「グレン様ぁ?!」
私が素っ頓狂な声を上げた後、ゴゴゴゴ、と背後に何か恐ろしい気配を纏っているグレン様の声で名を呼ばれた。
「エリン……、なぜお前は木の上から落ちてきた……?」
「え、ええーっと……それは」
私がしどろもどろになっていると、ライラちゃんがグレン様の足にぎゅうっと抱きつきながら叫ぶ。
「待ってお兄様!! 怒るならライラにして!! エリンは何も悪くないの、私を助けてくれたの!!」
「え、……そうなのか?」
グレン様が首を傾げる。
そうしている間に怒ったカラスさんが私達の周りを飛び回っていて、あわわと私は顔を青くした。
か、完全に敵認定されてるわよね? どうしましょう……!
「おい」
「ギャッ?!」
すると、飛んで向かってきた一羽の首をグレン様がギュッ! と掴む。
「何を怒っているのかは知らんが、お前らのせいで我が婚約者が怪我をしそうになった」
「ギャ……、ギ……」
「これ以上向かってくるなら、この首締め殺してやろうか」
ぞっとするような低い声。
それはカラス達も感じていたようで、彼らの動きが緩くなっているのを感じる。
グレン様は周りのカラスをギッと力強い瞳で睨み。
「こいつと同じ目に遭いたくなかったら、さっさと退散することだな」
と、脅すような声色……いえ、もう脅しているわね。で言った。
そして。
「ギャア!(あいつやべーぞ!)」
「ギャアギャア!(逃げよう!)」
みたいな感じで鳴きながら巣へと戻っていくカラス達。
グレン様の手に握りしめられていたカラスも、彼がぱっと手を離せば、猛スピードでそちらへと戻っていったのだった。
「フン」
「す、すごいですねグレン様……」
「あんなの朝飯前だ。それはそれとして」
ぐるり、とこちらを向くグレン様。
「こんな時間に何故二人だけで森へ行ったのか、何故木登りなんぞをやっていたのか……、説明してもらおうか、なぁ?」
「……あはは……、はひ」
やっぱり怒っている。色々な意味で。
ということで当然のことながら、私とライラちゃんは帰る最中、全ての事情を洗いざらい話させられたのであった。
*
「なるほど……そういうことか。
ダニエルが「ライラ様と妃殿下が居ません!」と呼びに来た時はどうしたのかと思ったが」
「大変申し訳ありません……。誰か呼ぶべきでしたね、考えてみれば」
「まぁ、出来ればそうしてほしかったが……、お前はライラの髪飾りを気にして早く取り返そうと動いたのだろう?
それより、ライラのために動いてくれてありがとう。礼を言う、エリン」
「い、いえ! それは当然のことをしたまでです!
……あの、それよりも、グレン様」
「ん?」
「何故、このままの体勢で……?」
そう。今の私は、グレン様にお姫様抱っこをされている体勢なのだ!!
落ちてきた時に丁度そうやってキャッチをしてくれたのは良いのだが、何故か! そこからずっと、この抱っこの状態で話をしている!
怪我もしていないんだからいい加減普通に歩かせてほしいのである!!
しかし、グレン様は涼しい笑顔で。
「婚約者を抱き上げることに何か問題でも?」
と、言い放った。
いや、問題というか。単純に私が微妙に恥ずかしいため下ろしてほしいといいますか、なんと言いますか。
「そっ……そうだ! ライラちゃん! ライラちゃんも抱っこしてほしいよね?!」
苦肉の策である。
ライラちゃんにそう尋ねると、しかし! ライラちゃんは首を横に振り。
「ライラ、もう子供じゃないもん。いい」
……それを言うなら、私の方が遥かに子供ではないのですが!
「皆様、ご無事でしたか〜!!」
庭まで帰るとダニエルと狼達が出迎えてくれた。
笑顔を向ける私とは違い、不思議そうに首を傾げるダニエル。
「あのう、妃殿下は何故グレン様に抱き上げられていて……?」
私が知りたいです、それ。
「俺に黙って森まで行き、その上木の上から落ちてきたからな。軽いお仕置きだ。
せいぜい皆にからかわれるといいさ」
そういう思惑があったんですか!
誰にも言わず森へ行った私が悪かったので、いい加減下ろしてください!
「──ハッ! そ、そうだ、ライラちゃん! これ!」
完全に渡すのを忘れていた。グレン様のせいだ全部。
無理くりにグレン様の腕から下り、ずっと握りしめていた髪飾りを彼女に渡す。
「〜〜よかったぁ……!!」
渡された髪飾りを胸にぎゅっと抱きしめ、泣くライラちゃん。
よかったなぁと皆で思っていると、ライラちゃんは顔を上げ、私に勢いよく抱きついてきた。
そして。
「エリン、大好き!!」
なんとも嬉しいお言葉を叫んでくれたのである。
これには私も胸がキューン! として、がばりと彼女を抱きしめてしまった。
「私もよ!!」
「嬉しい、やった!!」
そんな私たちを見ながら、グレン様がぽつりと。
「また一人落としたか……」
グレン様。その「落とした」っていうのはどういう意味ですか。
どちらかといえば今日落ちてきたのは私なのですけれども。
*
「どう? 痛くないかしら、ライラちゃん」
『ううん、ぜんぜん……、んわ〜〜ん……、きもちいい……』
あれから。
私達はすっかり仲良くなり、狼の姿になったライラちゃんのブラッシングまで任されるようになった。
何故かといえば、グレン様にもたまにやってるんですよと教えた際、「ずるい! ライラにもやって!」とねだられたから。
そんな可愛らしいおねだりに私が勝てるはずもなく。こうしてほのぼのとした時間を過ごしているのだった。
ちなみに、狼化したライラちゃんは言わずもがな、ものすごくかわいいです。ちまっとしてて。鼻血が出るかと思ったわ。
『うう〜ん……、これがてくにしゃん、っていうやつ……? エリンは上手ね……』
「ふふふ、そう? そう言ってもらえるとやる気が出ちゃうわ!」
『にゅわわわわ〜〜』
謎の声である。しかしかわいい。
「……エリンのブラッシングは俺だけのものだったのにな」
すると。ソファーの後ろからそっと呟かれるそんな声が。
私はそれに苦笑しながら返す。
「しょうがないじゃないですか。こんなにもかわいい狼ちゃんにねだられたら、私に断る術などありません!」
「……まぁお前はそう言うだろうなと思っていた」
はぁ、とため息をつくグレン様。
どうしたのだろう。もしかして……。
(……やきもち、とか?)
いやあ、まさかね。
「我が主、そろそろ仕事に戻ってください」
傍に居たコンラッドさんにそう言われ、グレン様はしぶしぶといった感じで執務室へと戻っていった。
ライラちゃんがふふふと笑う。
『心配して損しちゃった』
「え?」
『エリン、グレンお兄様とすーっごく仲良しじゃない』
「そう……、かしら?」
首を傾げる。
まぁ、確かにグレン様と居ると心地よい気持ちになるけれど。お話していてたのしい気分にもなるけれど。
でも、グレン様はどう思っているのか……。
『何言ってるのよ。ブラッシングなんて、許すのは使用人の他に、すっごく気を許してる相手にだけなのよ?』
「え」
思わぬ言葉に目を見開く。
ライラちゃんは尚も楽しそうに笑っていた。
『だから、特別感があったのに私にちょっと取られちゃったから、お兄様も不満気味なの!
うふふ、おもしろーい!」
「そ……そうなの?」
『そう! だからライラ、安心しちゃった。
グレンお兄様とエリンなら大丈夫だって』
そう言われてしまえば、素直に喜ぶしかなかった。
あの日、ライラちゃんに問われた言葉。
『あなたはお兄様が好きなの?』
それに対する、きちんとした答えは、……まだ私の中で整理できてはいないけど。
それでも、グレン様の大切な家族に認めてもらえたのは、すごく嬉しくてありがたいことだ。
『さっ、続きをやって! 私、エリンもエリンのブラッシングも大好きよ!』
「……そんなこと、言われちゃうと〜〜……? うりゃりゃりゃ!」
『きゃあー! くすぐったいわ、うふふ!』
あんまりにも可愛いので撫で回してしまった。
ああ、なんて至福の時間なのだろう!