本宅の庭園にある草花の記録をし終えてから数日後──私は領民たちで賑わう大広場に、おばあさまとともに姿を晒した。
旅芸人たちが芸を披露するために誂えられた、二段ほどある木製の舞台。庶民の集まる俗な場所、しかもほんの少し高いだけの舞台に貴族が立つなんて、普通なら考えられることじゃない。
だからこそ、なんだろう。
もの珍しさに首を伸ばしたり、目を大きく瞬かせながら、誰もかれもが私とおばあさまを見に集まってくる。
おばあさまがいるから、もしかしたら炊き出しでもすると期待している人もいるもかもしれない。
……そんな楽しい話じゃないのが、ちょっと申し訳なくなってくる。
「みなさん、お集まりくださってありがとう。イリアルテ侯爵家の嫡女、ジェンティアーナ・イリアルテでございます」
軽く微笑んで頭を下げれば、民衆たちがどよめく。
貴族が庶民に名乗って、しかも礼を見せるなんてと、いろんなところからヒソヒソとした声が漏れていた。
「ソフォーラを神殿で何度も見かけていたという方も、私のことは名前しか知らなかった方が多いかと存じます。……当然です。私は今日まで、世間から隠されておりました」
ざわつきが大きくなった。
民衆の顔はどれも、好奇心で輝いている。どうやら秘密を抱えた貴族がそれをさらけ出すつもりらしいと、固唾をのんで目を見開いていた。
その中でも、よりはっきりと私の言葉を聞こうとした誰かがいるらしい。のどの調子を整えるための咳払いが、妙に大きく拡張されて広場に響いた。きっと風魔法の一種だろう。
ありがたい。これならより人が集まるし──きっとあの人たちにも、騒動が伝わる。
「私、ジェンティアーナ・イリアルテは、尊敬すべき両親と誇らしき妹、そして慈悲深い祖母の元で大切に庇護されていました。しかし真実を知った今、私はこの場を借りて皆様に公表せねばなりません」
隣に立つおばあ様の手が、私の手を握り締めてくれる。
暖かい、大好きな手だ。私以上に緊張しているらしくて、少しだけ汗をかいてらっしゃるのがわかる。
きっと、おばあさまも怖がっている。……当然だ。一度はこの事実を盾に、おばあ様は飢え死にに追い込まれたんだもの。
私にだって、恐怖心がないわけじゃない。だけど明確なメリットを手にできると信じて、今ここに立っている。
それに、きっともうすぐ──
「母上、ジェンティアーナ! そんなところでなにをしているんだ!!」
ああ、来た。
真っ青な顔色で、お父様が馬車から叫ぶ。よっぽど急いだのか、髪もいつものように整えられていない。馬が足を止めると同時に飛び降りてきた服装も、ジャケットのボタンを留めることすらしていないひどい有り様だ。
お母様も、馬車に乗り込むときにヒールでも折れたのかしら。走り方がずいぶん面白いことになっていた。
いつも通り完璧な身なりなのは、ソフィーだけだ。
「お姉さま、おばあさま、このような場所でなにを……! 領民になにか話したいのなら、本宅においでになって、バルコニーからお話になるのが一番です! なにもこんな、いつなにが起こるかわからない場所でお話しにならなくても……!」
ふわふわとしたスカートで風を受けて、ソフィーは神々しいほど可愛らしく駆け寄ってくる。
……そうね、ソフィーの言うことは確かに正論だわ。
貴族が民衆を相手に話すなら、高いところから言葉をかけるのが一番なんでしょう。もし貴族に悪意を持つ者がいたとしても、領主の屋敷には攻撃に対する防御魔法もかけられているもの。
だけどソフィー、今の発言はあまり褒められたものじゃないわ。それじゃまるで領民を警戒していると、大々的に公言しているようなものよ。
ほら、眉をしかめている人が何人か見える。たとえ悪意を持っていない人でも、一方的に悪人扱いされれば不快になるの。
お母様も、その失言に気がついたみたいだ。ぎくりとした顔をしたあと、周囲に愛想笑いを振りまいている。
お父様はそんなこと気にも留めずに、一心不乱に足を進めてきていた。
「こんなところでなにを話す気だジェンティアーナ! それに、母上もなぜ止めないんです! もしいたずらに領民を不安にするようなことをするつもりなら、さしもの私も──」
「私は魔法を使えぬ賤民です!」
お父様の言葉をさえぎって、叫ぶ。
拡張された私の声が、広場どころか、街中に響いた気がした。
代わりのように、街中の音が消える。
人の話し声も、馬車の蹄や車輪の音も、小鳥の羽ばたきさえ聞こえない。
領民たちは呆気にとられたように、みんなポカンと口を開けていた。お父様とお母様は引きつって、もう声も出せないみたい。
ソフィーは。
……理解できない様子で、固まっている。
「だから今日を限りに貴族の籍を捨て、領地を出ます。神の愛を受けずに生まれた哀れな私に真実を伏せ、匿い、十二歳まで育ててくださったこと、心から感謝しています。どうか私のような不出来な娘はいなかったと、私のことはお忘れになってください」
にこやかに礼をすれば、ようやく領民たちのざわめきが戻った。
貴族生まれの賤民もいないわけではないけれど、やはりめずらしいらしい。誰もかれもが私を見て、哀れむようにヒソヒソと会話をしていた。
お父様は、まるで魚のように口をパクパクと開閉して声もかけてくださらない。
……しかたないから、もう一押ししておくか。
私はドレスをこの場で脱ぎ捨てた。
領民だけでなく、両親やソフィーからも悲鳴が上がる。
だけどドレスの下に来ていた粗末な服が露になり、ほうぼうから安堵の声が聞こえた。さすがに私も、大衆の面前で裸を晒すつもりはない。
そのまま髪飾りも抜き取って、ドレスと共に舞台に投げる。
「私のドレスや宝石も置いていきます。まったくの無一文となって人生をやり直すつもりですので、もうお会いすることもないでしょう。それでは皆様、ごきげんよう」
ストロベリーブロンドの髪を揺らして微笑めば、領民の中から、そんなかわいそうなこと、と小さな声が漏れた。