二人が結ばれて一週間ほど経った、とある日の昼下がり。
ティアナの部屋には、大量のドレスが所狭しと並んでいた。
「いつも似たようなドレスばかり着ているからな、好きなものを選べ」
「は、はあ……」
イザークに言われ、躊躇いがちに答えるティアナは、未だドレスを選ぼうとはしない。
否、選ぶことができないのだ。
「……あの、イザーク、ドレスを選びたいのは山々なのですが、この状態では無理かと……」
「なに?」
イザークは眉を顰めながら首を傾げると、視線を下げて自分たちの状態を確認する。
そこでハッとしたイザークは、ようやくティアナの言葉の意味を理解した。
――俺はいつの間にティアナを抱きしめていたんだ……?
イザークはティアナの部屋に来たら、無意識に彼女を抱きしめる。
それが習慣になりつつあるので、なかなか重症だ。
というわけで現在の二人は、椅子に座ったイザークが、自分の膝上にティアナを座らせ、後ろから抱きしめている状態だった。
だからティアナは身動きが取れず、ドレスを選びに行けなかったのだ。
「確かにそうだな、じゃあ俺が休憩を終えてから選べ」
特に自分の行動を反省する気がないイザークに、『今ティアナを離す』という選択肢はなかった。
イザークの腕にすっぽりと収まったティアナは、大人しくしながらも胸の内は穏やかではない。
――愛さないと言われたのに、この状況はなんなのでしょう?
一夜をともにしてからというもの、イザークは毎日ティアナに会いに来てはこの調子なのだ。
イザークの態度の変化に、ティアナはまだ頭がついていかず困惑気味だった。
「わかりました、では、後で一着選ばせていただきます」
「一着では足りないだろう、なんなら全部でもいいくらいだ」
驚いたティアナが後ろを振り向くと、自身を見下ろすイザークと目が合う。
「そんな、とんでもございません、私のドレスはたくさんいりませんので、その分違うところに使ってください」
「……チ、お前はまた、そんなことを言って」
舌打ちして鬼の形相を浮かべるイザークだが、決して怒っているわけではない。
カワイイすぎキレとでも言おうか、上目遣いで遠慮深いことを言うティアナが、愛しすぎておかしくなっているのだ。
その証拠に、イザークはティアナの唇を奪おうと行動に出る。
口下手な分、すぐに手を出しがちな困った騎士団長。
しかし、イザークの思う通りにはならなかった。
ティアナが素早く自分の口の前に両手を出したからだ。
おかげでイザークはティアナの手のひらにキスすることになった。
イザークの素早さを上回るとは、ティアナは運動神経と同じく反射神経もいい。
だんだんイザークのやることが読めるようになってきたというのもあるが。
「あ、あの、今はよろしくないかと」
「なんだ、嫌なのか?」
「いえ、私の問題ではなく」
「ゲホゲッフォン!!」
キスを阻まれて不機嫌な顔をしていたイザークは、大げさな咳払いに顔を上げた。
すると大量のドレスの端に、メイド服姿で立つ女性が目に入った。
「……カルラ、いつからそこにいた?」
「最初からずっとおりますよ」
心なしか、カルラの口元が引き攣って見える。
ティアナがイザークに待ったをかけたのは、思いっきりカルラがいたからだ。
ティアナに夢中すぎるイザークは、まったくカルラを認識していなかったが。
そんなイザークを前に、カルラはハァと小さく息をついた。
「本来なら昼食のお時間ですのに、食事も摂らずこちらに来られるなんて、ルーカスが困っていましたよ」
「えっ……イザーク、本当なのですか?」
じっと見てくるティアナに、わかりやすく顔を背けるイザーク。これでは肯定しているようなものだ。
「いけませんよそんなこと! 身体作りは騎士の基本ではございませんか!」
きちんと食事を摂ってから来ていると思っていたティアナは、イザークを心配して叱った。
心優しいティアナのことだ、自分が食事する間も惜しんで来ていることを知れば、絶対にこうなるだろうとわかっていた。だから言わずにいたのに、余計なことを……。
イザークはティアナから顔を背けたまま、目だけをカルラに向けギロリと睨みつけた。
するとカルラはビクッと身体を揺らし、肩を窄めた。
――本当はお優しいとわかっていてもこの迫力……動じない奥様はすごいわ。
カルラの反応は正常だ。味方でも怯えるほど、イザークの威圧感はすごい。
しかし生まれ育った宮殿でひどい扱いを受けてきたティアナは、イザークを一度も怖いと思ったことなどないのだった。
「朝晩に詰め込めば問題ない」
「朝と晩もこちらにお目見えでは?」
ティアナの素早いツッコミのせいで、イザークは顔の向きをなかなか元に戻せない。
ティアナが言う通り、イザークは業務が終わればティアナの部屋に来て、寝所をともにしてそのまま朝を迎える。で、業務が開始するギリギリまでティアナにべったりだ。
だからイザークはこの一週間、全然自分の部屋に戻っていない。もはやティアナがイザークの部屋のようになっているのだ。
「ここだけの話、最近あまり食欲がないのだ、胸がいっぱいでな」
「そんな……どこか具合がお悪いのですか?」
優しいティアナの声に、イザークはようやく顔の向きを戻した。
自分のために怒ったり悲しんだりするティアナに、イザークは不謹慎ながら喜びを覚える。
「身体は健康そのものだ、心配には及ばん……まあ、原因もわかっているしな」
その台詞を聞いていたカルラは、ああなるほどと、すぐに納得した。
あの人のことを考えると、食事も喉を通らないの……。
そんな乙女チックな症状が、イザークにも現れているのだと。
しかし恋愛経験のないティアナは、純粋にイザークを心配する。
そしてイザークが身体は健康だと言ったことから、精神面の影響かと思った。確かに気持ちの影響という部分では、間違っていなかったのだが。
――騎士団長なんだもの、きっと私には計り知れない重責を負ってらっしゃるのだわ……。
本当はただの恋煩いなのだが、大きな勘違いをしたティアナは、なにか自分にできることはないかと考えた。
「あの、よろしければ私にイザークのお食事を作らせていただけませんか?」
その台詞に、イザークの瞳孔がカッと開く。
いや怖い怖いと思うカルラだが、ティアナはやはり動じる気配はない。
「まだお菓子以外は作ったことがないので、カルラに教えてもらってからになりますが」
「それならわざわざ奥様がなさらなくても、私が旦那様の分まで――」
いつもティアナの食事はカルラが作っているので、それにイザークの分を追加すればいいだけ。そう思ったカルラが口を出したのだが、二人の耳には届かなかった。
イザークはティアナを見つめ、バックハグの状態のままティアナの両手をギュッと握りしめる。
対するティアナもイザークを一心に瞳に映していた。
「……よろしく頼む」
「はい、お任せください」
真剣に見つめ合う二人は、完全に自分たちだけの世界に入っている。
しかし、その心中はさまざまだった。
――イザークの元気がないと団員たちにも迷惑がかかってしまうわ、妻としてできる限りサポートしなくては。
――ティアナが俺のためにわざわざ手料理を……なんといじらしい、永遠の女神……。
微妙に噛み合っていない凸凹な二人だが、不思議と上手くいっているので、特に問題はなさそうだ。今のところは。