「わんわん! ぐおーん!」
「ぐるう……」
「ウゥ?」
「で。お前はまた何をしているんだ」
背後からの見事なツッコミ。さすがですグレン様。
「この本の内容を実践しているのですよ!」
私は持っていた一冊の本をグレン様に見せる。
彼は顔を顰めながらその本を見て、「……ああ」とぼそっと呟いた。
「図書館で探していた本だな」
「そうです!」
皆さんは覚えていらっしゃるだろうか。
この国に来て初めの頃に、フィリスに図書館を案内してもらったこと。
そしてそこで、この運命の本に出会ったことを!
「『動物達ともっと通じ合えるようになる本』……まだ持ってたのかお前」
「ええ! この本は私のバイブルですわよ?!
何せ、動物達ともっと思いを交わせるようになる方法が書いてあるのですもの!」
「……で? そのさっきから「ワンワン」言ってるのは?」
「犬語の練習です!」
「犬語……」
そんなこと書いてあったか? と言いながらグレン様が本のページをぺらぺらと捲る。
そして、ピタリとあるページで止まった。
「……「動物の鳴き声を真似してみよう」。……これ……か?」
「そうです! 彼らが普段言っている言葉を真似すれば、会話が出来るようになるかもしれないとのこと!
やってみる価値ありと判断したので実践しています!」
「いや、それは……」
どうだろう。と疑問に思ったグレン様の思いなぞ知らぬまま、私は狼達に向かってわんわんと吠えてみる。
対する狼達はどこか困った顔のままだ。何してんだこいつ、みたいな視線を感じるのは気のせいかしら?
いえ、まさかこれがわかるのも、本の効果?!
「悪いなお前ら……。我が妻の突拍子もない閃きに付き合ってくれて……」
「グゥン……」
「あっそれ! それですよ、私が欲しい繋がりは!!
くっ、グレン様達ばっかりずるいと日頃から思っていたんですよね……! 私もこの子達と会話したい……!」
「いや、割とお前も会話できているような気がするが」
「えっそうですか?」
きょとんとしながらグレン様と狼達を見てみる。
「少なくとも、こいつらはお前の無茶振りを理解した上で「しゃーないか」と付き合ってくれてるぞ」
「そうなの皆〜?! ありがとう!! かしこい!! 大好き!!」
狼達を抱き締めると「ぐええ」みたいな声が聞こえてきた。あら、ちょっと締めすぎちゃったかしら。愛が先行して。
でも、それじゃあ足りない。
私は彼らの話す言語を完璧にマスターして、とあるミッションをクリアせねばならないのだから……!!
「よし、もう一回よ! ワン、ワン!」
「……グゥ」
「わふん……」
「あれっなんだか皆やる気を無くしている?!」
さっきよりもやる気の無さそうな声が返ってきていた。心なしかみんなの顔もお疲れモードな気がする。
「「いい加減この謎の儀式に飽きてきた」そうだ」
「ああ、無情……」
切なくて涙が出たわ。
でもしょうがないわよね。結構な時間付き合ってもらっているし……。
そんな私たちを見ていたグレン様が困ったように言う。
「そもそもあの本にだって別に動物語のことは大して書いてなかっただろう? 吠える声は怒ってるとか、この声は嬉しそうな声だとか……そんな基本的なことだけで。
この本を読めば人間と動物が会話できるようになる、とはなってなかったと思うが」
「ええ……わかっています。それでも、私はやらなければならないことがあるんですよ……!」
「やらなければならないこと……? それは……?」
グレン様の方を振り返って、右手で握り拳を作りながら言う。
「うちの子達に手紙を送りたいんです!」
「手紙? ……手紙なら今も送っているのでは」
「犬語で! 送りたいんです! 我が子達に私の愛が伝わるように!」
「犬語で?!」
驚いて口を開けるグレン様だったが、正気に戻った後、静かにこう言った。
「……いや、手紙で犬語は……、無理だろ」
「無理でもやるんです!」
「……まぁお前ならやるだろうな……。……全く」
深いため息をついたグレン様。
すると私の元へと歩みを進め、突然がしがしと頭を雑に撫でてくる。
「えっえっ、どうしたんですかグレン様」
「お前の前は癒やされるなぁと思って……」
「……何かありました?」
「分かるか?」
「ちょっとくらいは。なんだか疲れてそうに見えますよ」
「そうか……」と呟くグレン様。
そしてまた深ーいため息をつきながら、ぽつりぽつりと話し始めたのだった。
*
「はぁー……。グレン様、大層おモテになるんですねえ」
「そういう話か? ったく……」
聞いた話によると。
グレン様がこの狼達の庭に来るまでの間に、とある一騒動があったらしい。
「ええっと、どなたでしたっけ? そのご令嬢……」
「ミランダ・オーウェイだ。オーウェイ公爵家の一人娘」
「そうそう、ミランダさんですね」
そのミランダ・オーウェイというご令嬢。昔からものすご〜く、グレン様にご執心なさっていたらしい。
グレン皇弟殿下と結婚するのは私よ! と周りに傍迷惑な(グレン様のお声です)宣言をするほど。グレン様のことがお好きらしい。
でも、見るからに面倒そうな女性の相手など誰もしたいとは思わず。それはグレン様だって同じだった。
だからグレン様は最初からミランダさんと結婚する気なんぞ無く、彼女の父親からどれだけ娘を推されても「結構です」と断っていたらしいのだが……。
「まさか娘が城に乗り込んでくるとはな……」
グレン様が心底疲れた声で言う。
そうなのだ。
今日、城の中を歩いていたら突然ミランダ・オーウェイ公爵令嬢が飛び出してきて、「人間の女なんかと結婚するだなんて嘘ですわよね?!」と涙ながらに言ってきたらしい。
突然のことに困惑する彼を置いて、猫の獣人である彼女はグレン様の身体に爪を立てながら「許しません許しません」「グレン様は私のもの!」……と、最早呪詛のような言葉を吐いていたとのこと。
さすがにその時はゾッとしたらしい。
すぐに衛兵が駆けつけてくれてその令嬢は引き離されたらしいが、最後まで「許しませんわよ!!」と叫びながらお城の外にまで引きずっていかれたという。
それが、グレン様がこの庭に来るまでに起こった出来事だ。
「久しぶりに女が恐ろしいと思えたぞ、俺は」
「久しぶりに……ということは、過去にもそういった経験が……?」
「……まぁ、この外見だしな」
確かに。グレン様はこの国で一番の美丈夫と謳われているとかなんとかお聞きしましたね。
美人ゆえの苦労も絶えないのでしょう……。
「よしよし……」
「?!」
グレン様の頭を優しく撫でると、驚愕した顔の彼と目が合う。
なんでそんなに驚いているのかしら。
「ブラッシングの時はいつも撫でておりませんか?」
「それは狼の姿での話だろう! 人間体の俺は立派な成人男性なんだぞ?!」
「もしかして嫌でした?」
「……くっ……」
何をそんなに悔しそうにしているのか意味不明である。
嫌なのかなと思い手を離そうとすると、手首をガッ! と掴まれる。
目をきょとりとさせる私。
「……今日は疲れた。だから……」
「だから?」
「続けろ」
(きゅん)
胸の奥でそんな何だか変な音が鳴った気がしたけれど、今はそれを無視しておいた。
だって、こんなにグレン様がかわいいんだもの!
私は笑顔で彼の頭を撫で続けた。
「ふふ。お疲れ様です。グレン様」
「……ありがとう」
「グレン様も狼コミュニケーションの練習、していきます? 楽しいですよ」
「あいつらが「ええ、また?」って顔してるぞ」
「ああごめんね皆飽きたよね!! 自由にしてていいのよ!!」
慌てて言った私を見ながら、グレン様がくつくつと笑いを漏らす。
……そんなに面白かったかしら?
「──いや違う。和やかさに流されるところだった」
そこでハッとした顔をするグレン様。
「エリン、お前、ミランダ・オーウェイ令嬢には気をつけろよ」
「えっ? 私ですか?」
「何言ってる。お前は俺の婚約者だろう?
何かするなら本人の俺か、婚約者のお前に決まってる」
「何かするって……」
何をしてくるというのだろう。ちょっと背筋が寒くなった。
グレン様は心配そうな顔で私の手を握った。
「まぁ、皇弟である俺と、その婚約者だ。下手なことはしてこないと思うが……。相手は随分と俺に執着していたからな。
城で突然絡まれた時なんかは。すぐに助けを呼ぶんだぞ」
「は、はい」
緊張した面持ちで返事をする。
私が狙われる場合……ということは、十中八九、妬み嫉みの類だろう。
好きな人を他の人に奪われる、という辛さは、……どれくらいのものだろうか。
生憎と、私の例ではあまり意味を成さないだろう。私はダミアン殿下を愛していなかったし、彼もそうだった。実にドライな関係だったからだ。
けど、もし片方だけでも、狂おしい程に相手を愛していたのなら……。
それを、ぽっと出の人間の女に奪われてしまった彼女の苦しみは、一体どれほどのものなんだろう……。
珍しく、そんなことに思考を巡らせていたからだろうか。
数日後、私はとんでもない事件に巻き込まれることとなる。