「えっと……あの、その」
とアーティアは妙に歯切れが悪い。願いを言ったらすぐに叶えてくれるわけではないのか。
正直ニコチン切れで俺の機嫌はすこぶる悪い。周囲に当たり散らすほど子供ではないが、「早くしてくれ」と心の中喚き散らす。
「本当にいいんですか? 願いは何でも叶うんですよ?」
確認するようにアーティアが聞いてくる。迷う余地はない。
「その転生後の世界に煙草がないかもしれないだろう。そんなのは耐えられない。スキルでも魔法でも何でもいい、転生した後も俺が満足に煙草を吸えて、快適な生活を送れるようにしてくれ。それが願いだ」
迷わずにそう言ったがアーティアはまだ納得できないらしい。
「あの……言い忘れていましたが時男さんが向かう異世界『ヘヴンズ』には魔物が出るんです。だから、何か戦闘に役立つことを願った方が……」
「戦わない。逃げるから大丈夫」
そんな恐ろしい魔物よりも煙草の方が優先度が高いだろう。
「なら、お金を稼ぎやすくする願いにすれば……。商人になるなら『素材を無限に出し入れできる袋』なんてものもありですよ」
「煙草さえ手に入ればお金は地道に稼ぐ」
苦労して働いた後の一服が至高だというのにこの女神は何を言っているんだか。
その後もアーティアは様々な提案をしたが俺は「煙草の方が優先順位が高い」と言って断った。
彼女はまだ何か言いたげだったが、俺が何を言っても聞かないと判断したのか口をつぐむ。
「わかりました。では『時男さんが容易に煙草を入手でき、快適な喫煙ライフを謳歌できるように』が願いですね。その願い叶えます」
そう言うとアーティアは両手を胸の前で組み、祈るポーズをとる。それが願いを叶えるときの儀式なのか、絶世の美女だからかはわからないが格好に妙に説得力があった。
「あ、ちょっと待ってくれ」
流行る気持ちを抑えつつ俺は慌てて彼女を止める。もう俺には大して期待していないのか、アーティアは冷ややかな目でこちらを見る。
「何か?」
「転生ってことは、きっと俺は異世界で新たな人物になって生きるんだろう? 生まれ変わりってやつだ。ということはきっと赤ん坊からやり直すことになるよな? それじゃ困るんだよ」
せっかく煙草を吸える環境に転生しても肝心の俺が未成年では意味がない。
「だからさ、なんとか俺を成人年齢まで引き上げた状態で転生させてほしい。ほら『快適な喫煙ライフ』にそこんとこをしっかり含めておいてほしい」
俺がそう言うとアーティアはため息をついた。
「わかりました。そのくらいなら『明確な願い』の中に含まれるでしょう。望み通り、時男さんの新たな人生はヘヴンズの成人年齢である十六歳になった時点で始まるようにします。ただ、十六歳になるまでの人生はいわばゲームのCPUが勝手に操作したような状態になりますので何が起こっても責任は取れませんよ。いいですね?」
アーティアが念を押す。「そんなことが可能なのか」と思いながら俺は大きく頷いた。
わくわくしていた。まさか、異世界転生なんて夢のようなことが実際に起きるとは。
さらに大好きな煙草を思う存分吸える環境だという女神さまの保証付き。胸を高鳴らさずにはいられない。
こうして俺は異世界ヘヴンズへ旅立ったのである。
♢
レイト・ティムスモーク。それが異世界ヘヴンズでの俺の新しい名前だった。
年齢は女神アーティアとの約束通り十六歳。
アリストリア王国の首都アストリアからそう遠くない中規模都市バルクレストに両親と共に住んでいる。
父親は元冒険者で現在は町の衛兵隊の隊長。母親も元冒険者、今は俺の後に生まれた双子の弟と妹の子育てに夢中。
昨夜は俺の十六歳のお祝いパーティーで大賑わいだった。両親や弟たち、それから町の友人たちが家に来て祝いの言葉とプレゼントをくれた。
楽しい気持ちのままベッドに入り、眠ろうとしたところで前世の記憶が蘇った。正確には時男としての意識がレイトの肉体に入り込んだような感じだった。
アーティアがCPUと表現したように、レイトの魂ははじめからそこにはなかったかのように俺と一体になっている。
澄んでいる町や両親の記憶はこの身体に意識が乗り移った時に得た新しい情報のはずだが、不思議と昔から持っているもののように馴染んでいる。
目が覚めて身体を動かした時も特に違和感はなかった。
そんわけで俺は今上機嫌で町を歩いている。
西洋風の建物や漂うファンタジー感は前の世界になかったものばかりだ。
しかし俺が上機嫌なのはそれだけが理由ではない。
「おばちゃん。煙草一つちょうだい」
るんるん気分で店に入り店主の女性に声をかける。
真似しているわけではないが歩き方や言葉使いは俺が乗り移る前のレイトそのものだ。
どういう仕組みなのかは知らないが本来俺が生まれた瞬間から引き継ぐはずだったその身体は俺の癖や性格まで反映して育ってくれたらしい。
記憶を遡る限り俺がやらないような行動はしないし、あまり目立たない平凡な少年のまま十六歳を迎えてくれた。
だから店の店主も変には思わなかっただろう。目を見開いていたのは俺が今まで言えなかった言葉を言ったからだ。