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第29話

「ブロル、さん」


 助けを求める声で呼んだけれど、ブロルさんはにっこりと笑って、足を進めることを促してくる。

 広げられた羽の前に進み出ろということみたい。

 ……あの羽に包まれろと、そういうことだ。


「大丈夫。クセになって、たびたび甘えに来る子もいるくらい気持ちいいよ」


 行きたくない私の気持ちを察したのか、ブロルさんがウインクしてくれる。

 だけど大丈夫じゃない。たぶんそれは大丈夫じゃない。

 だってここ、魔獣の巣なのよ。クセになって甘えに来る子がいるのは全然大丈夫な話じゃないでしょ。


「なにをしている、早く来い。吸ってもいいから」


 ……いや、吸わない。吸わないつもりだけど。ていうか吸うってなに!?

 言ってることさえ分からないけど、このままじゃなんにも話が進まないみたいだし、行くしかないか……。


 二、三歩進み出ると、そこはもう王様の目の前だった。

 私の顔が王様のお腹に、王様の顔が私のお腹にくっつきそう。


「……なんだか甘い匂いがする?」

「我々は森に生る果実を主な食糧としているからな」


 思わず深呼吸してしまう。鼻先をくすぐる位置にある柔らかな黒い毛が、王様の呼吸に合わせて私の顔を埋もれさせた。

 モッフモフだ。……モッフモフだぁ。まるで丁寧にブラッシングされた犬みたい。洞窟の中はこんなに臭いのに、なぜか王様の体からは、不快な匂いなんてまったくしなかった。

 なるほど、これはクセになっちゃっても仕方がないのかもしれない。あと、吸うの意味がもの凄く理解できた。もちろんそれでも、魔獣の巣に甘えに来るなんて危なすぎるんだけど。


 私が王様のお腹に夢中になっている間に、王様は──どうやら私のお腹をじっと見ていたらしい。


「家族に対する強い諦め、理解者に対する愛着……それとやはり、薬草への探究心と好奇心もある。お前もまたあのコロニーに巣を持つつもりか?」


 この王様、なにが見えているんだろう。

 私の記憶なのか、それともほかのなにかかしら。


「ブロルさんの村に居場所をもらえればと思っています。……ヤクソウというのは、なんのことです?」

「ヒトや我々の治癒力を高めてくれる草のことだ。魔法に依らず治癒力を高めるものは薬と呼ばれ、草以外にも鉱物や魔獣の肉など、さまざまな種類が存在する」

「鉱物や魔獣の肉!? それってどういう……!」

「詳しいことは別の機会に話そう。今は貴様の巣のことだ」


  スンスンと、私のお腹で王様の鼻が動くのを感じる。


「お前は森の恩恵を正しく享受できる。そしてそれを他者にも共有できるだろう。巣を一人で守ることもできる反面、あのオスにしたように、巣に他者を受け入れて様子を見て取り、薬を施す器の深さもある。薬の貯えが必要になることも鑑みれば──お前の巣はコロニーの最下流。広く、大きいほうがよい」

「……ッ!?」


 キィンと、耳鳴りがした気がした。

 そしてその直後、なにかが大きく動くような、地響きに似た音を聞く。


「な、なん……ッ!」

「案ずるな。巣材を運ばせるだけだ」

「巣材!? 運ばせるって、誰に……」

「大きな声を出すな、やかましい。コロニーに戻る頃にはそれなりのものが組み上がっているはずだ。……私はこのメスの挨拶を受け、この地に巣を持つことを許した。もういいな?」


 王様の目が、ブロルさんへと動く。ブロルさんはにっこりと頷くだけだ。とりあえず、謁見は終わりってことでいいのかしら。

 モフモフしていた王様のお腹から下がり、もう一度カーテシーでお時間をいただいたお礼を告げる。すると王様は静かに頷いたあと、大きなあくびをして、音もなく上空へと飛び立った。


 洞窟を進んでいたときはブロルさんの後ろにいたから気づかなかったけど、ここから先は洞窟に大きな縦穴が開いている。きっと王様のお家は、ここよりもっと上なんだろう。

 私たちとの謁見には、天井を這うように伸びた大きな枝──いや、地上から突き抜けた大きな根を足で掴んでいたみたい。

 まさか魔獣と話すことになるなんて、以前の人生では思ってもいなかった。今日は村入りすることだけを目的にしていたから、現実感がなさすぎてボンヤリしてしまう。


「お疲れ様、ティアナ。ちょっと驚かせちゃったね」

「ちょっとどころでは……」

「ははは、そうだなぁ。私も初めて彼に謁見したときは腰が抜けたよ。村に戻れそうかい?」

「……ゆっくりお願いします」


 覚束ない足取りをブロルさんに支えてもらいながら、フラフラと洞窟をあとにする。入ったときに感じていたあの臭さは、なぜかほんの少し、薄らいでいたようだった。


「あの、ブロルさん」

「うん?」

「さっき王様が言っていた、巣材を運ばせるって……」

「王様? ああ、バーキーのことか! 言い得て妙だね、確かにこの森の王様だ! ティアナは相手の本質を捉えるのがうまいのかな」


 王様の名前、バーキーっていうんだ。

 ……というか、名持ちの魔獣なのね。


「名持ちの魔獣って強くて知能が高いだけじゃなくて、神様から使命を与えられてると聞いたことがあるんですけど……。バーキーも、そうなんですか」

「そうだね、それこそ森を領地とした王様の役割だよ。領民の受け入れと把握、領地の健全な運営。あと、納税者への住民サービス」

「サービス?」

「うん。ティアナは私たちの村を見たとき、なにか不思議に思わなかった?」


 聞かれても、返答に迷ってしまう。

 村におかしな部分なんてなかったし、むしろよくできていたと思う。普通、家を建てる際には風魔法や土魔法を使って建材を組み上げるけれど、森にいるのは賤民ばかりだ。当然、そんな魔法を使うことはできない。人力、しかも少人数で家を建てるなら、途方もない時間と労力が必要になる。

 なのによくあんな立派な家が建ち並んだものだと思いはしたけれど、と考えたところで、はたと気が付いた。


「まさか、あの家って」

「分かったかい? バーキーが魔獣に命じて建材を運ばせ、ついでに家を建ててくれるんだよ」


 今度こそ、私は言葉を失った。

 魔獣たちが人間の家を作ってくれる? 意味が分からない。領地の中で聞いていた森の魔獣の話は、どれもこれも恐ろしい話ばかりだった。

 事前に魔法が付与されたマジックアイテム以外、人間による一切の魔法が無効化されるこの森中において、一方的に魔法攻撃を仕掛けてくる魔獣は脅威以外の何者でもない。だからこそ私は前回の人生で、夜は絶対にあの小屋から出なかったし、魔獣の痕跡を見つけた場所には極力近寄らなかった。

 なのにブロルさんは、まるで賤民と魔獣と共生しているような話を──むしろ、魔獣が率先して賤民を助けていると話している。

 ……まるでおとぎ話だわ。

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