薩日内さんは僕の側に来てくれた。心配してる感じはない。きっと僕が体を舐めるように見ていることに気づいてるんだ。
だって見たくなるんだもん。アニメやラノベ、いろんな女の子に妄想を膨らませたけど、やっぱり薩日内さんにいちばん惹かれる。
生身ってのもあるかもだけどさ。なんでこんなに魅力的な女性がひとりで生きてかなきゃいけないのか、不思議なんだ。
「体調は?」
「平気です」
「でしょうね。ここへは提灯小僧に連れられて来たのですか?」
「あ、はい。ね、提灯小僧……え!? 提灯小僧!?」
さっきまで隣にいたのにいなくなっている。薩日内さんに怒られるのが怖くなって逃げたんだ。
あいつぅ、裏切りやがったな!?
妖怪はいいよ、その場で自分の気配が消せたりするんだから。僕は人間だからね、そんなのはできない。
薩日内さんも呆れてる。けど、その呆れて見下される感じも怖かっこいいっていうか……シビレる。
「も、戻れって言われても無理ですよ。広瀬川の橋は全部決壊しましたし、僕はひとりじゃ帰れませんからね!」
「……わかりました。提灯小僧が見えてここにも来れる……やはり衛宗さんは特別、なのかもしれませんね」
「それは喜んでいいタイプの特別ですか? 牛みたいなのが迫ってきてますけど……」
牛というか、猪みたいというか。でもカワウソで。でも僕の知ってる人懐っこいフワフワ可愛いのとは違くて。
ああ、ぶつかる!
目を瞑ったら、薩日内さんが庇ってくれた。顔が胸の中に埋もれるご都合展開はないけれど、曲線から垂れる雨水がとっても綺麗です。たゆんたゆんって、見てるだけで癒される。一句読んじゃいそう。
「やっぱり伊達家に復讐したくてたまらないんですね!?」
薩日内さんはカワウソに怒鳴る。顔が紅くなって、本気で怒ってるんだって視覚だけで伝わってくるんだ。
その顔ったら、またイイ。
『子孫だかなんだか知らねぇけど、アん時の恨み、ここで晴らす!』
ドスの効いた声が薩日内さんに吠える。今にも何か始まりそうな、ひりついた空気。薩日内さんは刀を構えているし、カワウソも喉をグルグル鳴らして殺気立っている。
「布越しに……」
けれど僕はどうしても一句読みたくて、頭の中の言葉を拾う。
その間に薩日内さんとカワウソが命をぶつけ合って、どちらが正しいかを証明しようとしている。
「いや、濡れた布……」
「衛宗さん!? せめて逃げてください!」
「透ける輪郭……」
「衛宗さん!」
薩日内さんの言うことを聞かなきゃ。目を瞑りながら立ち上がり、中腰くらいになった時。僕の足元に弓矢が落ちていた。
薩日内さんが背負っていたものと同じ。
手に取り、アニメや漫画に出てくるキャラクターの動作を思い出した。経験はない。
背筋を伸ばし、弓を掲げる。指先を弦にかけて、標的を見据えるその眼差しを閉じた。僕の好きなキャラクターは心で標的を見て、矢を射るんだ。ダーツを弓矢だと体に思い込ませて、何度練習したっけ。
見様見真似でなんて絶対に当たらない。けれどファンタジーは違う。思う通りにする。僕は伊達政宗の子孫、特別だ。
カワウソに当てたら僕は変われる。そんな気がして矢を引いた。と、同時に一句完成する。
「布越しに 雨が遊びて 怒りの火!」
句の終わりと共に、カワウソの尻に矢が当たった。まぐれだとしてもすごい!
ダーツとは違うけど、狙う感覚は異ならない。初めてでもできちゃったあたり、僕には才能がある!
「濡れし胸 雨粒ひとつ 弾かれて!」
矢は5本あった。句でリズムを取り、あるだけの矢を放ってみよう。しかし、次は当たらなかった。
「雨しずく やわき肌這い 沈黙の谷!」
「雨だれが 遊ぶ曲線 鋭き目!」
ダメだ全然当たらない。カワウソは僕の腕が悪いとわかると、助走をつけて走り向かってきた。
あと1本。せめてこれが当たれば! どうか、僕が特別だと、本物だと証明してくれ!
「胸元に! 雨粒すべり――頬紅さす!」
バチンと矢が駆けていく。今まででいちばん真っ直ぐで迷いのない、勢いの一矢だった。
向かってくるカワウソの足元に刺さると、驚いたのか足を滑らせて転倒。すかさず薩日内さんがカワウソの胸に刀を突き立てた。
「殺しちゃダメだ!」
だけど僕の言葉の方が遅い。カワウソから真っ黒な血が吹き出して、その飛沫を浴びる。血は鉄臭いはずなのに無臭なのは何故だろう。
牛のように大きかったカワウソは萎むようにみるみる小さくなり、変化がし終えると普通サイズになる。
『アーア! また負けた! 伊達家はヤージャ、ヤージャ!』
キィイと前歯を剥き出しにして威嚇しているけど、ひ弱な僕でも額を小突けば後ろにごてんと倒れてしまう。
そして終わりを告げるかのように雨が止み、嘘のように晴れ間が見えはじめる。春の日和が戻ってきたんだ。
「衛宗さん……弓矢の心得があったとは……。さすが政宗様の御子孫様。おかげでカワウソを仕留め、仙台を守ることができました。やはり政宗様の血はご健在なのですね。今までのご無礼、失礼致しました!」
薩日内さんが突然膝をついて謝ってきた。まるで時代劇に出てくる家来みたいにね。
「え!? いや、僕はおっぱいのこと考えながら撃っただけなんで! たまたま当たったんです!」
「それでもすご――……はい……?」
いや、すごいって言い切ってよ。カワウソはカワウソらしからぬ表情筋を使いこなしながら、白い目で僕を見上げてる。
『さっき叫んでた句ってのは……』
「はい! おっぱいの句です!」
あの短時間であれだけ読めるのも褒めてほしいよ。これは本を読み尽くした功績とも言える。なのに、頬に鋭い痛みと熱が走る。薩日内さんがビンタしたんだ。
「おだずな!」
えぇ……? 褒めてくんないの?
カワウソまで「こんな奴のために力を奮ったことを後悔してる」なんて言う始末。
封印を解かれたのは僕がトリガーだったみたいだし、カワウソは僕に感謝すべきじゃない?
「僕は真面目ですよ! 提灯小僧が薩日内さんのところに行けって言うから来たんです! 一応、助けに来たんですからね!?」
「別に助けなんて……!」
「それは死なないからですか? 不老不死だから? 僕は死にたがる薩日内さんが嫌いです。そんなに美人でなんでも知ってるのに、自分から人を遠ざけてるんですもん!」
「知ったような口を……! 死ねないって辛いんですからね!? 知ってる人が死んで、自分だけ取り残されていくのがどれだけ胸を割くか知らないんです!」
僕と薩日内さんは目線で火花を散らした。死にたがりと生きたがりは一生分かり合えないのかも。
『あのよぉ。呪ったおれが言うのもなんなんだが……』
「はい!?」
2人でカワウソを睨む。圧倒されているのか、眉を八の字にして口を手で覆い、ふるふると身を揺らすんだ。
怒りが何よりも上をいくから、カワウソの言葉は聞き逃していたこと、僕らは気づかないでいる。
『おめぇの呪い……解けるが……?』
ぴちゅぴちゅ――春晴れに安堵した小鳥が山へ戻り、陽気に鳴き声を奏でた。
薩日内さんはポカンと顎でも外れたみたいに口を大きくあけて、カワウソを見下ろした。
「……解ける?」
『お、おん……』
カワウソも気まずそうな空気だ。脳の思考が停止して、2人と1匹は互いを見つめ合うしかできなかった。