「んで、どーよ。新しいお嫁さんは」
灰色の髪をした男、ジャックがグレンに尋ねる。
ここはグレンの執務室だ。
絶賛今も仕事中であり、それを知っている筈のジャックから放たれた台詞に、眼鏡の男──コンラッドが「こら」とお叱りの言葉を投げる。
「殿下は今仕事中ですよ。私語は慎みなさい、ジャック」
「んだよー、別にいいだろお? 俺達しか今は居ないんだしさ。なっグレン様!」
ジャックが陽気に言った。
ジャックとコンラッドの2名は、昔からグレンに仕えてきた側近であり、最も信頼できる部下達だった。
だからこそ、遠い異国からやってくるヒトの令嬢を迎えに行く役割も果たしたのである。
まぁ役割分担としては、コンラッドが常に付き従う側、ジャックは様々な所へ行って仕事を遂行する、といったものだ。
執務をこなしていたグレンはその手を止め、カチャリとペンを置いた。
そして「そうだな……」と口を開く。
「お前らにも聞いてほしい。あいつの突飛さを」
思わぬ返答に、二人の目は丸くなる。
だがすぐににやりと笑みを浮かべた。なんだか面白そうな話題で、かつそんな台詞が我が主から飛び出すのが珍しかったからだ。
「へえ?」
「主がそう仰るのであれば、聞く他ありませんね」
そう答えた二人に対し、グレンはくつくつと笑いを漏らしながら、これまでにあったエリンとの事々を話し始めた。
「まず、あいつにつけた侍女とあっという間に仲良くなっていた」
「ほう! それはいいですね、あの御方とは大違いです」
「そっちこそ不敬なんじゃねーのかコンラッド?」
「失敬。ここには私達だけでしたので、つい。
……で? それの何が突飛なので?」
コンラッドが不思議そうに尋ねる。
「あの後その侍女……フィリスに聞いたが。
寝起きから10分もしない内に突然「尻尾を触らせてほしい!」と懇願してきたらしい」
「は、」
「別に嫌ではないので触らせてみたところ、ものすごく喜んでいたそうだぞ」
「……マジかよ。神経図太いなあの妃殿下」
「更には……」
「まだあるんですか」
「図書室に居たから声をかけたら、「動物語の本はありませんか」だと。随分と必死に懇願されたよ。
本気で俺達、ひいては動物と会話することを目標にしているようだ」
ぽかーん、と口を開ける二名。
「それに……ふっ、本当にあいつは俺の顔に興味がないようだった。普通の女なら俺の顔を見た途端、しなを作りながら媚を売ってくるものだが……。
そんなものより、庭に居る狼達の方が大事だったらしい。この姿の俺と出会った時よりも明らかに興奮していた」
「…………」
「…………」
「ちなみに、人間体の俺と出会った時には言わなかった「カッコイイ」という台詞は、アレクサンダーに完全に盗られた」
少しの沈黙。
そして、ふるふる…とジャックの身体が震え、次の瞬間大笑いへと変わっていた。
「ギャッハッハッハ! お、おもしれー!! 予想以上にヘンだ、あのお嬢さん!!」
「ジャック、お嬢さんはおやめなさい。妃殿下ですよ。
……それにしても。初めて我が主と会った時もそうでしたが……、見た目からは想像もつかない活発さです」
コンラッドはしみじみと呟く。
初めて見た時のエリンはとても大人しそうに見えた。茶色の髪をたらりと流し、それと同系色の瞳を伏せて座っていたから。
一見普通の、本当に普通の、物静かなご令嬢かと思ったのだ。
しかし、グレンから語られる彼女の姿はアグレッシブそのもの。
「アレクサンダーに一気に気に入られたのも驚いたな。アイツはあんなにも簡単な奴じゃなかった筈なんだが……」
「えっ、……彼は誇り高き群れのボスであり、簡単には心を許すはずがないのですが……」
「ああ。だからこそ俺もびっくりして思わず聞いてしまったよ。何でなんだ? って」
それはそうだ。コンラッドだってジャックだって、その場に居れば不思議で堪らなくなり、彼に答えを求めていただろう。
「彼はなんと?」
「『何となく』らしいぞ」
「完全に感覚で物を言ってますね……」
つい呆れてしまった。
まぁ、元々口数が少ないアレクサンダーのことだから、それくらいしか喋ることが無かったのかもしれないが。
それにしても端的過ぎやしないだろうか。
「いやー、俺は分かるぜ? アレクサンダーの思ってることも」
ジャックの言葉に二人がそちらを振り向く。
「なんかよく分かんねえけど、あの人の傍って心地いい感じがするもん」
「お前も完全にフィーリングじゃないですか」
「何だよ、コンラッドだって感じてるだろ? あの妃殿下から出てる雰囲気……オーラ? っての」
「…………まぁ」
そう言われると嘘はつけない。
確かに、少しの時間しか会っていないけれど、彼女の纏う雰囲気は我々狼族を和らげるものがある。何となく、この人の前では気を抜いていてもいいのではないか、と思わせる何か。
これが何なのかはコンラッドには分からないが、とにかく、彼女は狼……ひいては動物に元来好かれやすい体質なのだろう。
「……そうだな」
グレンが呟いた。
「エリンは多少暑苦しい点もあるが……、何より俺達に「敬意」がある。触れてはならない部分をよく理解しているのだろう。きっと、彼女がこれまで動物達と繋いできた絆によるものなんだろうな。
でも、だからといって敬遠することもない。踏み込んでくる強さがあるが、それが嫌じゃないんだ。ジャックも言った通り、不思議なことにな」
「……そうですね」
「それに……くくっ、あいつは見ているだけで面白い。次は何をしでかしてくれるのかと、日に日に楽しみになる」
コンラッドとジャックは二人で顔を見合わせる。
何でって、こんなにも楽しそうにしている主を見るのはとても珍しいことだからだ。しかも、女性関係で!
「……嬉しそうですね、我が主よ」
「ああ、嬉しいな。結婚なんて面倒くさいもの、俺は全く乗り気じゃなかったんだが……、あいつなら、俺の相手になってもいい、と思っているくらいには」
これこそ驚愕する案件だ。
まさか、まさか我が主から、そんな言葉が出てくるとは……!
昔からクールで仕事一辺倒。女遊びもせず、近づいてくる雌達を面倒臭そうに躱していただけのグレン。
そのグレンが結婚してもいいと言った。しかも、同種ではなく、人間の女性だ。
(これはこれは……)
なんだかよく分からないが、まぁ……概ねいい傾向なのではないだろうか。
「へぇー! じゃ、グレン様! エリン妃殿下のこと好きなんすね?!」
そんなことを考えて少し笑みを零していたコンラッドの横で、ジャックが叫ぶ。
その興奮した様子に目を丸くするグレン。
(いや急に踏み込んだなこいつ)とコンラッドがハラハラ見守る中、グレンはふっと笑みを零して言った。
「いいや? ただの興味だよ。知的好奇心とでも言うべきか」
「ええー?! つまんないっすよお、そんなん! ここは恋に落ちるべきとこじゃないんですかー!」
「ちょっとジャック、いい加減やめなさい! グレン様はお忙しいのです、お前も仕事をすること!」
「え゛え~……、ハイハイわかったよ……」
説教をしてくるコンラッドに対し、ぶすくれながらも渋々仕事に戻るジャック。
そこで話は一旦終了としたため、この後に呟かれた言葉は誰の耳にも入っていなかった。
「……俺がエリンのことを、ねえ」