「そうか……」
私の話を最後まで聞いたグレン様は、重い声を吐きながら手で顔を押さえた。
「すまない。それは俺達の失態だ」
「い、いえ、それは違います! 私が……!」
「いいや、違わないとも。それは、まだまだ俺達の仕事が民に行き渡っていない証拠に他ならない」
「え……」
目を見開く。
「……この国に住んでいる獣人達は、奴隷商人に攫われ人間の国で働かせられることが多いんだ。特に、子供はそういった奴らの間では人気らしい。
まだ幼く、力も人間の大人には勝てない。普通の大人の獣人よりも扱いが簡単だからだ」
「そんな……! そんな、ことって……!!」
私は怒りが吹き出しそうになった。
人間達の国では人身売買は違法のはずだ。それなのに、この国では攫われる獣人の数が多い、と。しかも、子供まで……!
そんなことが許されていいのか。いくら獣人が、人間からしてみれば蔑まれることがある種族だからって──!!
「俺達は出来るだけそういった犯罪が無くなるよう、日々調査などをして根城を潰すようにしてる。だが奴らはどこからでも湧いてきて……、必ずどこかで復活するんだ。要は、俺達の力がまだまだ及んでいない……ということだな……。
そうして、被害に遭った獣人が、子供達が何人居たことか……」
「グレン様……」
彼は天井を見上げた。とても悲しい表情をしながら。
「……エリンが今日、子供の母親に警戒されたのもそういうことだ。
お前が街へ出て、人々と交流を重ねてくれているのは皆知っている。だが、それがこの国の隅々にまで行き渡っているかといわれると……おそらくそうではない。
帝都から外れた田舎町なんかは、きっとお前の存在すら知らない者も居たんだろうな」
「……そう、ですよね……」
思えば。
私の「街へ下りて人と仲良くなる」って、殆ど帝都周辺だけだったような気がする。
街へ出かける際は必ず誰かがついてきてくれていたし、場所だって、帝国の中心となる所だけだったはずだ。
そこから外れた箇所にある田舎町などは、まだ行ったことがなかったように思う。
(……少しは、この国の人達と仲良くなれたと思っていたけれど)
まだまだだった。
私のこれは所詮、限られた場所だけの話だったのだ……。
(それなのに、私はみんなと少しは仲良くなれたと思い込んで、受け入れてくれている嬉しさに素直に浸って……)
そう思うと私の気持ちは重たいものになってしまい、それがグレン様にも伝わってしまったらしい。
彼は私の両肩を掴みながら、まっすぐ私の顔を見て言った。
「っエリン! お前は何も悪いことはしていない。足りていないのは俺達のせいだ!
だから、自分を責めるな。お前はよくやってくれている!」
「グレン様……」
「確かにお前のことを知らない住民達は存在するだろう。だがそれと同時に、お前をよく知り、愛してくれている者だって必ず存在するはずだ!
思い出してみろ。今日はコーディの店で店番をやっていたんだろう? その時の客の反応は? お前が代わりに店をやっていると聞いて、駆けつけてくれた者は居なかったか?」
グレン様の言葉に、私は頭の中でこれまであったこと、そして今日話をした街の人々を思い浮かべる。
みんな、「妃殿下が何をしてるんですかこんな所で?!」と驚きつつも、事情を聞いたら笑って、私の応対も歓迎してくれた。
私に会いたいと言って、わざわざ家から店まで足を運んでくれたお母さんと、……子供がいた。
「……今日、皆さんが、私の店番を笑って、さすがはエリン様だ、って言いながら受け入れてくれました」
「そうだろう? 全く知らない人間がそんなことをやったって、同じ反応にはならない。お前がそれまで、街の人々と紡いできた絆があったからこそだよ」
「その話を聞いて、わざわざ私に会いにきてくれた人も……」
「大いに好かれてるじゃないか、エリン」
グレン様が笑う。
……そうかな。
私のやってきたこと、少しは、無駄じゃなかったのかな。
「……今日、エリンがショックを受けるようなことに出会ってしまったのは……、俺達のせいでもある。すまない」
「い、いえっ! そんなことはありません!」
「ありがとう。でもな、やっぱりまだまだ手の届いていない所っていうのは存在してしまうんだよ。悔しいけれど。
だから、……今日のことを、お前が気に病む必要はない。笑っていてくれ、エリン。お前にはいつもの楽しそうな笑顔がよく似合う」
グレン様が私の頬にそっと優しく手を当て、微笑んでくれた。
その優しい手がすごく嬉しくて、温かくて。私の暗くなった気持ちを、どこかへ持っていってくれるような、そんな不思議な感覚がした。
目を閉じ、添えられている彼の手に頬を寄せる。
「ありがとう、ございます。グレン様……」
「……ああ」
暫く、そのままそうしていた。
時計の針がチ、チ、と鳴る音がやけに部屋の中に響くほど、その間は静寂が広がった。
なんだかこうしていると、悲しくなった私の心が、どんどん回復していくような気がしたのである。
「エリン……」
グレン様が私の名をそっと呼ぶ。
「グレン様……、私」
数秒見つめ合った後。
「──私、これからもっと頑張ります!!」
スクッ! と立ち上がって、拳を強く握り、そう叫んだ。
視界の端で何やらグレン様がずっこける姿が見える。
「グレン様? 大丈夫ですか?」
「……エリン。お前な……」
「?」
首を傾げれば、「今のはそういう流れだっただろうが!!」と叫ぶグレン様。
そういう流れって一体何でしょう。
「どういう意味ですか?」
「……いや、まぁ……、弱っている所につけ込むのも良くはないが……」
何やらブツブツ言ってらっしゃる。グレン様はきっと頭がいいから、考えてることがたくさんあるのね。そして考えている内に口から何となく出てきてしまう、と。
さすがグレン様だわ!
「それでですね、グレン様。皆が私を知らないのなら、もーっと知ってもらえるように、私もこれから頑張ろうと思うんです!」
「……うん、なるほどな」
「グレン様達のお仕事もぜひお手伝いさせてください! 私、まだまだ若輩者ですが……そんな犯罪を無くしたいと思う気持ちは一緒です!」
「ありがとうエリン。気持ちは嬉しいんだが……」
「え、……私ではダメですか……?!」
涙目になりそうだった私を見たグレン様が「違う違うそうじゃない!」と慌てて言った。
「あのな、そもそもエリンはまだ俺の婚約者で、結婚はしていないのだし……。今はこの国の生活に慣れることが重要で、こういった仕事には結婚後に付き合ってもらおうかと考えている」
「私、今からでも大丈夫ですよ?!」
「やる気は嬉しいんだが、お前は他国から来た令嬢だしな……。
それにだ、エリン」
「はい?」
「そろそろ俺達の結婚式が近づいてきている」
「あっ」
そういえば、と思い出して口に手を当てた。
そういえばそんなものもありましたね。いえまだやってないんですけど。
「結婚式の準備が始まってしまえば、俺もお前も忙しくなるだろう。だから今は、ある意味自由なこの時間を楽しんでおけ」
「ううん……、……わかりました」
まぁ、グレン様と結婚した後は本格的に執務が始まるのだろうし。そう言われると、頷く他無い。
私の渋々とした返答にグレン様は「いい子だな」なんて言って頭を撫でてきましたが。子供ではないんですがね、私!
「……なぁエリン、一つ……聞いておきたいことがあるんだが」
「? 何でしょう?」
「その……」
グレン様は何やらもごもごと口篭っている。
よく聞き取れないなと思って近づけば、彼が口を開いて言った。
「……お前は、この国が嫌になったりはしていないか?」
「え?」
「その、……今日は、ショックなことを言われたりしただろう。だから、この国を嫌いになってしまったりとか、そういったことがあってしまうのではないかと……」
「──まさか!」
私は彼の言葉に驚きながらも答えた。
丸くなったグレン様の金の瞳と目が合う。
「私が落ち込んでいたのは、自分の不甲斐なさについててですよ! この国の人達が嫌になるなんて、そんなことあるわけないでしょう?!」
「…………」
「だから、安心してくださいグレン様。
私はこの国のみんなを、心から愛しています」
ぎゅっと彼の手を両手で握る。
そんな私に、彼はふは、と笑みを零して。
その顔がなんだか、とても可愛く思えた。
……なんだか最近、グレン様の笑顔を見ているとドキドキしてくるのよね。気のせいかしら?
「そうだな。……お前はそういう奴だった。そうだ。
はは、心配なんてすることなかったな」
「え……ええ! そうですよ、当然です。ここに居る人達はみな、私の我が子のような感覚ですもの」
「はははっ!」
胸を張って言えば、グレン様がより一層笑顔になった。
(そうだ、私は……この国の人達をみんな、愛してる)
だから、この国のためになることなら、……なんだってやり遂げたい。
そんな決意を新たにした夜だった。