「う、うぐうう~~……!」
「頑張ってください、ユーフェミア様! あともうちょっとですよ!」
ユーフェミア様の指が伸ばされ、ぷるぷると震えている。
それを私は横で見ながら、さっきから数十分ほど、ずっと応援し続けていた。
ここはお馴染み、狼の庭。
ユーフェミア様を(まぁまぁ強引に)ここへ連れてきた私は、群れの中でも特に大人しい個体であるハディスを呼んだ。
穏やかな性格をしており、滅多に吠え声なども上げない優しい子だ。ハディスは見慣れた私の姿を見て、なに? とでも言いたげに首を傾げていた。
で、大人しいハディスなら触る相手の練習にいいんじゃないか! と考えた私の策によって、彼とユーフェミア様の触れ合い……まだ触れ合ってはないけど。は始まった。
ちなみにユーフェミア様はさっきからずっと彼に触れるか触れまいかの所を行ったり来たりしている。どうしても、その一歩がまだ踏み出せないらしい。
「う、うう、もう無理ですわ……! 許してくださいエリン……!」
涙目で懇願するユーフェミア様。
「大丈夫です! ハディスも根気強く待ってくれています、指先だけでもいいので、さぁ!」
「かか噛まない?! 噛まないかしら?! こんなのに噛まれたらひとたまりも」
「安心してください! ハディスは群れの中で一番大人しくて争いを好まない性格をしていますし、万が一そうならないよう、私も見張っておりますゆえ!!」
「……なんなんだこの集いは……」
ちなみに、何故かグレン様も同席してくれている。
「また面白いことをすると聞いてな」とか言いながらいつの間にかついてきていた。前々から思ってましたけど、グレン様、結構神出鬼没ですよね?
「狼と皇后様の「仲良しになろう」作戦ですっ!」
「はぁ……、それで、戦果は出ているのか?」
「いいい今頑張っている最中よ!! お黙りなさい!!」
「……失礼いたしました皇后陛下」
必死なユーフェミア様が叫び、グレン様がやれやれと言った表情で肩を竦めた。
「…………」
なお、ハディスは先程からずーっと黙って目を閉じている。私が最初に頼み込んだことをよく理解しているらしい。本当にいい子だ。
本当は小さな動物から始められたらよかったのだが、生憎とここで飼育しているのはこの庭に居る狼だけらしく……。わざわざ小さいものを探すより、気心の知れたこの子達の方が相手としてはいいのではないかと思い、ここに来た次第である。
「う、う……」
相変わらずぷるぷると震える腕を精一杯伸ばしているユーフェミア様。
不謹慎だが、ちょっとかわいい。会った頃は冷静な美人さんという印象を受けていたので、尚のことそう思えてくる。
「ユーフェミア様、怖がらないで」
「……む、無理よ、そんな……っ! だ、だってこんなに怖……」
「私達の気持ちは動物へと伝わってしまいます。私達が警戒すれば、彼らも同じ気持ちになってしまう。
大丈夫、彼はとても優しい子。あなた様のお手を噛むことは、絶対にありません」
「…………」
私がそう言うと、ユーフェミア様は少しの間口を閉じた後。
胸に手を当て、すーはーと大きく深呼吸をし、彼をじっと見つめた。
「…………っ!」
そして、もう一度手を伸ばすと────。
────ちょんっ。
「「あっ!!」」
その瞬間、二人で大声を上げた。
今! ユーフェミア様の指が、確かにハディスの毛に触れた!
「きゃあああっ!!」
「ユーフェミア様ーーーっ?!」
そして叫び声を上げながら後ろにすっ転ぶユーフェミア様。
突然のことに冷や汗をかきながら驚いてしまった。慌てて駆け寄り、転倒している彼女に手を差し出す。
「え、えええ、エリン……!!」
「大丈夫ですか?!」
「わた、わたくし、今……」
「ええ! やりましたね!!」
ユーフェミア様は差し出された私の手を取り、呆けたような顔で「さわれた……」と呟いた。
「どうですか? やっぱり、触るのは嫌でしたか?」
「……いいえ、この子も全然動かなかったし……、い、嫌じゃなかったわ……」
「それはよかった! 一歩前進ですね!」
「…………」
彼女が自分の手のひらをじっと見つめ、それから、ぐっと握り締める。
そのお顔は達成感に包まれていて。
「や、やりましたわ、私……!」
「ええ! すごいです、ユーフェミア様!」
「エリン……、ありがとう……!」
ユーフェミア様と手を取り笑い合う。
これはほんの小さな接触だが、私達にとっては大きな一歩なのである!
最早戦友かのような心持ちだった。仲間意識って大事。
「……、も、もう少し頑張ってみようかしら」
「わあ! いいですね、やりましょうやりましょう!
ごめんねハディス、もう少しだけ大人しくしていてくれるかしら?」
「キュウン」
「わかったよ」の返事がもらえた。やっぱりめっちゃいい子だこの子。ありがとうねほんと。
それから1~2時間ほど、私達は狼との触れ合いに挑戦した。
この時間で少しずつユーフェミア様は狼に触れるようになり、相手がハディスに限り、撫でたりすることもできるようになっていったのだった。
「ユーフェミア様、その触り方は狼達が嫌がるかもしれないです。もっとこう、こんな感じで」
「わ、わかったわ! こう……、かしら?」
「そうですそうです!」
だんだん彼女がハディスに対して打ち解けていく様子が見られて、とても嬉しい。それはユーフェミア様も同じなようで、二人でわいわいと楽しくお喋りをしながら進めていく。
「楽しそうだな……」
ずっと眺めていたらしいグレン様が呟く。
それにくるっと振り返る私。
「グレン様、お疲れでは? 中に戻っていただいても大丈夫ですよ」
「仕事で行けない自分の代わりに、お前と皇后陛下の様子を見てこいと言われているんだ。俺のことはいいから、続けていろ」
「それは、皇帝陛下に?」
「そう」
やっぱり。
陛下もユーフェミア様のことが心配なのね。あんなにも気にかけていらしたもの。
「陛下が……」
すると、私達の会話を聞いていたユーフェミア様がぼそりと呟いた。
その声はなんだか嬉しそうな、しみじみとしたもので、「おや?」となんとなく思ったが、今は触れないことにしておいた。
「皆様~!」
そこに、ダニエルからの声が入る。
「すみません、そろそろ狼達のご飯の時間なので……、よろしいでしょうか?」
「あら、もうそんな時間? じゃあみんな、ご飯にしましょうー!」
私が呼びかけると、遠くに居た狼達も顔を上げて「飯?」「飯か?」という顔をする。
これがまたかわいい。大好き。
「妃殿下もご飯をあげますか?」
「ああ、いえ、私は今日は……」
「あ、あの!」
今日はユーフェミア様の付き添いだから遠慮して……。
と答えようとしたところ、ユーフェミア様が声を張り上げた。
ダニエルと二人でそちらを見る。
「え、エリンは狼達にご飯をあげているの?」
「ええ、たまにですが……」
「たまにじゃないですよ~。結構いっつもです」
謙虚に答えたつもりだったのにダニエルから援助が入ってしまった。
そんな私達に対し、ユーフェミア様はぎゅっと目を瞑りながら、一生懸命なお顔で。
「……わ、私もやってみたいのだけれど、いいかしら……!」
「え」
「ええっ?!」
思わぬお願いに、私達二人の素っ頓狂な声が上がった。