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第9話

夕方、言われた通りいつもよりも早い時間に俺たちは町に帰って来た。

いつもはこのあと商人のところに薪と木の幹の買取をしてもらいに行くのだが


「今日は早く帰って安心させてやれ」


というカッパーさんの言葉に甘えて町に着くなり彼と別れた。


「おうレイト、大変だったみたいだな」


帰り道、酒場の前を通った時にジムさんに出会う。

空返事をして通り過ぎるとジムさんは不思議そうな顔をしていた。


そんなことも気にならないくらい心の中がもやもやとしていた。


あれはいったい何だったのか。確かに身体に何かがぶつかった衝撃はあった。しかし痛みはなく、あの大きなカウブルがぶつかった衝撃だと言われても釈然としない。


実はぶつかっていなかったのだろうか。俺の前に石かなんかがあってカウブルはそれに頭を打ったのか。

それではあの衝撃はなんだったのだろう。それにあんな大きなカウブルが気づかないほど小さな石に頭をぶつけて気を失うだろうか。

もっと大きな岩にぶつかったのならわかるが、そんな岩があれば俺もカッパーさんも気付く。

間違いなく、俺とカウブルの間には目で見て気付く障害物はなかった。


「一体……なんだったのか」


そんな考え事をしている中でも無意識のうちに手は動く。懐から煙草を一本取り出してすっかり慣れた手つきでマッチをこする。


気付いたら吸っているのだからもはや一種の病気か何かだと思われても仕方がないだろうが、言い訳はさせてほしい。喫煙者とはだいたいそういうものなのだ。


煙を吐きながら目線を上げると衛兵たちの練兵場が目に入った。


練兵場といっても町の外壁の内側に沿って地面が鳴らしてあるだけの小さなものだ。

丸太が三本ほど地面に埋められていて、時折衛兵がそこで剣を振っているのを目にする。


ただ、常に使っているわけでもないので大抵は子供たちのチャンバラごっこの遊び場になっているようだ。


もう日暮れだからか、今は衛兵も子供の姿もない。


ふと、試してみたくなったことがある。つけたばかりの煙草の火を消して練兵場の丸太に近づいていく。


俺が前の世界で読んだラノベの主人公にこんな人がいた。前の世界では平凡な学生だったが、異世界に行った途端高い身体能力と強い腕力を得た少年だ。


たしか、元いた世界と異世界では「力のバランス」が違うために元世界の方では一般人でも異世界では超人になる、みたいな設定だったと思う。


異世界ヘヴンズで数日過ごし、仕事や私生活を送った感覚では「そんなわけがない」とわかっている。

わかっているが……。


俺は丸太を思いっきり殴りつけた。今まで人を殴った経験はないがゲームセンターのパンチングマシーンに挑戦したことはある。


踏み込む足に体重を乗せて勢いをつけるあの要領だ。


「……痛い」


後悔の念を含んだ言葉が漏れる。なんてことはない。丸太は微動だにせず、代わりに俺の右手が赤くなる。

こんなバカげたことしなければよかった。いや、試すにしても力加減を考えるべきだった。


ヘヴンズにおいて俺はやはり超人ではない。では昼間の騒動は本当に何だったのだろうか。


その時、後ろで「カァア」と鳴き声がする。振り返ると愛煙鳥がいた。

俺が捨てた煙草に飛んで来たらしい。本当にどこにいてもやってくる。


そういえばカウブルが突っ込んでくる前に愛煙鳥たちは颯爽と飛び立っていったな。

位置的には俺が邪魔でカウブルは見えなかったはずだが、もしかすると野生の逃走本能みたいなものが備わっているのかもしれない。


「愛煙鳥か……」


その黒い姿を見てあの瞬間の記憶が少し明確なる。

カウブルが突っ込んでくる前、俺は一体何をしていたか。


「いや……まさかな」


そう思いつつ、やはり試してみたい気持ちになって俺は懐からもう一本煙草を取り出した。

愛煙鳥が「お、また餌か?」とでも言いたげにルンルンと近づいて来る。


だが悪い、少し待ってくれ。お前にこの煙草を食わせる前に試したいことがあるんだ。


咥えた煙草に火をつけて再び丸太に拳を突き出した。

今度はさっきよりも優しくである。


バキッ……と丸太の折れる小気味いい音。驚いた愛煙鳥が一瞬後方に飛び去って警戒しながらまた近づいて来る。


折れた丸太の破片はそのまま石造りの町の外壁に当たり、大きな音を立てた。


「嘘だろ……」


自分で試しておきながら、俺は目の前で起きたことを飲み込めずにいた。

殴った途端、丸太が弾けるように吹っ飛んだ。


それまでのダメージの蓄積で折れたという感じではない。明らかに今、何らかの衝撃で折られたという様子だ。


その何らかの衝撃を与えたのは恐らく俺の右こぶしだったのだがこの目で見ていたはずなのに確証が持てない。


それくらい力は入れていなかった。右手の痛みをかばったからだ。

驚くべきことにその右手の痛みもすうっと消えていく。


赤くなっていたのが普通の色に戻る。驚きながら俺は煙草を咥えたまま白い煙を吐き出した。


俺の頭に「やべぇ、この丸太どうしよう」という考えが浮かぶ。子供の遊び道具になっているとはいえ衛兵の練習用の丸太だ。

「すいませんでした」の一言で済むかどうか疑わしい。


衛兵の隊長であり、父でもあるストンプになんと言い訳しようかと考える傍ら、俺の頭の中には女神アーティアに頼んだ「快適な喫煙ライフ」という願いのことも浮かび上がっていた。

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