私はとある部屋で、この度初対面となる婚約者様の到着を待っていた。
言い忘れていたけれど、私の新しい婚約者はまさかまさかの皇弟殿下らしいのね。
大層おモテになるけれど、本人は女性に興味がなくてこれまで結婚に乗り気じゃなかったらしい。でも自分の兄が皇帝になって時間も経つし、このままお嫁さんが居ないんじゃ民に示しもつかないということで、今回私と婚約することになった。
何故相手に私が選ばれたのかと言われれば、元々力のあったジュード帝国と親密な関係を結びたいと考えていた我が国が、皇弟殿下の婚約者を探しているという話に「それならうちの令嬢を!」と乗り出してきたからだという。
というか、それを聞いてたダミアン殿下が「これならシンディーと婚約できるし、面倒な破棄相手のエリンを帝国に追いやることができる」と思って私を推薦したみたいで。下衆も下衆な考えだが、まぁ結果として私は憧れの国に来れたので良しとしよう。
私なら王族に嫁ぐための教育も少しはやってるしね。
さて、話を現実に戻そう。
「私の旦那様……、どんな方かしら」
そわそわと身体が動いてしまう。
知ってる情報は、とても美しい男性であること、この国の皇帝様の弟であること、くらいしか無い。何の獣人なのかということも全く知らされなかった。何か理由があってのことなのだろうか。
どんな人でも別に構わないが、出来れば今回はあのダミアン殿下より少しでも話の合う人だと有り難い。
あと、好みのお顔をしているといいな、なんて。当然動物の方の話である。
すると突然ドアをノックする音が聞こえ、びくぅっ!! と身体が跳ね上がる。
「エリン様、今よろしいですか?
グレン皇弟殿下をお連れいたしました」
「は、はいっ! どうぞお入りくださいませ!」
来た。ついに来た。
ドッキドッキと速まる鼓動を必死に抑えていると、ゆっくりドアが開かれる。
入ってきたのは。
「…………!!」
青くたなびく素晴らしい毛と、鋭く光る金の瞳を持った。
世にも美しい、大きな狼だった。
「…………グレン、皇弟殿下……?」
「グルル……」
そっと名を呼ぶと、返事なのかどうなのかはよく分からないが、低く唸る声が返される。
開け放たれたドアからは、侍従と思われる人や先程の使者の方々が数人入ってきていた。
その人達は頭に耳がついているわけでもなく、さりとてお顔が何かの動物になっているわけでもなく。至って普通の人間の姿だ。
皇弟殿下だけが、動物の形を取っている。
「エリン様、ようこそ我が国へお越しくださいました。
この方が我が国の皇弟殿下でございます」
「まぁ……!!」
口に手を当てた。
鋭い瞳はまだ私を見定めるかのように見つめている。
なんて。
なんて────。
「なんて美しい方なの……っ!!」
その場に居た私以外の人から「えっ?」という声が上がった。
だがそんなことを気にしている余裕がないくらい、私は目の前に佇む美しい大狼に夢中だったのだ。
「しっかりブラッシングされた青い毛!! 何物をも貫く王者の風格を携えた金色の瞳!! なんて綺麗で素晴らしい……!!
えっ、わ、私、この方の奥さんになれるのですか?!」
「え、ええ……、式はまだ先ですが、そうですね……」
「なんてこと! この美しい方に見合うよう、外見もこれから磨いていかなければ……!!
ハッ! つ、つまり、この人を呼ぶとしたら……、だ、旦那様♡なんちゃって、キャーーっ!!」
両手を頬に当てて身体をくねらせてしまった。やだ私ったら、恥ずかしいわ! まだ式も行っていないというのに! で、でもこの美しい狼さんを旦那様と呼ぶ日が来るなんて……、興奮でどうにかなってしまいそう!!
きゃあきゃあと喜ぶ私を見て、狼さんはどこか拍子抜けしたような表情で私を見ていた。
それに気付いてか、傍に控えていた眼鏡の人物が「あ、あの……」と声をかけてくる。
「あっ、も、申し訳ありません!! 私ったら、初対面なのにはしたない……!」
「い、いえ、それは構わないのですが……。
……あなたはこのお姿を、その、嫌とは考えないので……?」
「え?」
思わぬ質問に興奮を止め、目を丸くする。
「相手は人間ではないのですよ」
「ええ、知っておりますが……?
獣人。人と獣の混合種という、世にも素晴らしき種族ですよね」
「で、でも、今は人の形の欠片もない姿ですが……」
「あら、それがどうかしまして?」
「ええ……?」
困惑気味に首を傾げる眼鏡の方。
これは……、私の喜びようを不審に思っているに違いない。私の率直な思いを伝えて安心させなければ!
「私、人間ではありますが、人間よりも動物が大っっ好きなのです」
「え、は、はぁ」
「ああでも、これはお伝えしておきたいのですが!! だからといって、決して獣人の方を家畜やらペットやらと同じように考えているわけではありません!! ちゃんと一人の“人”として見て、獣人の方ともよき対人関係を築きたいと思っております」
「…………」
「でも、私自身が動物をこよなく愛しております故……、ついついこういう反応になってしまうのは、申し訳ありません。
けれど、これはペット等の感覚で見ているわけではなく、なんといいますか……! とにかく私、皇弟殿下のあまりの美しさに、色んな意味で興奮が抑えきれないのです……!!」
ああ、私の語彙力のなさが災いしてこの思いを伝え切ることができない。
確かに私は動物を愛しているし、人間よりも動物を好んでいるが、獣人という種族をペットと同列に考えているわけではないのだ。
というか!! むしろ動物達もペットというか最早人間と同じように考えているし?! あの子達のご飯を「エサ」などと呼ぶ種類の人を許せないレベルでありますし!! ごはんやお食事とお呼びなさい!!
『……なるほど。これは確かに、ジャックの言っていた通りだな』
「?!?!」
突如聞こえてきた声に驚愕した。
暫しキョロキョロと辺りを見渡した後、じっと狼さんを見つめる。
「……も、もしや、今のは……、あなた様がお話しになったので……?」
『その通りだ』
こくん、と頷きながらまた脳に直接響くような声で言われ。
「素晴らしすぎる!!」
頭を抱えて天を仰いだ。
この状態だと他の動物達と同じように鳴き声でしか会話が出来ないと思っていたが、そんなことは無かったらしい。素晴らし過ぎて神に感謝したい。
「え……? て、天才……? 素晴らしき能力すぎてまともに直視ができない……不敬すぎ……」
『……いい加減、普段の姿に戻すか』
「えっ」
そちらを見れば、うぞうぞと狼さんの上から黒い影が現れ、それがどんどん人の形を取っていく様が目に映った。
驚きで声が出ない私に、あっという間に完全なる人間となった皇弟殿下が口角を上げながら言う。
「これは、中々面白い嫁が来た」
さっきの狼さんと同じカラーリングの髪と目をした、世にも美しいその男性。
声とさっきの変化からして、この方が普段の皇弟殿下の姿らしい。頭には狼の耳が立っている。
「…………」
「ん? どうした。……ああ、やはりお前もこちらの姿の方が好ましいか。人間の女だ、その欲求は正しい」
クスクス笑いながら顔を寄せてくる皇弟殿下。
その顔は、やはり。近くで見ても、人間のそれで。
「…………ああ…………」
しまった。思わず「残念」の声が漏れてしまった。
「?! ……お、おい。何故そんなにも残念そうな顔をする?!」
「えっ、か、顔に出てましたかわたし……。ああ素敵なお耳……尻尾もあるのですね、しゅき……」
「顔!! 顔に注目しろ!! お前はこの顔が好きではないのか?!」
「顔ですか? ええっと……、そうですね、お綺麗な顔立ちだとは思います……。思いますが……、……はぁ」
「ため息までついたぞこいつ!!」
どう考えてもさっきの姿の方がときめいた。
今の皇弟殿下のお顔を見ても「お綺麗ですねー」としか思わない。ああ、あのゾッとするほど美しい狼さん……。
後ろでは「ギャッハッハッハ!!」と使者の方が大笑いするのが聞こえたし、その横では額に手を当てて困っている様子の眼鏡さんが見える。
「ほら、だから言ったじゃねーかグレン様! 今回来る花嫁さんは他と一味違うから、試すような真似しても意味ねーって!」
「くそっ……」
悔しそうな声とともに、ぴくぴく動かされている皇弟殿下の頭の上のおみみ。
…………触りたい。
「あの、皇弟殿下」
「……グレンでいい」
「えっ、あ、じゃ、じゃあ……グレン様。
一つお願いがあるのですが」
「何だ」
「私の命と引き替えにしてもいいので、そのお耳を触らせてくださいませ」
「お前は本当に人間体の俺に注目をしないな?! この国で一番の美丈夫と謳われているのだぞ?!」
そんな皇弟殿下の叫びと共に、また周囲からはどっ! と笑い声が上がったのだった。
ええっと、……初手から飛ばし過ぎかしら? 私。