夕食は私の大好きな、仔牛のローストと野菜のテリーヌだった。普段なら甘えて、おかわりをお願いするほど好きなメニューだ。特に体感としては一年以上ぶりに食べる大好物だったから、きっと涙が出るほどおいしかったはずなのに──全然味が分からなくて、食も進まなかった。
おばあ様にも、シェフにも体調不良を心配されて申し訳なかったけど、なんとかデザートまで完食はして、一足先に部屋に引き上げさせてもらった。
私付きの侍女にする約束を反故にしてしまうこと、リリーに責められるだろうと覚悟しているけれど、気が重い。
先々のことまで考えられなかった私に非があるのは分かっているから、逃げることはしたくないけど、そう思ったところで気分が晴れるものでもなかった。
やがて町の中央で、終業時間を告げる鐘が鳴る。
この鐘を目安に、仕事に従事するすべての人が仕事を終え始める。もちろん急ぎの仕事を抱えている人は夜を徹して働くんだろうけど──リリーには夕食前に、部屋に来て欲しい旨を伝えてある。きっと仕事を終え次第来てくれるはずだ。
ナイトドレスのスカートを握りしめて、じっと待つ。深呼吸を五回した頃、控えめにノックが響いたときには座ったまま跳び上がってしまう気分だった。
「失礼します、ティアナお嬢様。本日はなにか夜にもご用事ですか?」
「よく来てくれたわ、リリー。用事じゃなく、少しあなたに話すべきことがあって呼んだの。……座ってくれる?」
不安で落ち着かない私の心情を察してくれたのか、リリーはなにも言わず、ソファーに腰を下ろした。
一度深呼吸をして、正面からリリーに向き合う。
「謝らなきゃならないことがあるの」
「私に、ですか?」
「そうよ。──ごめんなさい。きっと私、あなたを部屋付きの侍女にはしてあげられない」
「……それは私の能力が低いからという理由でしょうか」
「違うわ。……私がもうじき、この家から出て行くからよ」
息を飲む音は聞こえない。驚いた気配も感じない。
ただただ静かなリリーの様子に、むしろ本当に目の前に座っているのかさえ不安になってくる。
そんな私が恐る恐る顔を上げて目にしたのは、にこやかにこちらを見つめているリリーだった。
「……リリー?」
「謝ることって、それだけですか?」
「えっ!?」
ほ、ほかにあった!?
それは、私が謝ることは他にもあるでしょってことかしら!?
予想外の発言に困惑した私に、リリーは楽しそうに笑って見せた。
「違いますよティアナお嬢様。そのことなら、謝っていただくようなことはないと申し上げてるんです」
「え、でも」
「私はちゃんとお話ししていたはずですよ? 例えお嬢様付きの侍女になれなくても、いつでもお嬢様のご命令に沿いますって」
「あ……っ」
確かに、言ってくれていた。
でも新人が部屋付きに出世するなんて、侍女としてはかなり夢の展開のはずだ。貴族に気に入られたってことは、屋敷に出入りしている御用商人との縁談を取り持ってもらえたり、うまくすれば下位貴族との交流、そこから玉の輿だって狙える。
それを、惜しくないはずがない。
「例えそれが本音だとしても、私があなたにした約束よ。それを反故にすることに、私自身が責任を感じるの」
そう言うと、リリーもそれ以上なにも言わなかった。
私のことを責めはしないが、その自責については口を出さないというスタンスだ。正直、食い下がられるよりもずっとありがたい。
「私が家を出たあとは、侍女長とおばあ様にあなたのことを頼んでおくわ。前々からおばあ様にはあなたの話をしていたし、重用とまではいかなくとも、よくしてくださると思うの。給金や待遇についても最大限交渉できるようにしておくわ。あとは──ああ、そうね」
私が賤民であることもきちんと話して、よくしてくれたお礼を言わなければ。
緊張からどんどん乾いていく喉に唾液を飲み下し、唇を噛んでリリーに向き合う。
「魔法の使えない──賤民である私に、あなたはこれまでとてもよくしてくれた。だから、ありがとう。そして騙していて、ごめんなさい」