「あなたはお兄様が好きなの?」
ライラちゃんがそんな質問をしてきたのは、かわいい監視をつけられてから1週間後くらいのことだった。
今日もいつも通りの日課をこなしていた所。
「…………」
「!」
狼達の庭に居た私の所にライラちゃんが静かに、ちょこちょこと可愛く歩いてきたので、「おや?」と思いながらそちらを見た。
今日は随分と珍しいわね。今まではずーっと後ろで私を睨んでくるだけだったのに。
不思議に思っていた私の隣で、ライラちゃんはぽそりと呟く。
「こんなに毎日ここに来て狼達と戯れるお妃様なんて聞いたことない」
「あはは……そう?」
暗に「ここに来すぎでは?」と言われているのだろうか。
確かに、この城に来てから毎日のように彼らと遊んでいた。完全に彼女の言う通りだ。
苦笑する他無い。
「私はね、動物が大好きなの」
「……動物が?」
「そう! 世界で一番愛しているものよ。だから、いっつもここの子達に会いに来ちゃう」
「……」
「みんな可愛いわよね」
「……うん」
よかった! 初めて気持ちが通じ合った気がするわ!
心の中で密かにガッツポーズをした。
そんな私の挙動など一切見てないし知らないライラちゃんは、私にこう尋ねてきた。
「動物が好きだから、私達のことも怖くないの?」
「え?」
隣を見る。
「だって、あなたは私達を怖がる所を全然見せないから」
「……そうね。確かにそれもあるわ。
でもそれだけじゃないのよ」
「?」
首を傾げる彼女に、私は笑顔でこう答えた。
「私は、このお城の方々や、国民の人達……みんなが嫁いできた私を優しく出迎えてくれたから。みんなの優しさを、この国で知ったから。
だから、私はみんなのことが大好きなの」
私の言葉に、ライラちゃんは目を見開いた。
何を思ったのかはわからないけど。彼女がふいっと顔を横に向け、俯かせる。
「……私、私は……」
「うん」
「……グレンお兄様のことが大好き」
「ええ、知ってるわ」
「兄様達の中でも一番ライラに優しくしてくれて、構ってくれた。だから一番、グレンお兄様が好きなの」
私はそれに頷いてみせる。
彼女がグレン様のことをとても好いているのは、見ればよく分かる。本当にあの人に懐いているのだ。
「でも、人間は……、嫌い」
その言葉にちょっとだけ身体を固くしてしまった。
「人間は私達獣人族を差別する生き物だもの。私達は何もしていないのに、凶暴だ、野蛮だ、って……」
「……ごめんね」
謝ることしか出来なかった。
私が彼らをどう思っていようが、人間による彼らへの差別意識は確かに存在してしまう。
とてもとても。悲しいことだけれど。本当はそんなもの、今すぐ無くなってほしいけれど。
それはこれから頑張っていくしかない。
「ギルバートお兄様のお嫁さんだって、私達を毛嫌いしてたわ。だから、グレンお兄様も人間のお嫁さんをもらうって聞いた時……。
お兄様が悲しい思いをするくらいなら、ライラがお嫁さんになる! って思った。新しく来るお嫁さんなんて、会ったら絶対追い出してやるんだって……」
「…………」
「でも、あなたはこの国に来てからずっと、私達に優しくしてくれてた。使用人の皆も笑って言ってたわ。「エリン様はちょっと変わってるけど、すごくいいお方ですよ」って。
それでもまだ信じられなくて、ライラがこうやって、尻尾を掴んでやろうと監視してたのに」
「……そうだったのね」
「なのに、あなたは怒らないから。ずっと笑顔で、後ろに居るライラに話しかけてくれたりしたから……。
私、どうしたらいいのか、わからなくなっちゃったわ」
膝の上に腕を置いて、その腕の中に顔を埋めるライラちゃん。
一方、私はなんて声をかけようかと大いに迷っていた。今この子には、なんて言ってあげるべきなのか……。
ライラちゃんが顔を上げ、私をじっと見つめる。
「ねぇ、あなたは……、エリンは、お兄様が好きなの?」
「え……」
「ちゃんと、お妃様として、グレンお兄様を幸せにしてくれる?」
そこですぐに「はい」と答えられたらよかった。
でも、私は言葉に詰まってしまった。
私は、グレン様のことを、どう思っているのかしら。
彼が狼に変身した時の姿は間違いなく好きよ。見惚れてしまうくらい。前も言ったかもしれないけれど、あのお姿を見た時の感動は、これから一生忘れられないものになるでしょう。
でも、きっとライラちゃんが言っていることはそういうことじゃない。
「グレン様自身」を好きなのか、彼をこれから支えられる妃になれるのか……。そういうことを、尋ねてるんだと思う。
「……私は……」
私が何かを言おうとした、その時──。
「っきゃあ?!」
「ライラちゃん?!」
突然やってきたカラスが、私達の頭上を飛び回り始めたのだ。
ぎゃあぎゃあと鳴きながらライラちゃんの頭を蹴ったり突いたりしている。
「いやっ! なにぃ……っ」
「ライラちゃん! っこの、どっかに行きなさい!」
ええ、私は無類の動物好きよ。それはそうよ。だからカラスだって別に嫌いじゃない。可愛らしいと思う。
でもね。
人に迷惑をかける行為は、いけません!
「ギャア! ギャア…………」
私が腕をぶんぶんと振り回すと、どこかへ飛び去っていくカラス。
ライラちゃんは「うう……」と呻きながら頭を押さえていた。慌てて声をかける。
「ライラちゃん! 大丈夫?! どこか怪我はしてない?!」
「……だ、だいじょうぶ……、ちょっと頭をつつかれただけ、……?!」
その瞬間、ライラちゃんの顔が真っ青に染まった。
「──無い、無い! ライラの髪飾りが無い……!」
「えっ?!」
ライラちゃんが頭を必死に触る。ライラちゃんの頭に着けられていた、あの可愛らしい花のピンのことだろうか?
もしかして……、先程の鴉が持っていってしまったのかもしれない。
「ど、どうしよう、あれはグレンお兄様から貰った大事な髪飾りなのに……!」
うりゅりゅ、と涙目になるライラちゃん。
その姿があんまりにも可哀想で。放っておけなくて。
「い、一緒に探しましょう!」
その言葉に、彼女が目を丸くする。
「……い、一緒に……、探してくれるの?」
「勿論!」
そろそろ暗い時間になる。一人で彼女をここに置いていくわけにはいかない。
「大丈夫、すぐに見つかるわ」
私は笑顔でライラちゃんの頭を撫でた。
*
カラスが持っていったということは、近くに巣があって、そこへ運んだんじゃないか。
そんな仮設を立てて、私とライラちゃんは森の中を歩いていた。
「うーん、巣……巣ねえ……、中々難しいわね」
何せ木の上にあるものだ。普通に探していては、巣自体を見つけるのも難しい気がする。
それに、近くに巣があるのではというのも希望的観測に過ぎない。あれが遠くから来たカラスだったら……。
でも、このまま何もしないでいることはできなかった。
ライラちゃんの顔は心細そうにしていて、それを見るととても心が傷んだ。
少しでも安心させてあげたいと思い、そっと彼女の手を握る。
「!」
驚いてこちらを見るライラちゃん。
「ごめんなさい、嫌だったかしら?」
「…………、……そんなこと、ない」
ぎゅうっと握り返された。不覚にも胸がキュンとしたわ。
「……どうして……」
「え?」
「どうして、ライラを助けてくれるの」
ライラちゃんは静かな声で問うてくる。
「ライラは、あなたに酷い態度を取ったのに…」
私はそれに笑みを浮かべて、「そんなことないわよ?」と返す。
「私に興味を持ってくれてるのねって、すごく嬉しい気持ちになった」
「……そんな……」
「それに。あなたは最初から私にとって、とーっても可愛らしい、グレン様の大事なライラちゃんだったもの」
「……!」
目を見開いた後、ライラちゃんは私に向かって頭を突撃させてきた。
若干痛かったけど気にしない気にしない。
「……ご、ごめんなさい……!」
「あら、どうして?」
「ひっ、ひどいこと言って……、嫌なこと言ってごめんなさいぃ〜〜……!」
わぁわぁと私の腕の中で泣くライラちゃん。私はそんな彼女の頭を優しく撫でてあげる。
「よしよし、大丈夫よ。
髪飾りもきっと見つかるわ。一緒に探しましょう」
「……で、でも、もう暗くなってきたし……。エリンは危ないんじゃ……」
「何を言ってるの。それこそ、ライラちゃんだって危ないのよ? 私はお姉さんとして、あなたを一人にはさせないわ!」
むんっ、と胸を張りながら言う。
そんな私の姿がおかしかったのだろうか、ライラちゃんはちょっと吹き出しながら「……ありがとう」と言った。
「……さて、気を取り直して。
巣は一体どこにあるのかしら……、あら?」
すると、少し先の辺りにある木の所で複数のカラス達がたむろしているのが見えた。
もしかして……、あれかも?
「ライラちゃん、あそこ」
「え? ……あっ、カラス!」
「ええ、確信はないけれど……、もしかしたらあそこにあるかもしれないわ。行きましょう」
二人でその木の所まで歩いていく。
よくよく目を凝らして見ると、木の上に巣があることに気がついた。
自分との距離を、今しがた確かめてみる。
(……よし)
「私が登って確かめてくるわ。ライラちゃん、そこでちょっと待っててくれる?」
「えっ?! そ、そんな、危ないよエリン?! それなら私が……!」
「だーめ。小さい子にそんな危ないことさせられるわけないでしょ。
大丈夫よ、これでも昔は自分の家で木登りだってしてたんだから。……よっと」
足をかけてみる。うん、しっかりしたいい木だわ。巣の位置もそれほど遠くないし。これなら登れそう。
私はそう考え、どんどんと上に向かって身体を進めていった。
「気をつけてねー!」と下に居るライラちゃんから声をかけられる。
「よ、いしょっと……、よし、着いた。
ええっと、巣の中には……」
巣の中身をひょいっと覗き込めば、キラキラと光り輝くヘアピンがあった。
やった! あったわ! 一発で当てるなんて奇跡じゃないかしら、これ!
「ライラちゃん、安心して! この中にあったわ、今取ってるから!」
「!! ほ、ほんと?! ありがとう、エリン!」
ライラちゃんの心底嬉しそうな声が聞こえてくる。本当に、見つかってよかった。
さてさて、それでは。
巣作りしているカラスさん達には悪いけれど、これは返してもらわなきゃね。
そう思いながら、巣の中にあるピンを手に取ると──。
「ギャアッ!」
「うわわっ?!」
大事な巣の一部を取られそうになっていることに怒ったのか、カラスが私に向かって威嚇をしてきた。
苦笑いを浮かべながら後ろへ後ずさる。
「ふ、ふふ……、ごめんねカラスさん。これは大事なものなの……、返してもらわなきゃ困、きゃっ!」
「ギャア! ギャアギャア!」
「痛い痛い突かないで! ごめんね!」
しかし私の声は彼らには届くことなく。まあ当然よね、この子達にとっては巣を荒らす悪者だもの。
突かれまくるのを必死に避けながら下に降りようとした、その瞬間。
「────あ」
ずるり、と。
足が木から滑った。
どうしよう。落ちる。
「エリンッ!!」
ライラちゃんの叫び声がやたら遠く感じた。
まずいわよねこれって。そこまで高くないとしても、木の上だし。このまま地面に激突しちゃったら痛そう。
でも、この髪飾りだけは守らなきゃ。
覚悟を決め、ぎゅっと髪飾りを手に握り締めながら目を強く瞑ると────。
「……あ、れ?」
衝撃は、来なかった。
というか、地面に当たると完全に思っていたのに、なんだか温もりを感じるような……ハッ! ま、まさかライラちゃんが?!
「グレンお兄様!!」
え。
……おそるおそる目を開ける。
視界に映ったのは──見覚えのある青と金のいろ。
「……ぐ、グレン様ぁ?!」
そこに居たのは確かにグレン様で。
驚きのあまり、私は素っ頓狂な声を上げてしまったのだった。