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7箇所目 薩日内さんは妖しい


 目を開けたら、東屋の焦げ茶の天井だった。視界のモヤが取れるまで一点を見つめていると、薩日内さんが前屈みになって顔を覗き込んでいる。


「目が覚めましたか?」


 川から打ち上がった魚のように長椅子から飛び起きると、薩日内さんは腕組みをして僕を見下ろした。


「僕は寝てたんですか?」

「よくわかりません。気を失っているように見えましたけど。貴方なら眠っていてもおかしくなさそうですね」


 あ、怒ってる。ついでにどうでもいいとまで思ってそうな口調だ。

 僕は真面目に聞いてるんだから、ちゃんと答えてくれなきゃ困る。もしかしたら病院に行かなきゃいけないかもしれないと伝えると、薩日内さんは真面目な顔になって、腕組みをやめた。


「突然倒れたんです。それで、私のせいかと思いまして。突然走り出したのがお体に障ったかと。ごめんなさい」


 彼女は腰より上を少し前に傾けて謝罪する。別に謝って欲しかったんじゃないんだけど。と思ったけど、ちょっと優越感。薩日内さんより優位になった気がする。


「あー、そうかもしれないです。薩日内さんのせいかも。心臓が痛いし、息苦しいなぁ……あ、罪悪感感じてます? 許して欲しいですよね? なんでも言う事聞いてくれます?」

「は?」

「いやだから、許して欲しいですよね?」

「どうしてよ」

「薩日内さんが悪いからですよ」

『永も悪いと思うけどなぁ』

提灯小僧ちょうちんこぞうは黙ってて!」


 なんだいなんだい! 謝ったくせに許してほしいと思ってない態度! そりゃあさ、倒れたのは薩日内さんが直接の原因ではないけどさ、もっと申し訳なく思ってくれよ。


 僕を転ばせた男の子もいないし――って、え?


 今、シレッともう1人いなかった? 倒れる前に聞いた幼い声が聞こえた気がする。脳内で数秒前にリプレイしてみると、薩日内さんが「提灯小僧」と嘴っている。


 確かに言った、絶対言った、怒ってたから気づいてないだろうけど言ってましたよ薩日内さん!


「今、他に、誰か、いません、でした?」と伺う。

「2人しかいませんけど」、なんて惚ける薩日内さん。

「さっき、提灯小僧って言いましたよね?」

「言ってません!」


 顔を真っ赤にして怒っちゃって。またバカにしてるんですかって言うけどさ、僕の推理が正しければ転倒の原因は「提灯小僧」なんですよ。


 さっきは薩日内さんをか、な、り、怒らせて出てきたから、同じような悪さをすれば出てくるのではないだろうか。


 もしそれが妖怪とか霊とかなら万々歳。ファンタジーでスピリチュアルなワクワク、ドキドキ詰まった素敵エブリディの幕開け間違いなし!


 そらみろ、やっぱり薩日内さんの近くにいれば非日常が待っているんだよ。


 先ずは薩日内さんを怒らせてみればわかるはず。すぐに怒らせる方法といえば定番は「胸を揉む」だと思います。


 薩日内さんは興味をそそる豊満なお胸があるので、僕は彼女を見て不覚にも鼓動が早まってしまった全男子を代表して触れてみようと思います!


 両手をデニムパンツの横で強めに擦り、たわわに実る胸に手を伸ばした。


『永は顎を蹴るのが得意だから、食らったら本当に死んじゃうかもよお』

「アギャッ」


 そしたらヌウっと遮るように「提灯小僧」。びっくりした。鬼灯みたいな赤い顔が目の前に出てきた変な声も出るよ。確かに出て来て欲しいとは思ったけど、せめて触ってから出て来て、空気読んで!


「邪魔しないでよ! あと少しだったのに!」

『永が嫌がってることしようとしてるの止めて何が悪いのさ』

「し、してないよ」

『おっぱい触ろうとしてたべ』


 提灯小僧が持つ提灯の長いベロが僕の右手首に巻きついた。しっかりべっとり唾液がついて不快だ。顔が歪むと、僕と小僧の向こうにいる薩日内さんの顔も歪んでいる。


「本当に最低ですね」


 もしこの小僧が本当に「妖怪」だとしたら、薩日内さんは「提灯小僧」が見えている。胸を触ろうとした時は全く気づいていなさそうだったし、避ける素振りも見せなかった。


 だったら、僕と小僧の会話を聞いていて何をしようとしていたか知った――と考えちゃうけど。


「ここに男の子がいますよね」

「いません」


 両手で小僧の位置を指しながら尋ねたら即答だった。しかもめちゃくちゃ目をぱっちり開いてる。嘘下手くそなのかな。


「絶対に見えてますよね」

「見えてません」

「なら何に対して最低だって言ったんですか?」

「貴方が胸を触ろうとしたからです」


 不老不死でないという時は大違い。多分、僕に見えることは予想していなく、本当に予期していなかったことが起きてるんだろう。目には見えない小さな汗が僕には沢山見える。


 誤魔化しきれないと思っているから、目が泳いでる。不味い、反応しちゃった、そう言いたげな表情だ。それから僕が詰めても薩日内さんは目を逸らして首を振るか、否定的な態度を取るだけ。


 僕ら以外の人が通りかかると「提灯小僧」は目の前に出て戯けてみたり、触ったりしている。自分が人でない何かだと証明しているようだ。

 で、薩日内さんはその様子を横目でチラチラ確認するのを隠せない。バレたくなければ見なきゃいいのに。


「ほら! 見てる!」

「見てません! 見ているとしたら桜です!」


 同じようなやりとりを見ていた「提灯小僧」は呆れた様子で口を開いた。


『永は人がいる時は妖怪の事を見えないふりするんだよ。今まで見えた人もアンタだけだけどね』

「してません!」

『永く生きてるのに、予想してないことが起きると慌てるのは相変わらずだなぁ』


 妖怪の子供の一言で薩日内さんの隠し通してきたことが崩れた。永く生きている。普通の18歳は永く生きているっていうのかな。


 僕は22歳だけど、お爺ちゃんやお医者さんに「まだまだ若いんだから」と口ぐせみたいに励まされているから、4歳しか違わない18歳が永く生きていないことは考えなくてもわかる。


「薩日内さん」


 もう逃げられませんよ。彼女をつから強く見つめた。薩日内さんは観念したように肩を落とすと、吹っ切れたように背筋を伸ばし再び腕を組んで僕の体に当たりそうなスレスレまで詰め寄って来る。


 僕より身長の低い薩日内さんが、胸のあたりで顔を見上げてくれるのがちょっと可愛いと思った。


「貴方が存じ上げる通り、私は不老不死の人間です。50万円もするガイド料金は貴方のような人達を遠ざけるためのモノ。だからもう言わなくて済むと思ったのに――」


 チッっと、大きな舌打ちが聞こえた。薩日内さんがイラついていることより、本当に不老不死の人間が存在するということが都市伝説ではなく、真実だったことに衝撃と感動が止まない。


 こんなに綺麗なのに何百年も生きていて、こんなに元気なんて信じられない!


「貴方は非現実的で摩訶不思議な日常をお望みなんですよね? いいですよ、送らせてあげます。どうなっても知りませんけど」

「どうなっても知らないって?」


 聞き返すと、薩日内さんは不敵な笑みを浮かべた。そしていくらか落ち着いていた雨が、突然土砂降りの雷雨になって仙台の空色を変える。


 稲妻が走ってすぐに地面を砕くような雷鳴が轟けば、音の終わりから低い低い重低音とも言える「この世の物ではない」唸り声が脳内に響く。


 あまりに急すぎる展開に頭が追いつかない。空だってファンタジーアニメで見るような妖しい雲が渦巻いているのに、今度は恐怖が勝っている。


「次のガイドは仙台市青葉区は荒巻あらまき。貴方のご先祖に関係のある方がお礼参りしたいそうですよ」


 なんのこっちゃ――薩日内さんは本領発揮したのだろうか。この天候は彼女によるもの何か。不老不死とバレる前より生き生きしていて、僕が足を竦ませ、怯える姿を見て意味ありげに微笑んでいる。


 それに演出をかけるような桜吹雪。感じている自然や空気は、薩日内さんの為のもののようだ。


 化け物扱いしたいわけじゃないけど、薩日内さんは人間というより妖女という表現の似合う人かもしれない。



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