「お願い、グレン!! どうかエリンを探して!!」
そう叫んで、泣きながら皇后であるユーフェミア様が俺の部屋に入ってきたのは、突然のことだった。
あまりのことに目を見開いてしまう。
「皇后陛下……?!」
「うっ、うう、う……」
一体何事だろう。確か、今日はユーフェミア様とエリンで街へ出かけていたはずだったが……。
慌てて彼女に駆け寄り、肩に手を置いた。しかし彼女はぐすぐすと泣きじゃくるばかりだ。
「皇后陛下、落ち着いてください。一体何があったのですか」
そう尋ねると、ユーフェミア様は嗚咽を漏らしながら「え、エリンが……っ!」と言った。その言葉にぴくりと反応する。
エリンに何かあったのか?!
「エリンがっ、どこにも居なくて……! す、少し目を離した隙に、どこかへ消えてしまったの!!」
「何……?!」
驚愕の声を上げるしか無かった。
それが本当なら大事件だ。
「おい、どういうことだ。説明しろ」
ユーフェミア様と共にやってきた護衛に事の次第を聞く。
そして、眉を吊り上げ叫んだ。
「お前達は一体何をやっている!! 皇后陛下と我が妃を守るため、お前達は任務に就いていたのではないのか!!」
「誠に申し訳ありません、皇弟殿下!! この処分は何れにでも……!!」
勢い良く頭を下げ謝る兵士。
だが、今の俺にそれを気にしてやる余裕などなかった。
「……今はそんなことをしている場合ではない」
そうだ。兵達の処分など、今はどうでもいいことだ。
それよりも、今は自分の婚約者であるエリンを探す方が先決である。
兵士達の話では、暫く街の方を捜索したが、エリンの姿は一向に見つからなかったとのこと。
彼女が皇后陛下を置いて一人でどこか散策などをするはずがない。ましてや、皇后陛下のための飲み物を買いに行った直後の話だというのだから。
故に、エリンは誰かに誘拐された。俺達はそう判断した。
次に問題となるのは、それを行った人物だ。
皇弟の妃を誘拐したのだ。十中八九、裏で誰かが糸を引いている。
(誰だ? 誰が彼女を……)
犯人について思考を巡らせる。
一体誰が──、そう考えた時、ある可能性が頭を掠めた。
そうだ。居るではないか。
誰よりも疑わしき人物が!
「コンラッド」
「ハッ! 何なりと」
「……ミランダ・オーウェイの屋敷を調べろ。別邸もだ。くまなくな!!」
自分の推測が正しければ、エリンを攫ったのはミランダ・オーウェイの手の者である可能性が高い。
あれほど自分に執着していた女だ。エリンに逆恨みをして、こんなことを仕出かしたのだとしても何ら不思議ではなかった。
「承知いたしました。
……お前達! 来なさい。仕事です!」
「ハッ!」
コンラッドが部下達に指示を送る。
それを見つめながらも、俺はイライラとした気持ちを抑えることができなかった。
(くそっ! こんなことなら、牢屋にでもぶち込んでおけばよかった!!)
ギリ、と歯が軋む音がする。
しかし、今までのミランダがやってきたことは犯罪でもなんでもない。ただ俺と話をし、最終的に詰め寄ってきただけだ。
それといった罪状がないのに、牢屋にまで入れられる理由を探すことは難しかった。
だが──そんな甘さが、今回のことを招いたのかもしれない。
「エリン……!」
机の上に置いている拳をきつく握る。
目を閉じれば、脳裏に浮かぶのはいつも楽しそうに笑っている彼女。
狼達と戯れ、無邪気に笑っている姿。使用人達といつも楽しげに話をしている姿。多少バカバカしい考えを持つことだってあるが、それもあいつの愛しい所だ。
そして、いつも自分に向けてくる、等身大の笑顔。
思い出せるのはそんな顔ばかりだった。
いつでも全力投球で、一生懸命に人と対話をする、やさしい女。
そんな彼女が今、危険の中に居る。自分には耐え難いことだった。
「──いつになくイラついておられますね、殿下」
傍にいたコンラッドが言う。
図星を突かれた俺は、今の自分の感情を隠すことなく答えた。そんなのは意味が無いからだ。
「当然だろう。エリンが攫われたんだぞ」
「そのことで、ここまで怒りを露わにする。その意味を、殿下はご自身で理解しておいでですか?」
何が言いたいのだろう。思わず顔を思いっきり顰めてしまった。
(エリンが攫われたことで、俺がここまで怒る理由……?)
そんなの、当たり前だ。
彼女は俺の婚約者なのだから。
……いや、それだけじゃない。
彼女は、俺の大切な──。
そこで、彼の言わんとすることが分かってしまった。
(……なるほど)
「……コンラッド」
「はい」
「エリンは、俺の妃だ」
「……ええ」
「誰がなんと言おうと、俺は──あいつを妻にする」
その答えに安心したのか、はたまた納得したのか。
コンラッドは微笑みながら「そうですね」と言った。
「試すような真似をするな」
「申し訳ありません。少し、気になったもので」
満足そうな笑みを見ていると、なんだか腑に落ちない気持ちになった。
まぁ、今はそんなことどうでもいいのだけれど。
コンラッドのことは置いておいて、俺はユーフェミア様の方へと向き直る。
彼女の目は痛々しいほどに赤くなり、腫れていた。
「グレン……」
「皇后陛下、教えてくださりありがとうございました。彼女は必ず見つけます」
「ええ、お願いよ、お願い……。
エリンはこの国に来てから、初めて出来た人間のお友達なの。大事な妹なのよ。だからっ……」
はらはらとユーフェミア様が涙を流す。
その言葉から、彼女が本当にエリンを好きでいることが分かり、胸が傷んだ。
一緒に街へと下りていたエリンが突然居なくなったと分かった時の彼女の驚きと絶望は、どれほどのものだろうか……。
「分かっております。安心してください、必ず」
胸に手を当て、頭を下げながら言った。
それを見たユーフェミア様は、俺に何度も頭を下げながら「おねがいします」と懇願してきた。
……こうして見ると、このお方も随分と丸くなったと思う。
最初、この国に嫁いできた時のあの刺々しさはどこかへと消え去り、今はいたって普通の、穏やかな女性だ。
(……あいつのおかげだな)
ふ、と、少しだけ笑みを零す。
いつも嵐のような行動力で、色んなことをしでかして、何もかもを笑顔にして帰ってくるような女。
エリンの姿を思い浮かべると、いつも気がつけば、自分の口角は上に上がっていってしまう。
あんな奴、他には居ない。
「……絶対、見つけてやる」
だから待っていてくれ、エリン。
俺がすぐに、お前を迎えに行くから。
*
幸い、部下達の手腕で奴らの根城はすぐに見つかった。
急いでその場に向かう。
屋敷の中、走りながら彼女の気配を探していると、ある扉の向こうから男女の騒ぎ声が聞こえてきた。
(──あそこか!)
溢れそうになる怒りを抑えながら足を進める。
冷静さを失ってはだめだ、と、自分に言い聞かせながら。
だが。
「無駄なんだよ!!」
「余計な手間かけさせんな!!」
そんな男の声が耳に入ってきた瞬間、中で一体何が行われているのか悟ってしまい、俺は勢いのまま扉の前に居た者共を蹴り飛ばしてしまった。
──聞こえたのだ。確かに。
「ぐれんさま」と、か細い声で俺を呼ぶ、彼女の声が。
「っ……!!」
バァン!! と扉を強引に開け、中の様子を確認する。
そして。その場に倒されているエリンの姿は。
男達に組み敷かれ、顔には殴られた跡があり。
一気に頭に血が上る。
「…………殺す」
ああ、こんな恐ろしい言葉を発してしまったら、きっと彼女が怖がってしまうだろうに。
それでももう、俺は自分の何もかもを抑えることは出来なかったのだった。