だってこれ、元はちょっとした体調不良でしょう?
私も何度もなったことがある。寒い日が続いたときや、暑い日と寒い日が交互に来ると、喉や頭が痛くなって、熱が出る。
だけど温かくしてよく眠れば、治癒士にかからなくてもここまでひどくなることなんてほとんどないはずなのに。
体を温められる物がなかったせいで、咳がひどくなって──よく眠ることすらできなかったのかもしれない。
「少し待ってて、川から汲んでくるわ」
荷物は肩からかけたまま川へ向かう。寝込んでいるとは言っても、なにがあるかは分からない。疑うようで悪いけれど、目の届かない場所に荷物を置いていく気にはなれなかった。
この小屋から近い場所に、水場は二つある。
一つは広い沼。こちらは泥が深くて水も濁っているから、飲み水には適さない。
もう一つがそれなりに幅のある川だ。深いところもあれば浅いところもあって、うっかりすると溺れそうになる場所だけど、とてもおいしい水が汲める。
向かうのは当然、川のほうだ。
赤くなり始めた空を反射して、水面がキラキラと光る。記憶にある通り、水量が豊富でよかった。
鞄の中から水差しを取り出してたっぷりと掬う。
そのとき、ふといいものが目についた。
「あら、ちょうどいいものが生えてるじゃない。……これも摘んでいきましょ」
ひゅるりと長いそれをプチプチと摘み取って、川の水で軽く洗う。
ずっしりと重みを増した水差しとそれを抱えて小屋へと戻ると、彼はやっぱり、ひどく咳き込んでいた。
「空気が悪いから、扉と窓を開けるわ。少し待ってね」
頷いてくれたかも確認せず、木戸を開けていく。二箇所開いただけで室内を吹き抜けていった風が、溜まっていた悪いものを持って行ってくれる気がした。
「ゲホッ、ゲホゲホゲホ……ッ!!」
「ごめんなさい、寒いわね。とりあえずこれを羽織って」
取り出したのは厚手の布だ。
布はとにかく、あるに超したことがない。針と糸、布があれば簡単な服だって作れるし、洗った草花を乾かすのにも使える。今回はこれが、防寒用具としても役立ってくれた。
鞄の中から木製のカップを取り出し、水を注ぐ。
「飲める? ゆっくり、ね」
「あり、ありが、と」
「しゃべらなくていいわ、大丈夫よ」
こくこくと頷いてくれた男の子を横目に、水差しにある水を小さな鉄鍋に入れる。そこにさっき摘んだばかりの草をいくらか放り込んで、かまどに置いた。
薪は室内に置かれていなかったから、一度外に出る。
よかった、前回私が辿りついた時に積まれていた薪が、記憶にある場所にあった。
いくつか抱えて中に戻り、鍋を火にかける。
それから、開け放していた窓や扉を閉める。
「また少し出てくるから、飲んだらちゃんと横になってちょうだいね。あと、お水をこぼしちゃっても戻ってから掃除するから、そのままにしておいて。火はゆるくかけているから火事の心配はないと思う」
頷いた男の子を残して、また小屋を出る。
……体は今の私よりも大きいのに、男の子がなんだか幼く見えるのは、私の中身が彼より年上だからかしら。年下に感じられる子が苦しんでいるのに、お水だけ飲ませて放っておくなんてことは、できそうになかった。
向かうのはさっき使わなかった水場、沼だ。
そちらには綿毛のようなものがついた不思議な植物が生えていて、前回の人生では、それを使って布団を作っていた。
「……ああ。あれ、ガマという植物なのね。あの綿毛は種を飛ばすためのものなんだ……」
また知らない知識が頭に浮かんできたけれど、もう慣れたものだった。
私の授かった神の恩恵はどうも、ほしいと思った知識が無制限に流れ込んでくるようなものではないらしい。
病気や植物に関係することだけ、知りたいと思ったときに必要な知識が頭の中に浮かんでくる。深堀りすればするほどどんどん知識をくれるから、気になる言葉があってもある程度のところで意識を切り替えないと、知恵熱を出してしまう事態になることが問題だった。
だけど扱いに慣れた今となっては、便利としか言いようがない。
私の記憶にあるとおり、沼にはたくさんのガマが穂をつけていた。
鞄の中から、人一人放り込めるくらい大きな布の袋を出す。口のところもほとんど縫ってあって、手のひらで包めるくらいのものしか取り出せないような代物だ。
当然、これは布団を作るために持ってきた。
寒いときに使うなら、本当は水鳥の羽が入った布団が一番暖かいんだけど……今は急いで作りたいし、ガマの穂で作る布団でガマンしてもらうしかない。
穂先に触れないようにガマを取り、袋に穂を入れて布の上から揉むと、とたんに綿毛が爆発した感覚がした。
これがね、ちょっとクセになる楽しさなのよね。
次々にガマの穂をほぐしていくと、袋がパンパンに膨らんでくれる。あとは口を綴じてしまえば、布団の完成。
貴族としての教育はおばあ様が受けさせてくれたし、私は刺繍が早いのが自慢だった。綴じるだけの作業なら、少しも時間はかからない。
とはいえ、ガマの穂をありったけほぐしていた間に、ずいぶん時間が経ってしまった。もう少しで、森は完全な暗闇になってしまう。
森の夜は、こわい。
大きなコウモリの魔獣が従える、さまざまな生き物たちの時間になるからだ。
どうしても夜に喉が渇いて、川に水を汲みに行ったとき──一度だけ遠目に見たことがある。
成人した男性よりも大きなコウモリが、悠然と立って生き物に囲まれていた。それはとても怖い光景だったけど、同時に、なんだか神々しく見えたのも覚えている。
あのコウモリはきっと、この森の王なんだろう。
「王様の目につかないように、早く戻らないと」
幸い、まだ空の端が明るい。まだ従者たちは動き出さないはずだ。
コソコソと身を隠しながら小屋に辿り着くと、室内はすっきりとしたいい香りと、しっとりとした空気で満ちていた。
男の子は少しだけ楽になったのか、私が羽織らせた布を巻きつけて寝息を立てている。
その上から、作り上げたばかりの布団をかぶせた。
「かまどの火と、仕掛けていったものがうまく効いてくれたみたい。体を温めるのは、今はこれで精いっぱいだけど……あとは」
ケトルを取り出し、水とさっき摘んだ草を入れて火にかける。
カチャカチャという音が耳についたのか、男の子の目がうっすらと開いた。
「……なに、してるんだ……?」
さっきよりも声を出しやすいみたい。やっぱり、お鍋の仕掛けが効いたかな。
「うがいに使うものを作ってるの。耳ざわりだったらごめんなさいね」
「……うがい?」
首を傾いだ男の子に、私は自信たっぷりに微笑んだ。