾着のように水色のリボンで結ばれたその中には、動物や花の形をしたクッキーがたくさん入っていた。

 イザークは目の前に提示されたそれを、丸くした瞳に映している。


「カルラにイザーク様が甘いものがお好きだと聞いたので、お伺いするならなにか作ってお持ちした方がいいかと思いまして」

「……まさか、お前が作ったのか?」

「はい、そうでございます、地下のキッチンをお借りして……あ、でも、カルラに手伝ってもらいながらですが……」


 イザークは困ったように笑うティアナと、クッキーに交互に視線を動かす。

 突然の訪問に加え、まさかこんな手土産があろうとは……予想外すぎて反応に困っているのだ。

 しかし、ティアナはイザークの返事を待たず、自らクッキーの袋を開け始めた。


 ――なぜ自分で開けるんだ……?


 リボンを解いて透明の袋に手を入れるティアナに、待て待てと思いながら眉間に皺を寄せるイザーク。

 しかし突っ込む暇もなく、ティアナはクマのクッキーを一枚取り出すと、パキッと二つに割った。


 ――え? なんで割った? せっかくのクッキーを……。


 さらにティアナはその片方をポイッと自身の口に放り込むと、サクサクと音を立てあっという間に飲み込んでしまった。


 ――なぜ自分で食べるんだ? 俺に持ってきたんじゃないのか?


 なにも言えないまま、一部始終を見守ったイザーク。

 そんな彼にようやく、出番が回ってくる。

 ティアナが少し身を乗り出して、残った方のクッキーをイザークの口元に近づけたのだ。


「はい、イザーク様、あーん」


 ――バキューンッ!!


 ティアナの姿と言葉に、イザークの心臓が撃ち抜かれた。この世界に銃など存在しないというのに。

 ちなみにティアナは別にあざといわけではなく、昔母親にしてもらったことをなんとなくやっているだけだ。


「……お前は俺を殺そうとしているのか……?」


 胸がものすごい衝撃を受けたので、イザークはついそんな台詞を口にした。

 するとティアナはなにを思ったのか、目を見開き深刻な顔で手を下ろした。


「……安心していただくためにクッキーを半分食べたのですが……それでも不十分なら仕方ありませんね」


 その言葉に、イザークはようやくティアナの言動を理解した。

 敵であるマルティンの娘の手料理なんて、毒が入っていると疑われても仕方がない。

 そう思ったティアナは、クッキーを自ら食べることで、安全性を証明したのだ。

 決して食い意地が張って先に食べたわけではない。

 ティアナの配慮を知ったイザークは、賢い姫だと思うと同時に、自分の発言の間の悪さを恨んだ。


「申し訳ありませんでした、出すぎた真似をして」

「いや、そういう意味で言ったんじゃない」

「え? ですが……」


 ならなぜ『俺を殺そうとしているのか』なんて言うのか、意味がわからなくて困るティアナに、お前を見て心臓がバキュンとなったからだとは言えるはずがないイザーク。


「……念の為に聞いただけだ、疑ってはいない、そもそも毒を用意することなどできないだろ」


 必死に頭を働かせたイザークは、少し苦しいながらもなんとかごまかした。

 ティアナの状況からして毒を盛ることが不可能なのは確かだ。しかし、イザークは端からティアナを疑っていなかった。

 ティアナに言われて初めて、毒の可能性を考えたくらいだ。

 それはイザークがすでにティアナを信用している証だった。

 イザークの言葉を素直に受け取ったティアナは、ホッとして気を取り直した。


「では、食べてくださいますか?」

「……ああ……」

「わあ、嬉しいです、ではどうぞ」


 ニッコリ笑顔で改めてイザークの口元にクッキーを近づけるティアナ。

 するとイザークが観念したように目を閉じて、口を開ける。

 クマの顔の部分のクッキーが、ティアナの指先を離れ、イザークの口内に消えてゆく。

 形のいい口が控えめにもぐもぐ動き、やがてクッキーをゴクンと飲み込んだ。

 その様子を見守っていたティアナは、ドキドキしながらイザークに感想を聞く。


「……い、いかがですか……?」

「……悪くない」


 その答えにティアナは肩を落とした。

 悪くない、ということは、よくもない、というふうに受け止められる。

 まだイザークのことをよくわかっていないティアナは、彼の言葉の意味を取り違えた。


「……そうですか、次はもっと上手くできるよう努力いたします」


 しょぼんと反省するティアナを見て、イザークは自身の失態に気づく。

 本当はものすごく美味しかったのに、なぜ自分はこうも素直になれないのかと困り果てる。


「……いや、このままでも十分……」

「え?」


 イザークがボソボソ話すので、なにを言っているかわからない。

 しかし、声だけ聞こえたティアナは顔を上げてイザークを見る。

 その真っ直ぐな瞳にたじろぎそうになるイザークだが、ここで返事を間違えば、また悲しませてしまうだろう。

 ティアナのそんな顔は見たくないと思ったイザークは腹を括った。


「……う、美味かった!」


 半ばヤケクソ気味に本音を伝えたイザーク。

 照れ隠しのせいで語尾が強めになってしまい、若干怒っているように見えるが、ティアナはパアァと瞳を輝かせた。


「本当ですかっ、わあ……嬉しいです! 初めて作ったので、イザーク様にそう言っていただけて安心いたしました!」


 満面の笑みで喜ぶティアナを見た瞬間、イザークは動きを止め、すべてを悟る。

 もう取り繕いようがないほど、心奪われていた。

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