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第14話 ブラッシング体験は素晴らしかったです

 皇后陛下と動物達で戯れた日の夜のことである。

 食事や湯浴み等を終わらせ、さぁそろそろ寝るか……と思っていたところに、まさかまさかのお声がかかった。


「エリン」

「グレン様?」


 名を呼ばれて振り返る。


「どうされたんですか、こんな時間に」

「ああいや、ちょっとな」

「?」


 首を傾げる。

 そんな私に、グレン様はこう言ってきた。


「今から少し話さないか、エリン」

「え?」


 思わぬ言葉に目を丸くする。

 何の話だろう? と不思議に思った所を見透かされたのか、グレン様は笑いながら言う。


「なに、ただの婚約者との交流だよ」

「交流」

「思えば、二人きりでじっくり話したことはあまり無いように思えてな。

 今日は色々あったのだし、少しお前と語り合いたい。……嫌か?」


 うっ! そんな風に眉を下げられると、こちらの良心がチクチク傷んでくるわ……!

 やたらと可愛らしいお顔をされやがって! このこの!


「そういうことなら、ぜひ」


 にっこりと微笑みながら答える。

 それにグレン様は顔を明るくして、「向こうで話そう」と、前を向き足を進めていった。



 *



 所変わって談話室。

 使用人の方にお茶を入れてもらって、私達はソファーに座りながら話をしていた。


 ……何故か隣同士で。

 向かい側にも座るところはあるというのに、何故か、隣同士で。


(謎だわ……)


 まぁ突っ込んでもしょうがないからスルーするけれども。



「今日は大手柄だったな、エリン」


 グレン様が楽しそうに言う。


「まさかあの皇后陛下を部屋から引っ張り出すとは」

「……少し強引すぎたでしょうか」

「結果オーライだったからいいじゃないか」


 そうかもしれないけれども。

 やっぱり今日のアクシデントを考えたら、狼達と触れ合わせるのは時期尚早だったやも……。


「お前はあいつらを信頼していて、皇后陛下のためになると考えたんだろ。なら間違ってないさ」

「……そうですかね?」

「ああ」


 そうかしら。

 それなら、よかった。

 グレン様にそう言っていただけると、なんだか勇気が湧いてくる。


「しかも、彼女の動物嫌いまで克服させて……。ハディスと抱き合いながらわんわん泣いている彼女を見た時はぎょっとしたぞ」

「あれはハディスの功績です。というか、ほぼ彼が何とかしてくれたといいますか……」

「はは。まぁあいつは群れの中でも一等優しい奴だからな。よくあんなに根気強く訓練に付き合ってくれたもんだ」

「本当に、感謝をしてもしきれませんね」

「おっ。同じ台詞を、兄上がお前に言っていたぞ」

「えっ?」


 目を丸くする。

 兄上……、ということは、皇帝陛下が?


「あれから、皇后が自分から部屋を出て、兄上の元へ行ったらしい。今までの非礼を深くお詫びいたします、とな。

 その変わりように驚いた兄上は慌てて何があったのか聞いて、お前との話が出てきたというわけだ。

 とてもお前に感謝していたよ」

「そ、そうなのですか……」


 私がやったことって言っても、話を聞いて狼の庭に連れ出したことくらいなものだが。

 あとは全部ハディスがやってくれたような気がする。いや気のせいじゃないだろう。


「お前にぜひ褒美をやりたいと言っていた。何でも言ってくれだとさ」

「え゛っ……、皇帝陛下からのお礼?! い、いいですいいです、遠慮しておきます!!」

「? 何でだ? せっかくだぞ、何か高価なものでもねだるといい」

「恐れ多いからですよ! それに、私は大したことはしていませんし……! 全てはハディスと、ユーフェミア様の頑張りによるものです!」


 そう叫べば、ほんとにいいのか? とグレン様が不思議そうな顔で見つめてくる。

 しかし、私は首を横にぶんぶん振ってお断りした。ほんとにそんなもの頂けるほどのことはしていないので!


「……ああ、なら」


 すると、グレン様がにやりと口角を上げる。


「俺が褒美をくれてやろう」

「……へ?」

「狼体の俺をブラッシングする役割だ。どうだ? 心惹かれないか?」

「?!?!」


 あまりの衝撃に、耳の奥でビシャーン!! と雷が落ちた音がした。

 な……、なんですって?!

 あの綺麗な狼を、グレン様をブラッシングできる役……?!


「あ、あの……」

「ん? あれ、要らない?」


 要らないなんてことはないのですが。

 私は先程「大したことはしていないので」と褒美を辞退した奴で。


 でも、でも、ああ……! なんて魅力的な提案……!!


「欲望に素直になれ、エリン。遠慮をするなど、お前らしくないぞ……?」


 あまぁい声が耳元で囁いてくる。ちょっとびっくりして身体が跳ねてしまいましたわよ。


 私にはそれが、悪魔の囁きに思えた。




 *



「どうですか、グレン様~」


 ハイ、負けました(知ってたけど)。


 いつの間にか用意されていたブラシでグレン様の青々とした綺麗な毛並みを梳いていく。

 ああ、なんて素敵な毛並みなんでしょう。殆ど引っかかりもないし。普段丁寧にケアされているのね……。


『ふむ、これは……、中々いいな』


 グレン様がしみじみとした声で呟いた。


 やった! 褒められたわ!

 うちの子達で散々実践を積みましたからね。私のブラッシングスキルは世界一よ!!

 ……世界一は言いすぎた。いえでも、ここには私もそれなりの誇りを持っていて……。


『これも、愛犬達の世話とやらから培われたスキルか』


 私の考えていたことが一瞬見透かされたのかと思ってしまったわ。びっくりした。


「ええ。性格は違えど、みんな甘えん坊で……。

 中でもブラッシングをねだってくるのはジョンですね。あの子は4匹の中でも自己主張が激しい子でしたので。そんな彼につられて、他の3匹も「やってやって」とねだってきたものでした」

『そうしていると本当に母親のようだな』

「よく言われます」

『ははっ』


 愛犬達を思うこの心に大いに母性が入っているのは自分も分かっているし、周りにもよーくそれが伝わっていた。だからよく言われたものだ、「姉というより母親みたい」だと。

 一応、お母様が居るのだから、やっぱり私はお姉ちゃんポジションだと思うのだけれど……。


『……そういえば、お前の犬達の詳しい話を聞いていなかった』

「あれ、そうでしたっけ?」

『ああ。聞かせてくれないか。お前のことをもっと知りたいんだ』


 そう言われて嬉しくならないはずの私ではなく。

 私は意気揚々と、うちの愛犬四匹の話をし出した。


「ええと、うちの愛犬達は四匹おりまして!

 ジョン、ヘンリエッタ、ベニー、ララといいます。雄雌がそれぞれ二匹同士ですね。ジョンとベニーが男の子、ヘンリエッタとララが女の子です」

『ほう。人間が飼うにしては珍しい数だな。普通一匹や二匹と聞いているが』

「そうかもしれませんね。でも、うちの子達はほぼ同じ時期に生まれて育ってきたので、小さな頃からずっと四匹一緒なんです。

 うちに来た理由も様々で、どこかの家で生まれたのをいただいてきたり、捨てられていた所を拾ったり。そんなことをしている内に四匹になってました」

『そうか……。皆仲はいいのか?』

「ええ、それはもう! 兄妹のようなものなので、みんな仲良く過ごしてますよ! そう言われると、喧嘩するっていうのはあんまり見たことないかもです。いつも四匹でわちゃわちゃ遊んでます」

『はは、うちの狼達にも見習わせたいな。どうしても群れの中では競争心が生まれるものだから』

「家犬と狼ですからね。違いもあるでしょう。

 でも、私はここに居る狼達みんなが好きですよ。みんなとてもいい子で……」


 そんな感じで、私とグレン様は暫く動物談義に花を咲かせた。

 といってもよく喋っているのは私の方で、グレン様はそれをうんうんと聞いてくれていたのだけれど。


 なんだか、とても優しい時間が、そこには流れている気がしたわ。




『……子供が生まれたら、お前はとても大事にしそうだ』

「へっ」


 暫く話をして盛り上がっていたところで。

 思いもよらなかった台詞が飛び出し、思わず目を点にしてしまう。


 子供……、子供……?!


「それって、まさか私とグレン様とのですか?!」


 慌てて返す。


『そうに決まってるだろ。俺とお前は婚約者なんだぞ。いずれはそうなる未来じゃないか』

「そ、それは! そうかもしれないんですけど……!」


 前も言ったかもしれないが、想像がつかない。

 この世にも美しい男性と私が、いつか結婚し、子供を?


 じぃっとグレン様が私を見上げてくる。うう、厳しい視線だわ。


『……前々から思っていたが』

「は、はい?」

『お前は人間体になった俺に興味が薄すぎる』


 そ、そんなことは……、ない、はず。


『だから俺との婚約もどこか遠い他人の話に聞こえるし、想像もつかないのだろう』

「うう……」


 ズバッと言われ、ぐうの音も出ません。


『最初は俺に媚を売ってこない所が気に入った。俺なんかよりも他の動物達を褒め、熱い想いを向けている様は、今まで接してきた女とは大違いだった。 それらを見ていると楽しかったんだ』

「は、はぁ」

『だが、……何故だろうな。その状況が、最近少し面白くない』


 ずずいっ、とグレン様のお顔が近付く。

 鋭い金の目を携えた美しい狼。そのお顔を見ていると……。


「はぁ……、しゅき……」

『ほらな』


 ほらな、とは何ですか。

 あと、最近面白くないって、どういう意味なんです。


『こちらばかり構っていないで、人間体の俺にも興味を持て』

「いえ、別にグレン様に興味がないわけでは……」

『でもこの姿の方が好きだろう?』

「はい」

『即答か。まぁブラッシングを餌にした俺も俺なんだが……はぁ』


 何故かため息をつくグレン様。何かお困りごとでもあるのだろうか。


 そんなことを呑気に考えていた私に向かって、グレン様はこう言った。


『デートに行くぞ』

「はい?」

『少しは婚約者として意識してもらわなければ、俺の面子が立たん。このデートで、少しでもお前を俺に振り向かせてみせる』


 ぽかんと口を開けるしかなかった。

 私とグレン様が。デート。でえと。

 しかもこの口ぶりから言って、狼ではなく人間体の彼とだろう。


(……デート!! 前の婚約者ともろくにお出かけをせず、また男性との繋がりも薄かった、この、私が!!)


 突然の展開についていけない。

 ぐるぐると頭を巡らせているところに、グレン様が鋭く私を射抜いてくる。


『逃げるなよ? でないと明日、部屋まで迎えに行くからな』


 それはご勘弁ください。



 *



『おいエリン。……エリン?』


 夜も更けてきた所である。


 手が止まっていることに気付いたのでそちらを見れば、そこにすや……すや……と、静かな寝息を立てているエリンの姿があった。

 思わず吹き出してしまった。


『お前、この状況で寝るか、普通?!』


 婚約者と夜に二人っきり。そんなシチュエーション、普通の令嬢ならドキドキして眠れない……だなんて宣うのがセオリーだろうに。

 まさか自分の前で寝こける奴が居るとは思わなかった。


 やっぱり、この女は変な奴だ。


「しょうがない。連れて行ってやるか」


 狼の姿から人間のそれへと変身する。

 そして、眠っている彼女を起こさぬよう、そっと抱き上げた。


「んん……」


 エリンの身体が身動ぐ。

 すやすやと、子供のような寝顔を見せながら。


 そんな様子を見ていた俺の中に、一つ湧き上がった感情とは。


「……こいつが可愛いだと」


 未知の感情過ぎて思わず顔を顰めてしまう。

 どうやら普段見れない彼女の寝顔を見て、うっかりそう感じてしまったようだ。


 だが、不思議と嫌な感覚ではない。



 エリンの私室にあるベッドの中に、ゆっくり彼女の身体を倒す。

 ここまでしても全く起きない辺り、やはり神経が図太い。


 そんな彼女の髪をかき上げ、晒された白い額に。


「────おやすみ、お姫様」


 そっと、口づけを落とした。

 その後、身体を離し、部屋の扉まで向かう。



「明日が楽しみだな」


 そう言って、ひっそりと扉を閉めたのだった。



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