それから数日後、城を囲む庭に三人の姿があった。
「せっかく綺麗になったし、なにか植えたいわね」
ティアナは立ち上がると、手袋についた砂をパンパン払い落として言った。
今のティアナはドレスではなく、カルラに借りたメイド服を着ている。
草抜きなどの作業をする時は、ドレスは動きにくく汚れやすい。そのため、必要に応じてカルラの服を借りることにしたのだ。
丈が膝下であるメイド服に、ヒールの低い靴を履けば、かなり作業がやりやすくなる。
なにより、メイド服に馴染みがあるティアナは、めちゃくちゃ着心地がよかった。
そんなティアナの隣には同じく手袋をしたポルカと、二人を見守るように立つカルラがいる。
「うん、お花植えたい」
そう言うポルカは相変わらず黒いローブを纏っているが、フードは被っていない。ティアナやカルラの前では髪を見せるのに抵抗がなくなっていた。
あれからすっかり打ち解けた二人は、今では一緒に草抜きをする仲になった。
そのおかげで雑草はなくなり、綺麗な砂地ができている。
ビクトール城は高台の上にあるので、日当たりがいい。今は乾燥しているが、水をやり土を慣らせば花の育成も可能だろう。
「いいわね、お花、なにがいいかしら? なるべくこのお城の雰囲気を壊さない方がいいわよね、だとしたらイザークのイメージに合うお花とか」
「お兄ちゃんのイメージ……」
イザークから連想される花……それを考えた時、ティアナとポルカはすぐにピンとくるものがあった。
互いにそれを感じ取ったのか、二人は目を合わせて同時に口を開く。
「黒薔薇」
完璧に言葉が重なり合った二人は、一拍置いてぷっと笑い出した。
ティアナはあははっと快活に、ポルカははにかむように控えめに。
「すごいわ、完全に一致したわね、私たち気が合うわねポルカ」
「ん……だね、ティアナ」
互いを名前で呼び合っていることからも、二人の親しさが伝わってくる。
どうやらこの場所に植える花は、黒薔薇に決定のようだ。
ならば早速準備を進めるか……そうティアナが考えた時、ふとあることを思いついた。
「ああ、でも、お花を植えるなら、イザークに許可を得た方がいいかしら、なんでも報告しろと言っていたし」
ティアナが思い出したのは、イザークの言いつけだった。
砂地を整備することは許可を得ているが、花を植えて庭園のようにする、とまでは話していない。
しかし、ティアナの言葉を聞いていたカルラが、すぐにその必要性を否定する。
「いえ、もう確認せずともよろしいかと。旦那様は奥様とポルカ様には本当に甘くていらっしゃるので」
ティアナが後ろを振り向くと、カルラは頷く代わりに微笑み返した。
イザークが妹であるポルカを大切にしているのは、この城中の人間が知っていることだ。
そして今はポルカのみならず、妻のティアナにも……いや、むしろティアナに対する方がとてつもなく甘い……ということを、カルラは知っている。
そのため、よほどのことでもない限り、イザークには事後報告でも問題ないだろうと考えたのだ。
カルラの話を聞いたティアナは、確かにそうかもしれないと笑顔で応える。
「ふふ、そうね、本当にお優しい方だわ」
ふわりと柔らかな笑みを浮かべるティアナは、花のように可憐だが……どこかずれている。
まるで自分が特別扱いされているのを、わかっていないようだ。
イザークの想いにすっかり気づいているカルラは、このままではいけないと危機感を持った。
「あの……奥様、先にお断りしておきますが、旦那様は決して、誰にでもお優しいわけではございません」
「そうかしら? 優しさがなければみんなついて来ないと思うわよ」
暗にイザークの気持ちを伝えようとするカルラだが、ティアナはいつもこんな感じだ。
カルラからすれば、あんなにわかりやすいのに、なぜ気づかないのかと不思議なくらいだが。
ティアナからすれば、イザークの自分に対する行いは、夫婦としての形を保つために必要なものだと思っていた。
人質として迎えたとはいえ、夫婦であることに違いはない。だから寝所をともにするのも妻としての当然の役割……といった認識なのだ。
その中には『勘違いしてはいけない』という、ティアナの自己抑制も含まれているのだが……。
その辺りについてティアナ自身は無意識なので、特になにも感じていない。
イザークから愛の告白でもあれば別かもしれないが、彼は口下手ゆえ、肝心な気持ちを言葉では伝えていない。
そのため、ティアナとイザークは肉体的には結ばれても、まだ心はすれ違ったままだった。
そんな二人の恋模様が目に見えるように浮かぶカルラは、ため息混じりに心で呟く。
――旦那様……これで本当によろしいのでしょうか……?
全然よろしくないのだが、メイドであるカルラがティアナに直接「旦那様はあなたを愛しています」と言うのも、出しゃばりすぎて違う気がする。
そもそも第三者が言ったところで、ティアナが本気にするとも思えない。
「いえ、まあ、それはそうなのですが、優しさの種類というものが違いまして」
「では早速黒薔薇の手配をした方がいいかしら」
「決まったお花屋さんがあるから、そこにしよ」
なんとか察してもらおうとがんばるカルラだが、ティアナはすでに聞く耳持たず、ポルカと黒薔薇の話を進める。
今日もやはり、イザークの想いはティアナに届かないままだ。
「もしかして、地下室に飾ってあるお花のお店かしら?」
「うん、あたし外出るの怖いから、カルラが頼んでくれてる」
「なるほどだわ、あんなに美しいお花を扱っているお店なら間違いないわね。カルラ、お願いしてもいいかしら?」
悩んでいたカルラは、急に話を振られて一瞬驚いた。
とはいえ内容は聞いていたため、なにを頼まれたかはわかる。
「あ、は、はい」
急いで返事をするカルラに、ティアナは姿勢を正して向かい合うと、きちんと目を見て微笑んだ。
「いつもありがとう、よろしくお願いするわね」
身分に関係なく感謝を伝えるティアナは、いつ見ても美しい。
この方のためならなんでもしようと思わせる。
「……かしこまりました」
カルラは先ほどまで悩んでいたことさえ忘れ、気づけば頷いていた。
しかし、ポルカが言っている店は、ドライフラワーが主体なので、生花の数は期待できない。太陽が届かない地下室では、生花を長持ちさせるのは難しいので、カルラがわざわざドライフラワーの店を見つけ、そこに注文を頼んでいたのだ。
とはいえ、楽しみにしているティアナとポルカを見ると、カルラはとても断ることができなかった。
そんなカルラの心境を知らないティアナは、了承を受け嬉しくなってポルカを見た。すると彼女は赤い瞳を細め、口元を緩めていた。控えめだが、喜んでいるのが伝わってくる。
「黒薔薇……楽しみ」
「そうね」
まるでプレゼントを心待ちにする子供のような、純粋で可愛らしいポルカにティアナは胸がキュンとする。
今までティアナの友人といえば、遠く離れた異国に住む、ムアンルド国王のシニャールくらいだった。
だからポルカはティアナにとって、初めてできた歳の近い同性の友人なのだ。
さらにイザークの妻であるティアナからすれば、ポルカは義理の妹でもある。
そんなポルカの幸せを、ティアナが願うのは自然なことだった。
そしてポルカを思うほど、浮かんでくるのはあの人物の名前。
「……イザークが黒薔薇なら、ルーカスはなにかしらね」
ティアナが様子を窺うように、チラッとポルカを見て言った。
するとポルカは目を大きくし、パッと俯いてしまった。
「……さ、さあ、わかんない」
白い頬を染めながらモゴモゴと答えるポルカ。ルーカスの名前を出すといつもこんな感じで、なかなか話が進まない。
ポルカの反応からして、ルーカスに好意があるのは明らかなのだが……。
「そうだ、よかったら私と一緒にマフィンでも作らない? イザークに渡そうと思っているから、ポルカもルーカスに……」
「ルーカス、甘いもの苦手だから」
「あっ、そ、そうだったのね、ごめんなさい!」
せっかく頭を捻って提案をしたティアナだったが、ポルカの言葉にあえなく撃沈する。
その後はティアナもいい考えが浮かばず、辺りはしーんと静まり返った。
――き、気まずい……。
自分からルーカスの話題を振っただけに、どうしようか悩んだティアナは、急に額に手をあてて目眩を起こしたふりをした。
強引に空気を変えるための荒技である。
「ティアナ、大丈夫?」
「ええ、少し疲れただけよ、そろそろ部屋に戻ろうかしら」
本当は今から城を十周走れるくらい元気なのだが、華奢でか弱く見えるティアナを疑う者はいない。
城生活が長くなるにつれて、定期的に病弱な演技をするのも慣れてきたティアナ。
しかし、みんなを騙している罪悪感は、最初と変わらず常にある。
「奥様、どうぞ私に捕まってくださいませ」
「あたしも支えたげる」
「……ありがとう、二人とも、でもそんなに大したことないから」
いつか本当のことを言って、嘘のない自分で向き合える日が来たらいいのに……。
そんなあり得ない夢を見ながら、ティアナは二人とともに城内に戻った。