シシリーさんの元へ修行に来て十日が経った。
彼女の宣言通り、最初の一週間はほとんど基礎を学ぶ日々。そこからさらに三日。基礎に加えてより実践的な修行が追加されている。
最初の内はただぼこぼこにされてすぐ終わるだけだった模擬戦もそこそこ長引くようになった。
喫煙による回復効果のおかげでようやく強くなったことを実感できる程度には成長したと思う。
ただ、ある程度目が慣れたからなのかシシリーさんが明らかに手加減をしているのがわかるようになった。
彼女曰く「十日でこれだけ動けるようになれば上出来」らしいのだが、模擬戦が終わるのがいつも時折見せる彼女の本気の一撃なのが俺は気に食わない。
高望みかもしれないが、この修業が終わる頃にはぜひとも彼女の本気を受け止められるような人間になりたいものだ。
変わったのはそれだけではない。
最初の数日は怪我こそ治るものの疲れて動けなくなっていたが、ある程度体力にも余裕が出て来た。
朝食はもちろん修行の合間を縫って洗濯や掃除にも手が回るようになった。そのおかげかリアムとも多少仲良くなったと思う。
「レイトって変わってるよな。普通、こんな雑用嫌がってサボるぜ」
洗濯板で衣類を泡立てながら不意にリアムがそんなことを言う。その横で俺は洗い終わった洗濯物を竿に干す係だ。
「そうかな? 元々人に何かやってもらうの苦手だからなぁ。できるだけ自分のことは自分でやりたい」
洗濯物を受け取りながらそう応えるとリアムは「ふーん」と言った。
「あっ」
突然リアムが声を上げる。一体何事かと視線を向けるとその手に赤く小さい布切れが握られている。
リアムが赤面している。
「下着か」
俺がそう言うと彼の顔がさらに赤くなる。
「もう……『下着は自分で洗って』っていつも言ってるのに」
照れ隠しか、リアムはそう言いながら少し荒っぽく洗濯する。ここ数日で何回も似たような場面に出くわした。ほとんど毎日だ。
俺はいい加減慣れてきたが、少年には刺激が強すぎるようだ。
「いい……これは俺が干すから」
洗い終わった下着を受け取ろうと俺が手を伸ばすとリアムが拒否する。
これもいつもの反応だ。
得体の知れない男に触らせたくないのか、と初めは思ったがそれにしても過剰な反応に見える。
好きな人の物を他の男に触られたくないのか……好きな人か。
「なぁ、リアムってシシリーさんのこと好きなの?」
なんとはなしにそう聞いてみるとガシャンと大きな音がした。
見ればリアムが態勢を崩し、洗濯用の桶をひっくり返しそうになっている。
「大丈夫か?」
「おま……な、何言って……」
驚いた表情でこちらを見上げるその顔はさっきよりもさらに赤い。顔から湯気でもでそうなくらいだ。
これはもうほぼ確定なのだが、彼のためにまだわかっていないふりをしよう。
わかっていてあえて揶揄っているようなものだから大人げないと思うが、リアムの反応がいいのでついちょっかいを出したくなる。
「……お前はどうなんだよ」
取り乱したことをごまかしながら逆にリアムが尋ねてくる。
どうと言われてもな……。前世を含めた俺とシシリーさんはそんなに歳が離れていないと思う。彼女は容姿端麗で優しく、包容力もあるが不思議と恋愛感情は湧いてこない。
なんというか……私生活がだらしなさすぎて世話を焼き過ぎるのが良くないのだと思う。
「何とも思っていないな。弟子と師匠だ」
俺がそう応えるとあからさまにリアムの顔が明るくなった。わかりやすすぎる……。
自分でも顔に出し過ぎたと思ったのかリアムは俺から顔を逸らし、何事もなかったかのように洗濯を再開する。
「別に好きとかそういうのじゃないんだ」
もうこの話はやめてやるか、と思っていたところにリアムの方から話始める。
「俺とシシリーさんじゃ年が離れすぎてるし……。だけど……母さんがいたらこんな感じなのかなって……。俺は母親を知らないから想像なんだけど。あの人を母さんって呼べたらいいなって、そう思うんだ」
リアムの顔はもう赤くなかった。その代わり少し寂しそうに見える。
俺は右手で拳を作り、自分の頬を思いっきり殴った。
揶揄い半分でする話題じゃなかったと反省する。
詳しくは知らないがリアムはもともと孤児だったらしい。まだ幼く、母親の顔も覚えていない頃にシシリーさんに拾われたそうだ。
しっかりして見えても年齢は十歳かそこらだろう。甘えたい盛りだ。彼の寂しさは俺には想像するくらいでしかわからない。
「何してんの?」
突然自分で自分を殴った俺を見てリアムが冷ややかな目を送る。
そのリアムの頭を俺は撫でた。なんだか無性にそうしてやりたくなったからだ。
「なんだよ! やめろよ!」
そう言ってリアムが手を払いのける。そんなリアムに俺は笑顔を送る。
「いいんじゃねぇの。一緒に住んでるんだからもう家族みたいなものだろう。シシリーさんを母親と思っても何も変じゃねえよ」
本心から出たその言葉を受けてリアムはまた少し顔を赤くした。
「なん……だよ。いきなり」
そう言って顔を背ける。
俺は彼の頭をもう一度強引に撫でるのだった。