薩日内さんはすぐに怒る。
「おだづな」と言われながら、ビンタを食らった。頬がとっても痛い。摩ると熱くなって余計痛い。でも摩っていないと不安になる。ボコっと腫れたりしないだろうか。冷えピタか何か欲しい。大袈裟だと言われても、痛いんだから仕方ない。
ブルーな気持ちは止まらない。こんな雨なのに外に連れ出されちゃうしさ。傘を持ちながら歩くのは煩わしくて敵わない。僕のイメージする観光ってのは、もっと気軽で楽しい物だと思ってたけど、どうも違うっぽい。
嫌々仙台駅の2階デッキから東口に出ると、1階にある夜行バスの停留所が目についた。ロータリーになっていて、バスだけでなくタクシーも出入りする。キャリケースを持つ人がいるから、あれはきっと県外行きなんだ。
病室のベッドの上、ニュースの画面だけで見ていたその光景を肌で感じる事が出来ている。
駅って凄い。電車や新幹線だけでなく、バスでも何処か遠くへ行ける術を用意してくれてるんだ。
「すごい! あれに乗れば東京に行けるんだ!」
「新宿行き――そうですね。5、6時間も乗っていれば大都会ですね。で、声のボリューム落とせます?」
成人を超えているのに大はしゃぎな僕に、薩日内さんは眉間に皺を寄せながら怒った笑顔という不思議な表情で敬語を使う。
薩日内さんには敬語で話して欲しくないんだけど、僕が非常識をしたらそうすると言って曲げないんだよ。
また怒られると興奮も冷めた。持って来た和傘をさし、停留所に目を落とす薩日内さんに問いかけた。
「どこに行くんですか? 雨が降ってるのに。あ、バスを使うとか?」
「貴方が超絶遅れて来たから予定変更です。
「つつじがおか?」
「まさか、知らないと?」
「聞いたことあるような気がしますけど、宮城県に榴岡なんてとこありました?」
「本当に何も知らないんですね。まぁ病気だったみたいだし仕方ないか」
さぁ、いくよーーコウモリと呼んだ方がしっくりくる黒い傘から、ちゅるんと垂れる茶髪の長いポニーテールがゆさゆさと重みを出して揺れる。
薩日内さんの綺麗な髪に目を奪われながら、エスカレーターに乗り、1階に着くと電光掲示板が眩しい商業施設を正面にしてスタスタと歩いていく。
雨だけど人は多い。仙台駅を背中に緩やかな坂道を歩きすすめると、次第に人は減り、通り道にある住宅展示場を超えた途端、めっきり人がいなくなった。そりゃあ数人はいるけど、駅周辺とは大違いだからびっくりだ。
けど、これで薩日内さんの隣を歩ける。僕は小走りで彼女の横に並んだ。
「薩日内さん!」
「何?」
パッチリと大きなツリ目が僕を見る。やっぱり綺麗な人だな。何かの番組で仙台は三大ブスのうちの1つなんて言ってたけど、あれはウソだ。
薩日内さんを取材してから番組を作ってもらわなくちゃ。そうなるとテレビも案外当てにならないのかも。
薩日内さんの横顔に用意してきた質問を口に出してみた。
「薩日内さんは何歳ですか?」
「……」
「あ、あ、もしかしてまだ聞くの早かったですか!?」
ヒャー、また怒られる。この間が怖い。傘に打ちつける雨音がより大きく聞こえるよ。
「18歳」と薩日内さんがポツリ。
「18? じゃあ、僕より年下ですか」
「そうなるね」
「本当に?」
「……何が言いたいのよ」
立薩日内さんの前に立ち、顔を覗き込んだ。傘の骨組みから垂れる雨粒のカーテンの向こう側で、薩日内さんは瞬きを一度する。
「不老不死的には何歳ですか?」と、努めて笑顔で感じよく。
「普通に18歳! 超絶失礼なんですけど!」
あーやっぱり怒られた。でも質問はこれだけじゃない。軽く謝って、また横に並んで歩く。
「じゃあ、薩日内さんは何処に住んでるんですか?」
「何がじゃあ、ですか! 業務に関係ないので黙秘します!」
「どのへんかだけでもいいじゃないですか!」
「嫌です! 第一、あなたに言ってもわからないでしょ! 榴岡も知らないくせに!」
「ヴッ」
興味だけで質問しても薩日内さんの言う通り、知識がないからそこが何処かなんてわからない。自宅の住所は当たり前に書けるけど、他の例えば仙台市なんとか区の次の住所は知らない。
そもそも仙台市以外の市町村だってろくに知らなかった。なのに僕ったら、教えて貰えたらわかりますみたいな顔で聞いた。
もっと勉強しよう。家に郵便番号簿があったはずだからそれを頭に叩き込むんだ。勉強とか全然出来ないけど、地名くらい知っていたらなんとかなる!
決めた事を忘れないように携帯のメモへ打ち込んだ。けれど、画面が雨に濡れて上手く打てない。ワァワァ騒ぎながら歩いていると、薩日内さんは歩みを止め、歩きスマホをしている僕のパーカー部分を掴んで来た。
「はい、貴方が騒いでいるうちに榴岡へ着きました!」
辿り着いたのは、桜と石畳の上にベンチが幾つか並んだ広場。公園の入り口にある大きな岩に「榴岡公園」とプレートが嵌め込まれている。なんか聞いたことのある名前だ。
桜の木の間に道が見え、木と木の間にぷらんと祭りを匂わせる提灯がぶら下がっている。風が吹くと雨に濡れた桜が花びらを儚げに落としては、それが地面の模様になっている。
桜を見て、電球がスイッチを入れたようにハッとした。
「榴岡って、桜の!」
「今更?」
榴岡とだけ言われたからピンと来なかったけど、桜の名所である榴岡公園なら知っている。
仙台駅から徒歩で行ける場所に位置している広い公園。県内ニュースの桜の知らせを見ると、なんだか面白くないから見ないようにしていたっけ。
「生憎の雨ですが、雨に濡れる桜を見るのもまた一興。花見は人が多いもの。今日は平日で雨。人も少ないですし、あなたの体調に合わせて歩けるでしょう」
彼女はそう言って桜並木の下を行く。敬語を使われているのがモヤっとポイントだけど、僕の事を考えてくれているのだと想うと嬉しくて仕方ない。
ガイドが始まると、先ずは花の種類について説明を受けた。公園内にはソメイヨシノ、シダレザクラ、ヤエベニシダレ、カンザン、オオシマザクラ、エドヒガン、ジュウガツザクラ、ギョイコウ、ウコンザクラ……なんていう、何が違うのかさっぱりわからないけど、19種類の花が咲いているらしい。
名前を聞いても桜は桜。早く咲く桜とか遅く咲く桜とか個体によって違いはあるんだろうけど、僕は到底どうでもよかった。
雨がかからない程度に傘をずらし、桜を見る。ガイドには「へぇ」だの「ほぉ」だの適当に返事をする。何度も言うけど、勉強みたいなのは嫌いだからね。
「――貴方には簡単過ぎる内容だったようですね。つまらないガイドを失礼しました。では、これからガイドしようと考えていた榴岡公園の桜に貴方の先祖が関わっている事もご存知でしょうね」
「え?」
つまんないって思っていた心が読まれたの? ってくらいトゲのある言い方。同様して傘を手放してしまった。
知ってますよ、なんて見え透いた嘘は薩日内さんにバレバレ。呆れた負の感情を含み、細めた目の形が僕のガラスのハートに突き刺さる。パリン。
「その反応……知らないんですね」
「逆に知ってると思わないで欲しいですね!」
「何を威張ってんですか! 無知は恥ずかしい事ではないですけど、無知を威張るのは超絶みっともないです!」
僕の無知を埋めるように、薩日内さんは榴岡公園の桜についてし始めた。雨音が強くなるにつれ、薩日内さんの口調も強くなっているのは気のせいかな。
「4代目仙台藩主――綱村がお母様のご冥福を祈って釈迦堂を建てました。京から取り寄せたシダレザクラを取り寄せて植え、綱村が民衆にこの地を解放したのが花見のはじまりです」
「京って?」
「京都の事です」
薩日内さんは続ける。榴岡の地は江戸時代ではすでに花見の名所として栄えていたけれど、戦後の荒廃や樹⽊の⽼衰によって木々は少なくなってしまった。けれど、再び桜の名所として復活させてたいという声が上がり、また桜の木が植えられたんだとか。
「綱村さん、せっかちだから桜はまだかまだかって忙しなかったんですよ。その性格がもとで藩財政が苦しくなったけど……榴岡公園に関しては綱村さんあっての場所ですよ」
薩日内さんは友達の話をするかのようで、ガイド中は終始笑顔をだった。
市民の憩いの場か。公園内には松尾芭蕉も訪れたという榴岡天満宮や民族資料館、野外音楽堂やら近代的な噴水、だだっ広い芝生の広場。
この憩いの場で万人が桜を見て笑顔でいられるのは、僕のご先祖様のおかげ。遠い昔のことだけど、この血の中にその人のDNAが入っているんだ。伊達家の子孫って特別な感じがするけど、それが自分の事だと急に他人事だな。
他の説明も今回はちゃんと耳を傾けて聞いた。無知を威張るのは恥ずかしいーーと叱られたのが恥ずかしかったんだもん。黙ってついていくと、公園内ある東屋で休憩。
傘を折り畳み、雨で濡れていない椅子に腰をかけた。
「お疲れ様でした……宮城の事は知らなくとも、ご自分の御家の事は知っておいたほうが良いですよ。私がとやかく言うことじゃありませんが――」
「名前を知っているだけじゃダメですか?」
「貴方は伊達家の子孫でしょう。少なくとも他の方とは家柄というものが違います。出生は選べませんので、理不尽ですけどね」
そうは言われても……。退院してきてすぐに伊達家子孫の自覚を持てとか、いきなり過ぎる。
学校に通ったり仕事に言ったり、皆には当たり前で普通の生活が羨ましい――けど、その生活を送りたいとは思えなくなった。伊達家の後継とかそういう話は、健康で大学卒業まで普通の生活を送ってきた兄さんに任せておけばいい、と思う。
僕が送りたい日常は、今までのセピア色を覆すような誰もが非日常とする日常。
ご先祖様が民衆のために頑張っても、僕は自分のためにしか頑張れない。それを薩日内さんを始め、家族までもがわかっていないんだ。
「――貴方には通常の観光ガイドではなく伊達家に関わりのあるガイドへ変更にしましょう。その方が貴方の為ですね」
ほら、わかってない。涼しい顔で仕事をこなそうとするばっかり。どうせ桜だらけの公園にきたならスサノオ桜伝説とか、そういうのが目の前で起きて欲しいんだよ。
僕が期待するのはガイドではなく摩訶不思議。ファンタジーに尽きる!
「そんなつまんない勉強みたいなガイドより、何か起こりそうなガイドにしてくださいよ! 不老不死なんでしょ!」
我慢が出来ず、傘を投げては立ち上がり、薩日内さんに詰め寄った。
「だから不老不死じゃないってば!」
「だってこの紙を見たときに、声がしましたよ! 何故死ねない! って! 薩日内さんの声で! ほら!」
お爺ちゃんと一緒に見た、薩日内さんの名前が記してある古紙を突きつけた。家にあった、それこそご先祖様が書いたに違いない書物の中からそれが落ちてきたんだ。薩日内さん
は表情を変えないけど、紙を見てから黙った。
東屋の屋根に打ち付ける雨音が大きく響く。僕が薩日内さんを押してるのでは?
「僕、入院中にファンタジー小説結構読んでるんです。不老不死の人って、死にたがるらしいんですよ」
「現実的でない事を言うのはやめてください、世の中は貴方が想像するお花畑のような空想で出来ていません。成人しているなら今を見てください!」
せっかく50万払ったのに、夢すら見させてくれない現実主義っぷり。こんなに今にこだわるの18歳っているのかな? 世の中にはいるのかもしれないけど、僕は薩日内さんが不老不死だと思っているから怪しくしか感じない。
「綱村さんの事、めっちゃ詳しかったですよね」
今度は綱村のご先祖様について親しげに話していたことを突いてみる。
「文献を見ればわかることです!」
目を見開いてムキになる。不老不死でない僕なら「実は生まれ変わりでね、」なんて冗談をかましてみるけど、薩日内さんは否定するだけだ。不老不死の話題の時は必ず怒る。
「人を化け物と期待して何が楽しいんですか!? 本日のガイドは終わりです!」
薩日内さんは東屋から飛び出して、傘もささずに公園内を全力疾走。逃げたとしか思えない。不老不死だと吐かせるなら今日かもしれない。僕は薩日内さんの気持ちも考えずに後を追う。
僕も東屋を飛び出すと、またビュンと勢いよく髪の毛が風に吹かれた。そして今度ははっきりと見えた。12歳くらいの男の子が顔を鬼灯みたいに赤くして、手には提灯を持って、僕に足掛けしたんだ。足掛け? いや、なんかヌメンとした粘膜を含んだ何か――それが足元をおぼつかせた。
『永のこといじめたらだめだよぉ』
「え」
ずるりと滑って、雨で濡れた芝生に顔から突っ込む。今風ではない、時代劇に出てきそうな和服を着て、確かにそこにいる。声だって、耳から聞こえるというんじゃなく、頭に響いて聞こえる感じ。
その感覚がとっても気持ち悪かった。非現実的って結構体に負担がかかるのかも――。
『さすが政宗公の子孫、妖怪も見えちゃうんだ』
手には顔がついた赤い提灯、男の子は僕の顔を覗き込んでニカッと歯を出して笑う。僕の弱い心臓は、この世のものでは無さそうなそれに耐えられなくて、口からフッと意識が抜けていった気がした。