あの日から数日が経った。
「ティアナ! 水汲んできたぞ!」
瀕死だった男の子──エリアスは、あれから驚くほどの回復を見せた。
やったことと言えば、数日分の食料にと思って持ってきていた硬いパンをパン粥にして食べさせたり、ガマの穂で作った布団で暖かくさせたこと。
それとあの日摘んだタイムという草を煮出して作った液体を使って、「うがい」という行為をさせたり──タイムを煮ている蒸気を、小屋の中に充満させるように気を付けたこと、くらいかしら。
「ありがとうエリアス。だけど、本当に寝ていなくて大丈夫? あなた一昨日まで、ろくに座ることもできなかったのよ」
「え? ああ、問題ないだろ! 確かにまだちょっと咳は残ってるけど──ダルさはと頭痛は消えたし、のどの痛みも少ない。正直、死ぬ間際の夢の中にいるんじゃないかって思ってるよ」
「死ぬ間際に見る夢に、知らない女の子が出てくるの?」
「出るかもしれないだろ? お迎えの天使とか」
「あんまり嬉しくないわ、それ」
ガラガラの声で話していたエリアスは、回復してみるとすごくキレイな声をしていた。きっと聞きほれるような歌を歌うんだろうなって思う声だ。
体だってそんなに大きくない。だけど昨日突然
「肉が食べたい!!」
って叫んで、数時間後にはウサギを捕まえて帰ってきたくらいに、森での生活に慣れている。
「でも本当に──あの日ティアナがこの小屋に来てくれて助かった。……死ぬ覚悟をしてたんだ。この小屋は村で病人が出た時の隔離場所で、最初は村の大人が様子を見に来てくれていたんだけど、……治るどころか悪くなるばっかりだったから。ティアナが来る三日くらい前から、誰も来なくなっちゃった」
「そっか。……ここ、そういう場所だったんだ」
村というのは、森に追いやられた賤民たちが作っている集落だ。野菜を作ったり、鳥を飼ったりして、賤民同士で助け合いながら生きている。
私も村に来ないかと誘われたことがあったけど、あの時は意地を張って、一人で暮らしていくことを選択した。
でもここがそういう目的で使われていた場所なら、私がここに住み着いてしまって、迷惑がっていた人も、きっといたんだろうな。
「うがいってものにも驚いたけど──あの草ってタイム、だよな? あんなことができる草だなんて知らなかったよ。香りが強いから、料理を出す店や金持ちの家のまわりに植えることが多かったんだ。だけどこれなら、村で育ててみるのもいいかもしれないな」
だんだんひとり言のような調子で呟きだしたエリアスの言葉に、やっぱり植物にそんな力があるとは思わないわよねぇ、なんて同意しかけて、気づく。
「エリアス、もしかして植物に詳しいの?」
「え?」
キョトンとした顔で、エリアスが振り返る。
タイムという草、少なくとも以前の私は名前も知らなかった。ここに来る準備として、おばあさまの庭園に植えられていたり、街で見かける植物をすべて調べた過程で知ったんだもの。
どんな場所に植えられているかまで、考えたことがなかった。
私が植物に知っているのは、神の恩恵のおかげ。
だけどエリアスは、生活に溶け込んだ知識を持ってるのかもしれない。
そう思ったら、自然とエリアスに詰め寄っていた。
「ち、近い! ティアナ、話すからちょっと離れろって……!!」
「あら、ごめんなさい」
ちょっとはしたなかったわね。困らせちゃった。
女の子がそんな風に近づくもんじゃないとか何とか、エリアスが唇を尖らせている。まだ月の徴も来ていない子ども相手に、そこまで恥ずかしがることなんてないでしょうに。
エリアスは私が膨れ面をしているのを、お小言が不満だからだと勘違いしたみたい。
困ったようなため息を吐いて、ポンと私の頭を撫でてくれた。
「オレの親父、侯爵領で庭師と種苗店をしててさ。タイムは魚や肉の臭い消しに使われるから、料理人には重宝される草なんだよ。オレもよく植えつけの手伝いをしたから、よく覚えてる」
「そう。じゃあきっと、お庭や花壇に植える植物については、きっとエリアスのほうが詳しいのね」
「どうかな。オレはタイムにこんな力があるなんて知らなかったし、せいぜい街でどう使われてるか知ってるくらいのもんだよ。ティアナより詳しいってことはないんじゃないか?」
もちろん、私は詳しく知ろうと思えばとても深く、詳しく調べられる。そういう意味では確かに、私より植物に詳しい人はこの領内にはいないのかもしれない。
だけど私は、詳しく知ろうとすればするほど、頭がいっぱいになってしまって熱さえ出してしまう。そんな私にとって、調べる必要さえなく、当たり前の知識として植物の情報を持っている人の存在は、確実に必要なものだった。
今後きっと、エリアスは私の力になってくれる。そのために、やっぱり私も村で暮らしたほうがいい。村での暮らしがどんなものか分からないけれど、助けを借りてもいいかすぐに確認できる距離にいることが、共同生活におけるメリットだわ。
あと、よそ者が一人で村に入ると警戒されるかもしれない。森の魔獣狩りと称して賤民をいじめるために森を訪れる人間は、それなりにいる。
それを考えれば、エリアスが村に戻るときに一緒についていくのが、一番安全な気がした。
全快したエリアスが私を置いて一人で去ってしまうとは思えないけれど──きちんと言葉にしておこう。
「ねぇエリアス。私、賤民としてこの森にやってきたけれど──まだエリアス以外の人と会ったことがないの。もしよければ村に案内してもらえない?」
「それはもちろん! ……ああ、だけどティアナ。もしかしたらその髪の毛だけは、なんとかしたほうがいいかもしれない」
「髪? ──あっ」
「うん。貴族だったって即バレ」
そうだった。
私のストロベリーブロンドに限らず、この国で色素の薄い髪色はなぜか貴族に限られる。
大昔の神様が、色素の薄い髪を持つ女性を全員貴族と結婚させたせいだ、なんてお話もあるくらいだ。
エリアスはずっとなにも言わなかったけど、私が貴族だったことを知っていて、普通に接してくれていたんだわ。
だけどそんなエリアスが、わざわざ髪色を話題に出すということは──
「もしかして、貴族を嫌っている村人がいるの?」
「いや、そうじゃない。だけど街から出てくる連中の中には、貴族出身の賤民を見つけたら、ひどいことをする奴もいるんだ。そういう連中に目を付けられないために、髪の色はどうにかしたほうがいい」
「……ゾッとする話ね」
具体的な例を挙げないのは、きっとエリアスの気遣いなんだろう。だけど前回の人生で、私を見つけたとたんにニヤついた騎士たちと──さっさと殺せと号令を受けて舌打った態度を思い出せば、どんな目に遭うか想像できてしまう。
思わず自分で自分を抱きしめた私に、心配するなとエリアスが笑って肩を叩いた。
「村に戻ったら、ティアナにいいものをやるよ。大丈夫。魔法が使えないオレたちにだって、いろいろ使えるものはあるんだからさ」