契約から数日経った、週の初めの月曜日。薩日内さんから言われた通り、動きやすい服装に身を包んでいた。春は暖かくなったり、かと思えば冷えたりする。
けれどこの気候が良い。僕の思い描くファンタジー像にぴったんこだ。
まず、アウトドア用の紺色のフード付きアウターに身を包み、鎖骨ほどまでジッパーを上げる。下の履き物もアウトドア用にしようかと思ったけど、まるで登山に行くようだからやめた。代わりにデニムパンツを履き、靴はスリッポンタイプの靴紐のないデザイン。荷物はRPGゲームの主人公に憧れて購入した、ウエストバッグを肩から斜めに掛けた。
待ち合わせ場所に指定された仙台駅。改札に1番近いトイレの中、姿見でコーディネートを見て笑みを溢す。
これから1年、薩日内さんと冒険するんだ。観光なんていうけど、不老不死と言われる薩日内さんと過ごすんだから何も起こらない訳がない。
もしかしたら伝説のお宝や、地図に載らない町、魔法に近いような事だってあるかもしれない。
だからいざって時にその瞬間が収められるよう、家族から借りた一眼レフやインスタントカメラ、新品ノートを数冊持参した。うーん、僕ってばかなり優秀だな。冒険を記録する事に意欲があるのは素晴らしい。
それもこれも、長いこと病院で過ごして来たが故の憧れが原動力。薩日内さんへの興味は誰にも負けない自覚がある。
薩日内さんへの質問だって沢山……そうだ、時間があるからカフェで質問でも考えよう。薩日内さんを困らせないように事前に準備した方が良いよね。
行動を好奇心任せに、トイレを飛び出して同じフロアにあるチェーン展開しているカフェへ入る。そしてカフェラテを注文し、ガムシロップとミルクを甘ったるくなるまで入れたら、店の角奥にある席へ着く。
何を聞こう。年齢は怒られたから、出身地とかからにしようか。真新しいノートを広げ、ペンを転がす。後は家族構成とか、誕生日とか。当たり障りないプロフィールから攻めて行こう。
念のため時計に目をやると、8時30分を過ぎたばかり。約束は10時、集合場所はかの有名なステンドグラス前。このカフェからは1分もかからない。だからまだまだ時間はある。
淹れたてのカフェラテを啜りながら、僕は時間の許す限り質問を考えていく。
*
体感だけど、きっと良い時間だ。病院では時計を見なくても今が何時なのかすぐにわかった。僕の特技と言っても良い。ノートやペンをしまい、カフェにコーヒーカップを返却する。
カフェを優雅に退店、土産店を横目に改札口に向かう。質問も用意できたから走りたい気分だけど、こんなところで病弱発揮したらたまったもんじゃないのでここは抑えて落ち着いて歩く。
薩日内さんはこの間と服装を変えないと言っていたから、すぐにわかった。東北最大のターミナル、どれだけ人がいてもあの蛍光黄緑ジャンパーだけはわかる。仙台の街へ繰り出す人、またはどこかへ向かう人、行き交う人々の中でも一番綺麗な気がする。横顔も凛としていて、改札口を見る目力が強い。あと、胸が大きい。
今からあの人と1年間過ごすって、結構ラブコメ要素あるな……。ファンタジー作品にも美人なヒロインは付き物だし、ますます期待してしまう。
「薩日内さん!」
右手を上げて彼女の名前を呼ぶ。すると、薩日内さんはすぐにこちらを向いてくれた。少し待たせちゃったかなと申し訳ない気持ちになったので、小走りになる。
そしたら後ろから裸足で走るような音が聞こえて、そう思ったら何かに追い越されて、刹那、ビュンと髪の毛が風に吹かれたように靡いた。本当にいきなり、びっくりした。
一瞬だったから何が通ったかなんてわからないけど、赤い何かだった。不思議に思いながら薩日内さんに近づくと、彼女は険しい顔で「おはようございます」と早口に言った。
「今何か通りましたよね?」と聞いてみた。けれど薩日内さんは被せ気味に「いいえ」と強めに否定。綺麗な顔はますます険しくなった。会って早々機嫌が悪いなんて。
「何か嫌なことでもありました?」
「なぜそう思いますか?」
質問に質問で返して来るなんて、もしかして僕が何かしちゃった感じ? まだ会ったばかりなのに何かしたっけ。言葉が出てこなくて黙り込むと、薩日内さんは僕の左手首を掴み、そのまま僕の顔へと近づけた。
「遅刻している自覚はありますか?」
「え……!?」
時計を見ると10時ではなく11時。1時間も遅刻している。さっきまであんなに余裕だったのに、額や脇からブワッと汗が出てきた。
「だって病院じゃ時計を見なくても時間がわかったんですよ? 今日はたまたま遅れただけですってば!」
「――病院? なんのことか存じませんが、成人されているのであれば、いえ、そうでなくても時計を見て時間は守る。常識だと思いますが、何か遅れてしまうご事情がおありですか? 例えば、突然お腹が痛くなった――とか」
「違いますよ! そこのカフェで薩日内さんにする質問を考えていたんです!」
改札口の前なので、周りの人は皆僕らを見て行き交う。薩日内さんは大きなため息をついて、目つきを変えて腕を組んだ。
「全く理解できません――が、遅れてしまったことを咎めても時間の無駄です。万が一、今後遅れてしまう際は私の携帯に連絡をお願いします。観光ガイドは私だけでなく他の方に協力していただくこともあります。その方々に迷惑をかけないためにも時計を見ての時間厳守、徹底をしてくださいね」
「はい……」
今日だけの失敗なんだけどな。けど僕が遅れてきたのが悪いし、怒られてばかりだから薩日内さんの言うことは聞くようにしよう。希望に満ちていたのに、怒られたことで一気にテンションが下がってしまった。
ここに立っているのもなんだからと、薩日内さんは「ずんだ」を使ったシェイクを飲もうと提案してくれた。カフェラテを飲んだ後だから迷ったけど、これもガイドの一環ですと言われたら断れない。
「ずんだ」は宮城県の名物だと知ってるけど、そんなに身近じゃないし、所詮は観光客向けの物だと思ってる。
渡されたシェイクは確かに美味しい。バニラアイスの中に枝豆がいる。薩日内さんも「美味しいでしょう」とやっと僕に向けて笑顔を見せてくれた。
「ずんだの由来は
別に興味のない説明だなぁ。なんて言っちゃいけないか。ずんだはずんだ、それでいいんだけど。これもガイドのうちなら仕方ないか。
「どれでもいいですけど、一応伊達家の子孫なので政宗のですかね」
「あら。同じ伊達だと思っていましたが、やはりそうでしたか。それなら仙台のある程度はご存じですね」
「いや……」
確かに僕は伊達政宗の子孫だ。けれど入院生活が長すぎて社会との関わりがない事や、伊達家の事もろくに知らない事、宮城県はおろか住居である仙台市さえ歩いた事があまりないと正直に伝えた。
退院して家の事を知ろうと思い資料を漁っていたら、薩日内さんの名前があったから知りたくなった事も話した。不老不死の人がいるなら会ってみたい、ファンタジー好きの血が騒いだーと。
薩日内さんは少し遅れて小さく笑い、足元を見ていた。
「――……あなたもですか」
「え?」
ボソボソと小さい声だったので聞き返す。彼女は噂話を信じているなんて馬鹿らしいと言うように笑った。
「不老不死なんてあり得るわけないじゃないですか。物語だけのお話ですよ。よく勘違いされますが、それは同姓同名です」
「……ですよ、ね。いやぁ、不老不死って憧れてたんだけどなぁ。病気で生死さまよったから、無限に生きられたら怖くないのにーって」
「これからいろんな事が出来ますよ。不老不死でなくてもね」
薩日内さんは簡単にそう言うけど、僕の体は爆弾を抱えてる。無理をして動いたら倒れそうにもなるし、人よりも弱い。出来る事は制限されてるんだ。本当はこのガイドだって家族には反対された。体の事があるし、その最中に命を落としたらどうするの、と。
けど、どうしても薩日内さんの事が知りたかったから強行したんだ。高いお金を払ってでも知りたい。それが今の僕の生きる理由さ。
今だって不老不死じゃないと言われても、僕は簡単に信じない。珍しい苗字、名前、偶然同姓同名なんて怪しい。
今日は初日だから教えてくれないだけだと思う。少しずつ仲良くなれば、本当の事教えてくれるかな?
『
僕の心を読むように、誰かがそれを否定する。薩日内さんではない他の誰か、子供の声がケタケタと僕の考えを笑っている。
あたりを見渡しても、そんな風に見える人はいない。それに声はすぐそばで聞こえた気がするし、やっぱりほら、薩日内さんの事となると不思議な事が起きるんだもの。
「どうかしました?」
キョロキョロ、挙動不審な僕に声をかけてくれた。また余計な事を言うと怒られそうだから黙っておこう。
僕は薩日内さんの質問をスルーして、今いちばん気になる事を質問した。
「っていうか、なんでずっと敬語なんですか?」
「それは――まぁ、契約していただいたお客様ですから」
「えぇ、堅苦しくてイヤです。それに、ずっと怒られているみたいだし……もっと友達みたいに話してください!」
「……そうですか?」
「そうです! もっとフランクにいきましょうよ! 薩日内さん、美人でおっぱい大きいのに、敬語で話すと顔が怖いから勿体ないですって」
僕の口は思った事を何も考えずに発してしまう。薩日内さんの顔がさっきより怖くなった。ヤバイ、どこがダメだったんだろう。
「あ、おっぱい大きいはダメでしたか!?」
また繰り返す愚かな僕。薩日内さんが怒っているのは嫌でもわかる。
「おだずな!」
この間も同じ事言われたっけ。顔に投げつけられた、シェイクの入れ物がクリーンヒット。
顔がバニラアイスの匂いで包まれた。ベタベタして気分は悪いけど、薩日内さんが感情を剥き出しにしてくれるのが、仲良くなる近道な気がして嬉しいや。
始まりの仙台駅。僕と薩日内さんのガイドは楽しいものになりそうです。