私エリン。今皇帝陛下の頼み事を遂行すべく、皇后様の元へと向かっているの。
「エリン様、この度はありがとうございます。皇后陛下のために……」
隣を歩く皇后様付きの侍女、ジリアンさんが呟く。
私はそれにぶんぶんと手を横に振りながら「いえいえ、全然!」と叫んだ。
「私も皇后様とは仲良くなりたいと思ってましたし!」
……本当は皇帝陛下に頼まれたからなのだが。まぁ、仲良くなってみたいという気持ちも嘘ではない……、はずだ。
何分前情報が色々とアレな方なので、本当に大丈夫なんだろうかという気持ちの方が強い。
そんな私の事情を察しているのだろう。ジリアンさんはため息をつきながら、彼女から見た皇后陛下の姿を語ってくれた。
「皇后陛下は大変気難しいお方です。やはり、獣人族を嫌っているという点が大きいでしょう」
「そうですか……、何かこの国で嫌な思いをされたとか……?」
「いえ、少なくとも国民は歓迎しておりましたし、我々使用人どもも出来る限りの心を尽くしてまいりました。なので、そういったお話は現在聞いておりませんね……」
「ですよね。嫌なこと聞いちゃってすみませんでした!」
頭を勢いよく下げる。事情を聞くためとはいえ、獣人族の彼女に対し嫌なことを尋ねてしまった。
しかしジリアンさんは「お気になさらないでください、妃殿下」と眉を下げながら微笑む。
「人間である妃殿下が皇后陛下と親しくなるため、お部屋を訪れてくれたことが私には嬉しいのです。あのお方は、きっと今、お一人で孤独な思いをされていらっしゃると思いますから」
「……孤独」
「周りにほぼ獣人族しか居ないお城で、あの方にとっては敵地も同然ですものね。
なので、妃殿下。どうかどうか、皇后陛下……ユーフェミア様を、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をされる。
見れば、ジリアンさんの頭には動物の耳がない。尻尾も同様。
このお城に居る獣人族の方々の特徴は様々で、人間の身体に動物の特徴がついている人、完全に人間体と変わらない人、そして、顔が動物の形をした人など。その人によっては色々だ。
でも完全に人間と変わらない姿をしてい人は稀で、殆どみんな、自分の種族の象徴である耳と尻尾を携えている。
それがジリアンさんには無いということは……。
(獣人族を嫌ってる皇后陛下のため、かな)
極力人間に近い形を保つようにしているのかもしれない。
変身能力は人によってまちまちだと聞いているから、きっと人間体に近づける侍女を皇后陛下のためにお付けした、のかも。
私の完全なる想像だけれどね。
「──皇后陛下のお部屋はこちらになります」
大きく豪奢な扉の前で止まる。
ジリアンさんの言う通り、ここが皇后陛下のお部屋らしい。
「ここが……」
神妙な面持ちで見上げた。
というか、なんていうか。
何だろう。なんか、何物をも寄せ付けないぞという雰囲気があると申しますか。
扉からでもわかるこの歓迎されてなさ感。
しかし、このままここに居るだけではお役目が果たせない。
私は大きく深呼吸した。
そして、隣に居たジリアンに「行きます!」と声をかけた。
彼女はコクリと頷き、コンコン、と、扉を叩く。
「……どなたかしら」
中から高い女性の声が聞こえてきた。
おそらくこの声の主が皇后様だ。
「皇后陛下。エリン・アディンセル妃殿下を連れて参りました。皇弟殿下の婚約者様です」
その侍女の声を聞き、皇后陛下は暫し沈黙した後。
「……どうぞ、お入りになって」
と、小さな声で言った。
ドキドキしながら開かれた扉の先へ足を進める。
広い広い室内の中。皇后陛下は、テーブルの前に置いてあるソファーに腰掛けていた。
きらきら光る銀糸の髪、紫色の瞳。
そのお顔は、……とても美人だ。グレン様や皇帝陛下に引けを取らないほど。
つくづく思う。
(本当に、グレン様の婚約者が私なんかでよかったのかしら……?)
周りが綺麗な人達ばっかりだから尚更そう考えてしまった。
性格はともかく、この人達に似合う顔面偏差値は明らかにシンディーの方が上だ。
ちょっと悔し涙を浮かべそうになった私に対し、皇后陛下はにこりと優しそうな微笑みを浮かべ、ソファーを指し示した。
「お茶を用意させますから、どうぞおかけになって」
「あ、ありがとうございます!」
「ジリアン、お願い」
「承知いたしました、皇后陛下」
言われた通り、彼女と向かい合う形で座る。
ジリアンさんはその場で「失礼いたします」と去っていった。
「まずはここへの訪問、感謝いたします。
私はユーフェミア・ディ・ジュード。ルカリア王国の元第二王女よ」
「こ、皇后陛下にご挨拶申しあげます……!
私はエリン・アディンセルです! 私の出身はレオステアで……」
「ふふ、そのように緊張なさらないで。私たち、同じ人間の国から来た妻同士でしょう? 仲良くしたいわ」
あれっ。意外と穏やかだな。聞いてた話から想像してたのとはちょっと違うぞ。
そんなことを話していると、ジリアンさんが戻ってきてお茶を淹れてくれた。その温かさにほっとする。
しかし、お茶を用意してすぐに。
「あなたは下がりなさい、ジリアン」
「えっ」
「私はこの人ととても個人的な話があるの。お前が居ては話せるものも話せないわ」
驚きの声を上げる私とは裏腹に、ジリアンさんはまるでそう言われて当然とでもいうような顔で。
「承知いたしました」
と答えたのだった。
「扉の近くに居るのもだめよ。離れた場所で待機していなさい」
「かしこましました、皇后陛下」
当然ジリアンさんが居てくれるものだと思っていたので、驚いている間にささーっと彼女の姿が見えなくなってしまい、私は手を伸ばして追いかけたいのを必死に我慢した。
初対面の相手。そして、気難しいと評判の皇后様。
……間が持つだろうか。私。
*
「皇帝陛下に言われて来たんでしょう?」
その言葉に、私はギクッと身体を跳ねさせた。
皇后様はティーカップに口をつけながら話し続ける。
「あの人は私に手を焼いていますものね。とうとう人間の女性を連れてくるくらい、打つ手が無くなってきましたか」
「……あの、お言葉ですが、皇后陛下」
「ユーフェミアでいいわ。私もエリンと呼ばせていただきたいのですが、よろしいかしら?」
「は、はい! もちろん!
……それでは、ユーフェミア様。あなたは大層獣人を嫌っているとお聞きしたのですが……」
「……ええ、本当の話よ」
くっ、とユーフェミア様がお茶を飲む。
「ええと、それは何故ですか?」
「何故? 不思議なことを聞くのね。私達人間の世界では、獣人族が恐ろしく野蛮な種族だというのは周知のものでしょう?」
「た、確かにそうですが……、噂は噂です。ここに居る人達はみんな優しくて……」
「……それでも、私は恐怖心をどうしても拭えないのよ」
ユーフェミア様は静かに呟いた。
「逆に聞くわ。あなたはどうして怖くないの?
獣人族よ? 動物により近い性質を持っていて、鋭い爪や牙なんかも簡単に出せる。恐ろしくはなくて?」
「それは……、私は実は、動物が大好きでして」
「動物が好き……?」
ぴく、と眉を顰めるユーフェミア様。
何かおかしなことを言っただろうか。単に動物が好きなんですと答えただけなのだが。
「……動物が好きなだけで、獣人族も怖くないだなんて。あなたは随分、神経が図太いのね」
「えっと……ありがとうございます」
「褒めてないわよ」
褒められてなかった。
「……で、でも、ユーフェミア様。
ここのお城に居る人達はみんな親切にしてくださいますよ? 国民の皆さんだってかわ……優しそうなお顔をされていましたし……」
「…………」
「だから、噂に惑わされず、彼ら自身を見ていただけたらと思います。試しに、ジリアンさんのお耳と尻尾を触らせてもらうというのは……」
何を隠そう。私がフィリスに初めて会った時にやったことである。
フィリスは触られて嫌ではないと言っていたし、ジリアンさんもそうかもしれない。まずは身近な人から慣れていくというのを……。
しかし。
「……りなのよ」
「え?」
「無理なのよ、私には」
ユーフェミア様に一刀両断されてしまった。
慌てて「そ、それなら!」と話を続けてみる。ここで引いてはいけない。彼女の許容範囲を知るよい機会なのだから。
「じゃあ見てみるだけで……」
「それも怖いの!」
「ええ……?!」
それすらもダメとは驚いた。
一体全体何故だろう。触るのはまだしも見るだけだ。しかも相手は自分の侍従であるジリアンさん。
滅多なことは起きないと思うのだが……。
「どうして……」
「……だって……、だって私は」
私が困った表情を浮かべながら問うと。
ユーフェミア様が震える声で、意を決したように叫ぶ。
「そもそも、動物が、大の苦手なんですもの……!!」
その瞬間、私は目を大きく見開き、
一つは、「なるほど皇后様にはそういった事情があったのか」という発見。
二つ目は──。
「動物が苦手」という、自分とはあまりにもかけ離れた、その事実への衝撃!!
実家でも学園内でも、動物が嫌いだという人に出会ったことは殆ど無かった。
かつて親友だった(はず)のシンディーが「動物は汚してくるから嫌い」と言っていたくらいで、家族の者たちも犬を四匹も育てるほどの動物好き。
私は元々、そんな人々に囲まれながら生活していたのだった。
(信じられない……。本当に居るのね、そんな人……)
いやいや、びっくりしたのはしょうがないとして。
いくら信じ難いことだとはいえ、否定するのはよろしくない。世の中には実に様々な人が生きているのだ。
しかし、私の使命は皇后陛下と獣人達を少しでも仲良くさせること。
苦手な分野を好きになるよう働きかけるなんて、やっぱりとても難しい作業なのではないだろうか……。
「あ、あの……、皇后陛下は何故動物が苦手なので?」
とりあえず敵情視察である。いや敵ではないんですけれどね。
とにかく、何はともあれ詳しい事情を聞くのが大切だ。私は苦笑しながら尋ねてみる。
ユーフェミア様は先程の凜とした雰囲気からは一変、悲しそうな表情で答える。
「……む、昔から、動物には好かれなくて」
「そうなんですか」
「それでも、子供の頃は何度もチャレンジしたわ。けれど……ある日」
わなわなと肩を震わせて彼女は叫んだ。
「お祖母様のお屋敷で飼っていた犬が、私の手をガブリと噛みましたの!!」
(なるほどな……)
それは確かにトラウマものだ。私は噛まれても全く気にしないくらいの動物好きだったからちょっと状況が異なるが、仲良くなろうと頑張っていた幼い彼女にとってはショックでならなかっただろう。
「それ以来、どうしても動物が怖いの! 近づくとまた痛いことをされるんじゃないかと思って!」
「ああ~、そうなっちゃいますよね……。で、でも、必ずしもそうなるとは限りませんよ。誠意をもって接していけば……」
「どうしてそんなことがわかるんですの?! 私はもうガブリと手を噛まれたくはないんですのよ!!」
「ううん……」
完全に警戒し切ってしまっている。どうしたものか。
(……いや、待てよ?)
「ユーフェミア様」
「……な、何かしら。
まぁ、そうですわよね。動物好きなあなたからしてみればなんて小さいことでと笑うような話で……」
「いえいえそういうことでは全くなく!!
あの、……先程から動物を怖い怖いと言っていますが……、その恐怖心が無くなれば、彼らに触れられるようになりますか?」
「え……」
そうだ。彼女の口から出てくるのは「怖い」「恐怖心が拭えない」だけで、「心の底から大嫌い」と言っていた覚えはない。「彼女が獣人を嫌っている」というのは、殆ど人から伝聞した情報だ。
「お嫌いだとお聞きしておりますが」と言われた時に、そうだと一応答えているだけで。自分から嫌いなのだ、と言っていた様子は見受けられなかった。
それに、幼い頃は何度も挑戦したとも言っていた。
つまり、少なくとも小さい頃は苦手でもなんでもなかったはず!
「え……、ええ、そうね……。今まで考えたこともなかったけれど、もし怖くなくなったなら……出来る、かもしれないわ」
おそるおそるユーフェミア様が呟く。
これは……、もしかしたら、イケるかもしれない。
私はにやり、と口角を上に上げた。
「彼らと仲良くしてみたい気持ちは、ありますか?」
「……そ、それは、勿論……、できることなら……」
よかった。それを聞いて安心した。
「なら」
「なら……?」
ユーフェミア様が私を見上げる。
「慣れていきましょう、少しずつ」
「な、慣れる? でも、どうやって……」
「狼達が住む庭があるんです。まずはそこで、動物へのトラウマを払拭するため、彼らと仲良くなるんです!」
私の提案にユーフェミア様はピッ!! と身体を跳ねさせる。
そして、「むッ……無理ですわ!!」と震えた声で叫んだ。
「そんな、狼と突然触れ合うなんて……! お、恐ろしくて、私……!!」
「大丈夫です。私が傍についていますから。みんなとっても優しい子達なんですよ!」
「や、優しいって……きゃっ」
彼女の手を取った。
そしてそのままずるずると引きずりながら部屋の扉へと向かっていく。
「物は試しです! 早速行きましょう!」
「ま、待って、ああああ~~…………!!」
元気な私の声と同時に、ユーフェミア様の悲痛な叫びが部屋の中に木霊し、その内消えていったのだった。