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第二十話、真実

 ティアナは廊下を小走りに進み、ポルカの部屋に辿り着く。

 すると、ドアが開いているため、すぐに部屋の中が見えた。

 ティアナは目を見開き、室内を見渡しながらゆっくりと部屋に足を踏み入れる。

 しっかりと電気がついているので、中は真昼のように明るい。

 床や天井が真っ白なのはティアナの部屋と同じだ。しかし、家具の色が違う。

 ティアナの部屋はピンクなのに対して、ここにあるテーブルや椅子、チェストやドレッサーに、お姫様ベッドの寝具まで、すべてが高貴な赤色をしていた。

 可愛いらしいドライフラワーやぬいぐるみも飾られているので、優雅な中に親しみやすい雰囲気もある。


「まあ……」


 ティアナがため息をつきながら室内に見惚れていると、ポルカが静かにドアを閉めた。

 一通り部屋を眺め終えたティアナは、最後に自分の後ろに立つポルカに目をやった。


「なんて麗しい部屋なの……まるであなたの瞳のようね」


 一目見た時から、ティアナはポルカの髪はもちろん、瞳も素敵だと思っていた。

 今、こうして間近で向かい合ってみて、改めてその美しさを感じる。

 しかしドアの前に立ったポルカは、せっかく見えていた髪をフードで隠してしまう。

 最初に会った時と同じ黒のローブ姿だ、どうやらこれが彼女の普段着らしい。


「……ここに来た時も、部屋のことを褒めてた」


 俯いてボソボソと話すポルカに、ティアナは初めて地下室に来た時のことを思い出す。


「聞こえていたの?」

「……声、大きかったから」


 可愛すぎる内装に騒ぎ立てたティアナの声は、きっちりポルカに届いていた。

 とはいえ、あの時は廊下でうるさくしていたから聞こえたのだろう。

 ティアナの部屋とポルカの部屋は地下室の端と端に位置するため、一番距離がある。

 だから同じ地下室に住んでいるとはいえ、物音や気配を感じることも滅多になく、ポルカの部屋を特定できなかったのだ。

 ちなみに最初、ティアナが地下室で他に誰かがいると感じたのは、嫁いできた王女が気になったポルカが、ティアナの部屋のそばまで来ていたからだった。


「そうね、あんまり興奮したものだから、つい大きな声を出してしまったの」


 今までの経緯を理解したティアナは、ふふっと困ったような優しい笑顔を浮かべた。

 それから姿勢を正すと、ネグリジェの裾を持ち上げ、膝を折り軽く頭を下げた。

 寝巻き姿なのであまりサマにはならないが、部屋に招き入れてくれたポルカに対する礼儀である。


「改めまして、私はティアナと申します。イザークの……」


 その続きを言い淀んだティアナは言葉を切った。

 ポルカとイザークの関係性がハッキリしない中、イザークの妻ですと言っていいものか考えた。

 しかし、ティアナが迷う暇もなく、ポルカが話を繋げる。


「あなたの話は、ルーカスから聞いてる。国王の娘なのに、嫌味のない優しい人だって……」 


 ポルカからルーカスの話を聞いたティアナは、少しくすぐったいような気持ちになった。

 城ですれ違ってもルーカスは愛想よく話してくれるが、そんなふうに言ってくれているとは思わなかった。


「あたしの考えた部屋も、可愛いって言ってくれてたし……気になって、庭までつけていったんだけど……」


 初めてティアナと遭遇した、あの時のことだ。

 ポルカは頭を覆ったフードを両手で押さえ、さらに目深に被る。

 ティアナより少し身長が低い上、背中を丸めるので、ポルカの表情はどんどん見えなくなる。


「あたし、人前に出るの、得意じゃないから……人と話すのも、あんまり……」

「そう、だけど地下なら、人目もないし安心ね」


 挙動不審のポルカにも変わらず接するティアナだったが、次の瞬間動きを止める。


「気を紛らわすのに、なにかしてた方がいいだろうって、お兄ちゃんに地下のデザインを任せてもらって」


 ――ん? 今なんて?


「あたし、可愛いの好きだから、こんな感じに」

「あ、あの、ちょっと待って」


 当然のように話を続けるポルカに、ティアナが焦って待ったをかけた。

 なぜって今、ものすごく重要なことをさらっと言われた気がしたから。


「話の腰を折ってしまって申し訳ないのだけれど……お兄ちゃんって……?」


 ティアナに言われた通り話を止めていたポルカは、フードの奥の瞳を丸くした。


「あたしのお兄ちゃん、イザークのことだけど」


 その瞬間、ティアナは耳を疑いながらも目の前が明るくなるのを感じた。

 ポルカの口から告げられたオニイチャンの一言……それは、イザークの愛人説の否定を意味していた。


「……お兄ちゃん、ということは、あなたはイザークの妹なの……?」

「え、うん」


 驚愕するティアナに対し、ポルカは冷めた口調であっさり答える。

 徐々に理解が追いついてきたティアナは、だんだん自分が恥ずかしくなってきた。

 考えてみれば、誰もイザークに想い人がいるなんて言っていなかった。周りの状況から勝手に思い込み、勘違いしていたのだ。

 そもそもイザークの情人にしては、ポルカは可愛らしすぎるというか、幼すぎるし、他に好きな相手がいるにしては、イザークはティアナにベッタリしすぎている。

 それもこれもポルカが妹だと考えれば、納得がいくことばかりだった。

 愛人を囲うイザークなんて、最初からどこにもいなかった。存在するのは、妹思いの情に厚いイザークだけ。


 ――ごめんなさい、イザーク……こんなに純粋なあなたに、私はなんて思い違いをしていたの……。


 反省したティアナは心の中でイザークに謝ると、改めて現実を受け止める。

 愛人がいないということは、つまり、イザークが抱いているのは自分だけということだ。

 ようやくその考えに至ったティアナは、ホッと胸を撫で下ろした。


 ――あれ? 私……どうして安心しているのかしら?


 何気ない自身の変化に、首を傾げるティアナ。

 恋愛経験など微塵もない彼女は、まだ自身の中に芽生えた感情に気づいていない。

 イザークに愛人の影を感じる度、胸がモヤモヤしていたのも、その感情が原因なのだが。

 そうしてしばらく疑問符を浮かべていたティアナだったが、やがて今の状況を思い出してハッとした。

 せっかくポルカと話す機会を得たのに、他のことを考えている暇はない。

 そう思ったティアナは、気持ちを切り替えると、再びポルカに向き合った。

 ポルカは黙り込んだまま、ティアナを探るような瞳で見ている。

 ピンクの髪に赤い瞳、小柄で素朴な顔つきのポルカ。

 漆黒の髪に黄金の瞳、長身で端麗な顔つきのイザークとはまったく似ていない。

 この容姿の違いを見れば、ティアナの中に兄妹説が浮かばなかったのも納得できる。


「そうだったのね、ごめんなさい、知らなくて……見た目もあまり、似ていなかったものだから」


 まさか愛人だと思っていたなどと言えるはずもなく、ティアナは遠慮がちに言葉を返した。

 するとポルカはピクリと反応を示す。


「……お兄ちゃんはお父さん似で、あたしはお母さん似だから」


 そう、ならば二人の母親はポルカのような色合いをしていたのだろうか。自分やポルカと同じ、珍しい髪色の――。


「あなたも、稀髪なんだね」


 ティアナの思考が、ポルカによって代弁される。先ほどの小さな声ではなく、ハッキリとした大きな声で。

 ポルカはなにを思ったのか、急に背筋を伸ばし、フードを一気に脱いだ。

 するとローズクォーツのように美しいボブヘアーが、ティアナの前に晒される。

 照明を浴びて煌めく髪に、ティアナは目を奪われ一瞬言葉を失くした。

 それでも返事をしなければと口を開くが――。


「あ、ええ、そうな」

「だけど王女様なら、奴隷市に売られたりしなかったでしょ」


 ティアナは再び言葉を失った。

 今度は感激ではなく、驚嘆のせいで。

 正面からティアナを見据えるつぶらな瞳。ガーネットのように高貴な赤が震えていた。


「マルティンが奴隷制度を始めたの、あたしたちみたいな稀髪は珍しいから、国内外問わず金持ちに高値で売れる、そして買われた先で、コレクションやおもちゃになるの」


 やや早口で声を荒げながら、語られる事実をティアナは瞬きもせず聞いた。


「だってあたしたちには人権がないんだもん、奴隷落ちした人間なんて、汚くてなんの価値もない――」


 取り乱したポルカが息を詰まらせそうになった時、ティアナは思わず彼女を抱きしめた。

 その身体は小さく、震えていて、だけど温かく、必死に生きているようで堪らなくなった。


「……ごめんなさい」


 ティアナは心を込めて謝った。

 これがマルティンの娘として生まれた自分に、今できる唯一のことだった。

 どれほど辛い目に遭ってきたのだろう。

 ポルカの過去を思うと、ティアナは胸が痛み、そして自身の甘さを思い知った。

 稀髪と奴隷市の現実――冷遇されていたとはいえ、衣食住に困らなかっただけでも、自分は恵まれていたのだろうと。

 もちろんそれはマルティンの優しさではなく、ティアナを利用するための保険として飼っていただけであったが。


「私が、謝って済むことではないけれど……本当に……ごめんなさい――」


 まさか抱きしめられると思っていなかったポルカは、驚いて動きを止めていた。

 しかし、ティアナの言葉だけは、しっかりと届いていた。

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