「レイトくん、そろそろつきますよ」
朝早く旅立ったのと、カウブルに引かれる荷車が思いのほか気持ちよかったのでついうとうとしてしまっていた。
そんな俺に荷車の持ち主リーリャさんが声をかける。
彼はアストリアで魔術の本を売る仕事をしているらしいのだが、本の素材をわざわざバルクレストまで自分で仕入れに行く行商人だ。
魔術。この世界には魔法が存在しているらしい。しかし俺はまだ一度も目にしたことがない。
どうやら生活に影響を及ぼすほど普及はしておらず、現在は冒険者が使う攻撃手段の一つとして認知されているようだ。
先日、リーリャさんは仕入れのためにバルクレストへ向かう道中で魔物に襲われ荷車を壊されたので数日バルクレストに滞在していた。
「ストンプさんには魔物騒ぎでお世話になりましたから」
と快く俺をアストリアまで乗せて行ってくれたのだ。
前方にアストリアらしき大きな町が見える。
外壁はバルクレストの物より高く、立派だ。町全体もバルクレストより遥かに大きいのだろう。
「では僕はこの辺で、もし冒険者になったらぜひ僕の店に寄ってください。南区にありますから。サービスしますよ」
門の手前で俺を下ろしリーリャさんは町の中へ消えていく。
商人のリーリャさんは「通行証」を見せれば門にいる衛兵がすんなり通してくれるらしいのだが、初めてアストリアに来た俺は色々と手続きがあるらしい。
強面の衛兵に「出身地は」とか「滞在目的は」などまるで前の世界の入国管理のような質問をいくつかされて、それに答えた上で身体検査まで受ける。
冒険者になれば武器の持ち込みは認められるらしいが、一般人はナイフの持ち込みすら厳重に管理される。
持ち込んだ鞄の中身まで入念にチェックされた後、俺は町に入ることを許可された。
「ふぅ……」
町に入れたことに安堵しつつ、俺は懐に手を伸ばす。
恒例の至福タイムだ。
実は荷車に乗せてもらっている間はずっと我慢していた。リーリャさんが煙草を吸う人ではなかったからだ。
愛煙鳥の呼吸が煙草の有害成分を排除してくれるおかげか、単に健康被害が前の世界よりも認知されていないからなのかはわからないがこの世界の人は非喫煙者でも喫煙者への理解がある。
俺が横で煙草を吸ってもリーリャさんは特に何も言わなかっただろう。
しかし、それでも吸わない人の前で堂々と毒煙を吐き出すのは抵抗があった。
喫煙所で煙草を吸っていても子供が近くを通ると吸うのをやめるあの感じだ。
「お兄さん。ここで煙草は吸わない方がいいよ」
声をかけられて振り返る。茶髪のつむじが目に入った。
子供だ。少年が俺の裾を引っ張っている。火をつける前でよかった。
少年は道を外れた細い路地の方を指さした。
「大通りだと愛煙鳥が馬車に轢かれちまう可能性があるから皆吸わないんだ。あの道をまっすぐ行くと愛煙鳥が集まってる広場があるから、そこで吸いなよ」
と忠告してくれる。
なるほど、バルクレストでは町中を馬車が通ることはほとんどないからそこらへんで煙草を吸っても問題ない。しかしこういう大きな町では馬車の通り道や愛煙鳥が邪魔になるような場所では吸わないのがマナーらしい。
教えてくれた道の先に愛煙鳥が集まっている広場があるというが、それはもしかすると大抵の人間がそこで煙草を吸うようになったから愛煙鳥が住み着いているのではないだろうか。
「それはある種の喫煙所だよな」とそんなことを思いながら教えてくれた少年に礼を言おうとする。
しかしその姿はもうなかった。道の向こうに少年らしき後頭部が見えるので俺に忠告した後さっさと行ってしまったらしい。
俺は一度煙草をしまい、それから言われた通りに道を進む。
細路地の向こうに確かに広場があった。
広場といってもそれほど大きくない。石造りの小さな噴水が合って四方に細道が続いている。
細道は大通りとつながっているようだ。
その周辺でちらほらと煙草を吸っている人がいる。
なるほど、前の世界での喫煙所といえばせせこましいイメージがあったが、これほど開放的ならばいい喫煙が出来そうだ。
俺は噴水の周りを囲むように置かれたベンチに腰を下ろして煙草に火をつけた。
少年の言っていたように広場の周りを愛煙鳥が優雅に飛ぶ。初めて見たらその数にぎょっとしそうだがさすがにもう慣れた。
「火を貸してくれない?」
気付くと隣のベンチに人がいた。銀髪で色白。雪のような印象を受ける女性だった。
こう言ってはなんだがあまり煙草を吸うタイプには見えない。
俺はマッチを取り出してその女性に渡す。
「……ありがとう」
女性は俺の目をジッと見た後、礼を言った。
まるで何かを観察するような目立った。
マッチを返してもらった後も女性は煙草を吸いながらちらちらとこっちを見てくる。しかし、それで何か話しかけてくるわけでもないのでなんとなく気まずい。
何か話しかけるべきか? しかし火の貸し借りをしただけで初対面だ。変な奴だと思われるかもしれない。
そんな風に自分の中で葛藤しているうちに煙草は終わりに近づいていた。
仕方がない。二本目は吸わずに早々と立ち去ろう。
そう思って立ち上がった時、
「君、もしかしてレイト?」
女性が俺の名前を呼んだ。