グレン様とのデート以降、すっかりこの街が気に入った私は、お忍びでちょくちょく下りていったりしていた。
勿論目立たない格好をして大人しく観光しているはずなのだが、この前大々的に顔を知られたのもあり、今では帝都の人々はすっかり私を覚えてくれたらしい。
「あ! エリン様だ!」
「エリン様、うちの店に寄っていきませんか」
と、声をかけてくれる人がたくさん居るのである。
話しかけてくる人たちは皆笑顔で、それを見ると私も嬉しくなる。なんていうか、人間の国から来た私を好意的に見てくれてる人達が多いんだなって、そう思えるから。
「エリン様ほど街に下りてみんなと交流するお妃様は知りませんよぉ、私〜」
同行してくれているフィリスが言う。
「あら、そう? だってここには何でもあるし、国民達の笑顔も見れる。とてもたのしい場所なんだもの!」
「それは嬉しいですけどぉ……」
なんだかもにょもにょとフィリスが口ごもっていた。どうしたのだろう。
すると、眉を吊り上げた彼女にピッ! と人差し指を向けられる。
「エリン様の身分を知っている、良からぬ輩が良からぬことを企むこともあるかもしれないんですから! あ・く・ま・で! お忍びだということをお忘れなく!」
「わ、分かってるわ……」
フィリスにお説教されてしまった。
一応護衛の方々も少し離れた場所で見ていてくれているのだし、そんなに心配することも無いと思うんだけどなぁ……。
「でも、街に下りて民の皆さんと交流するのは悪いことじゃないでしょう?」
「それは確かにそうですが……」
「まだまだ皇族としては半人前だけれど、もっと皆の声を直に聞いて、更にこの国を良くしていきたいの。だから、大目に見て? ね?」
胸の前で手を組みわざとらしく上目遣いをしてみる。
誰かにお願いをする時はこの技が効くのだってどこかで聞いたわ! どこなのかは忘れたけど!
そしてフィリスは優しいので、そんな私のお願いも、ぐぬぬと声を漏らしつつ。
「……しっ、仕方ありませんねぇ! エリン様がそう仰るのであればぁ〜!」
と、仕方なさそうに聞いてくれるのである。
こんな私の演技にも効いてくれるだなんて。本当にフィリスは優しくて、出来た侍女ね!
*
「こんにちは〜! コーディさん、いらっしゃいますか〜?!」
どこも楽しい場所だけれど、やっぱり私の一番はここ!
動物専門のお店、ヴィッテ!
すっかり顔馴染みになってしまった狸の店主さん、コーディさんの名前を呼んだが、返事は無く。
あら? と首を傾げる。
「お留守かしら?」
「かもですねぇ……?」
フィリスと顔を見合わせながらそんな話をしていると。
「──わあああっ!!」
「?!」
お店の奥から大きな悲鳴が聞こえてきた。
肩が大きく跳ね、その後そちらにバッと顔を向ける。
(今のは……コーディさんの声?!)
何かあったのだろうか。
本来お店の裏はお客に見せられない所なんだけど!
今は非常事態だもの、仕方がないわ!
「フィリス、行きましょう!」
「はいっ! エリン様!」
バタバタと走りながら声のした方へと急ぐ。
そして見つけたのは、床に座りながら腰に手を当てているコーディさんだった。
慌てて声をかける。
「コーディさん!」
「おお、これはこれは、エリン妃殿下……。こんにちは」
「ええこんにちは、……じゃなくて! 大丈夫ですか?!」
彼は頭に手を置きながら困ったように言った。
「いやはや、棚の上の方にある物を取ろうとしたら滑って転んでしまいまして……。驚かせたでしょう。申し訳ない」
「そんなことはいいのよ! それより、どこか怪我は?! 大丈夫?!」
「いえいえ、大丈夫で……うっ」
コーディさんが少し身じろぐと、途端にとても痛そうな顔をして呻き声を上げる。
手を当てている箇所を見ると……なるほど、これは腰ね。
転んだ際に腰を強打したのかしら。
「大変! すぐお医者様に見せないと!」
「このくらいなら問題ありませんよ、エリン様。お気になさらないでくださいませ……」
「そんなわけにはいかないわ! フィリス、この辺りにお医者様は居る?」
「確かここから10分程度歩いた所に病院があったはずですぅ! すぐに行きましょう!
さ、コーディさん。私の背に乗ってくださいませ!」
フィリスが背を向ける。
それを見たコーディさんは「ええ、でも……」と申し訳なさそうに手を横に振った。
「大丈夫です! 私、こう見えても力持ちなのでぇ!」
これは本当の話である。フィリスは華奢なように見えて、実は怪力の持ち主なのだ。私も初めて知った時はびっくりした。荷物をどんどこ積み上げて持っていくんだもの。
「あなたの怪力さは知っているけれど、本当に手伝わなくて大丈夫? フィリス」
「任せてくださいエリン様!」
「コーディさん、ここはフィリスに任せましょう。
このまま放置していたらどんどん悪化してしまうかもしれないわ」
二人で必死に説得をしていると、ようやく聞いてくれる気になったようだった。
コーディさんは「すまないねぇ……」と謝りながら、私の手を借りつつそっとフィリスの背に乗った。
「大丈夫かいお嬢ちゃん。儂は重いだろう」
「いいえぇ! むしろ軽いくらいですよ!」
「ほほほ……、力持ちだと言うのはどうやら本当みたいじゃのう……」
コーディさんが微笑む。
さぁそれでは病院に、と皆で動こうとした所で。
お店の方から「コーディさーん?」と大きな声が聞こえた。
「ああ、しまった。お取り寄せしていた商品を取りにいらっしゃったお客様だ」
コーディさんが困ったように言う。
「でも、仕方ないですよ。今日はお店をお休みにして……」
「いやあ、でもねぇ……、何週間も前から待ってくださっていたお客様で……、今日ようやくお渡しできるはずだったんだ。
今日はそういったお客様が多い日でもあって……」
「それは……」
困った。どうしよう。
そんなにも心待ちにしていた商品がまた受け取れないと知ると、お客様は落ち込んでしまうのではないだろうか。
うーん、うーんと、少しの間考えて。
閃いた。
「コーディさん、その商品ってどこにありますか?!」
「へっ?! え、ええっと、そこの机に置いてあるよ。
でもどうして……」
「私が代わりに対応します!」
え、とフィリスとコーディさんの目が点になる。
だがこれしか思いつかなかったのである。コーディさんは怪我をして動けないし、フィリスはそんな彼を背に乗せているからまたまた動けない。
なら、手の空いている私が対応するしかない!
「フィリス、申し訳ないんだけどコーディさんをお願いできる?」
「は、はい! それはいいんですが……、エリン様、お一人で大丈夫ですかぁ?!」
「何とかやってみせるわ。とにかく、今は一刻も早くコーディさんを病院へ!」
「わ、わわわかりましたぁ!
では行きますよぉ、コーディさん!」
「え、ええええっ」
背に乗せられたまま動けないコーディさんは困惑した様子で私とフィリスを交互に見る。
そして、私を見つめながら言った。
「む、無理はしないでくださいね、エリン様!
すぐに戻ってきますので!」
「それはこちらの台詞ですよ! あなたはとにかく、今は安静にしていてください!」
そうして三人でお店側に出てくると、鹿の女性が不思議そうな顔でカウンター前に立っていた。
コーディさんはその方に向かって「ああ、すまないねリネットさん……」と謝る。
「少し腰をやってしまいまして……」
「えっ?! まぁ、大丈夫なの店主さん?!」
「ちょっとばかし病院へ行って診てもらってきます。ご注文いただいていた商品は、このお方に預けましたので、どうぞ買って行ってください」
「え、え? そ、そうなの??」
突然の話に頭がついていっていないようである。まぁそうよね。お気持ちお察しします。
でもこればっかりは仕方がないので、代理の私で我慢していただければ……。
「では、失礼いたしますぅ! エリン様、また戻ってきますのでそれまでよろしくお願いします!」
「ええ、そちらもよろしくね! フィリス!」
そうして消えていった二人の姿をぽかーん、と見つめる女性。
「……えっと……、話ではあなたから商品を買えばいいとお聞きしたのですけれど……」
振り返ってこちら見つめながら言う女性に、私は笑顔で教えられた商品を差し出した。
「はい! ご注文の品はこちらでお間違いないでしょうか?」
「ええ、それで合っているわ。ありがとうございます。
それにしても……、大丈夫かしら、ご店主さんは」
「どうでしょう……。でも、私の侍女がすぐ病院へ連れて行ってくれます、きっと大丈夫ですよ!」
「そうだといいのだけれど……ん? わたしの侍女……?」
不思議そうに首を傾げた後、女性はあっと目を丸くした。
「よく見たらエリン妃殿下ではないですか?!」
あっ、そうです。僭越ながら私が代わりを務めさせていただきます。
びっくりさせちゃって申し訳ありません。