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第28話 心に思ったのは、あの人のことでした

「う……」


 ゆっくりと目を開ける。

 視界に映ったのは知らない景色だった。


「ここは……」


 どうやら誰かの屋敷の中らしい。豪華な装飾が至る所に見える。


 起き上がろうとしたが、その瞬間、手を後ろに回されて縛られていることに気が付いた。

 なんとか腹筋の力で身体を起こす。


 知らない場所。縛られている身体。

 これって、完全に……。


「あら、起きたの?」

「!」


 必死に状況を整理しようと考え込んでいると、突然見知らぬ声がした。

 そちらに目を向ければ、視界に映ったのは猫の獣人の女性。


(……誰?)


 見覚えのない顔だった。思わず首を傾げる。

 私のそんな表情に気付いたのか。女性がフンッ! と鼻を鳴らしながらふんぞり返って言った。


「私を知らないの? とんだ田舎者ね!」

「……申し訳ありません。よければお名前を……」

「ミランダよ! 誇り高きオーウェイ家の娘、ミランダ・オーウェイ! そのちっさい脳に刻みつけなさい!」


 その名前を聞いてハッとした。

 ミランダ・オーウェイ……。グレン様から「気をつけろ」と言われていた令嬢の名だ。

 確かに猫の獣人という点も一致している。


 となると、私をここへ誘拐してきた理由は。


「なんでんな所に連れてこられたのか、あなたもよく分かってるんじゃない?」

「……それは」

「そう! あなたをグレン様の婚約者から辞退させるためよ!」


 やっぱり。思った通りだった。


(ああ……私はバカね。グレン様にあれほど気をつけろと言われていたのに……)


 行き慣れた街の中で少しだけ、と思い、ユーフェミア様や護衛の人達から離れた完全なる私の不注意だった。自己嫌悪で泣きたくなる。


 そんな私の様子を、ミランダさんは意にも介さず。

 私に近づき、長い爪で私の顎をつつ、となぞりながら言う。


「ねぇ、あなた? 確かエリンというのだったかしら」

「……はい」

「じゃあ、エリン。

 ここであなたのお口から、「グレン様の婚約者は辞退いたします」という言葉が聞けたら……、解放してあげてもよくってよ?」


 目を見開く。

 ミランダさんは口角を歪ませながら続けた。


「だってそうでしょう? あの麗しいグレン様の婚約者に相応しいのはこのわ・た・く・し。あなたのような地味で、ぽっと出の、人間の小娘なんかが務まる役じゃないわ。

 だから、今ここで、私に、「グレン様の婚約者の座をお譲りいたします」と宣言してほしいの。そしたら……何もせずにお家に帰してあげたっていい」

「……私がその後、グレン様にそのことを言うとは思わないんですか」

「やあね。あなただってそこまでお馬鹿さんではないでしょう? 言ったらどうなるか……、想像できないはずはないわよね?」


 完全なる脅しだ。私がこのことを周りに言いふらさないよう、牽制をかけてきている。


(……グレン様の婚約者を、この人に……)


 譲る。そのことを、頭の中で想像してみる。


 ……そうしたら、きっと私はお払い箱だ。そのまま祖国に帰って、二度と彼の顔を見ることも叶わなくなるかもしれない。遠くから見るくらいなら、出来る可能性はあるけれど。


 ミランダさんは美しい獣人だった。しなやかな尻尾に整った顔立ち。おそらく獣人の中でも飛び抜けて美しい部類に入るのだろう。

 彼女の言うように、グレン様と並んで遜色ないと誰もが思うのは、きっと彼女の方だ。


 ……そこで。彼女と並び立ち、笑顔を浮かべているグレン様の姿を思い浮かべたら。


『──ズキン』


「っ……」


 ずきん、ずきん、と、絶え間なくやってくる胸の痛み。

 なんだろう、これは。

 自分でもよく分からない。


 でも、一つだけハッキリしていることがある。


「……や、です」

「は?」

「いや、です。グレン様の婚約者の座は、渡したく、ない」


 ──彼の隣にいられる権利を、他の人に渡したくない。

 そう強く思った。


「うっ!」


 その瞬間、ミランダさんの手が私の首にかかり、ギリギリと締め付けてきた。

 息が詰まって、呼吸ができない。


「っ……!!」


 そのまま上げられる私の身体。

 足をばたつかせるが、効果はあまり無いようだった。獣人って、こんなに力が強いのね。今まで知らなかったわ。


 ぼんやりとする視界の中で、ミランダさんが世にも恐ろしい形相で私を睨んでいるのがわかる。


「……ざけるな、ふざけるなふざけるな、ふざけんなッ!!

 彼の隣に相応しいのは私!! 家柄も!! 容姿も!! 誰より私が相応しいに決まってるのよ!!」

「ゔ、かはっ、……!」

「それを、名も知らぬ弱小国家から来た人間の小娘が奪うなんて……っ!! 許されないに決まってるでしょう?!」


 そうだ。その通りだ。

 言ってることは間違ってない。……多分。


 でも、嫌だと思ったのだ。

 彼にいつも困ったように、でもどこか楽しそうに笑みを向けられるのは、私でありたい。他の誰かがその場所に居るのは、とても辛くて、さみしい。


 そこで、気付いた。


(ああ、私……)


 どうして、今までこんなことに気が付かなかったんだろう。

 私、きっと、グレン様のことが好きなんだ。


 最初はあんなに狼体の彼に魅了されていたのに。気付けば、脳裏に浮かぶのは人間の顔をした彼ばかり。

 でも、狼体の彼への想いも無くなってはいない。きっと二つとも、同じくらいに好きなのね。


 ふ、と笑みが零れる。

 こんなことにも今の今まで気付いていなかった、私への自嘲のようなものだ。


 しかし、それがミランダさんの逆鱗に触れたらしい。


「……アハハッ! 随分と余裕ですのね。憎たらしいこと。

 でも、これを見ても笑っていられるかしら?」


 手を急に離される。身体が地面に激突した痛みに耐えながら、必死に呼吸を整える。


 そんな私の姿を見下ろしながら、ミランダさんが指をパチン! と鳴らした。

 すると別室に控えていたらしい、大きな男性の獣人達が数名部屋に入ってくる。


 皆、下卑た笑みで私を見ていた。

 ……ぞっとするほど、嫌な笑い方で。


「そこまで言うのなら、実力行使に出てあげますわ」

「じ、じつりょ、く、こうし……?」

「分からない? ま、なんて子供な方。

 まぁ今にわかるわ。お前達、やっておしまいなさい」


 ミランダさんの一声に男達が私の方へと向かってくる。

 手足も、頭も押さえつけられて、声にならない声が出た。


 ひやっと背中が寒くなった。


(実力行使って……まさか!)


「『皇族へ嫁ぐには純潔であることが必須』……ですものね?

 それに、男達に弄ばれた惨めなお前の姿を見たら、グレン様はどんなお気持ちになりますでしょう」


 予想は当たっていたようだ。

 ほくそ笑む彼女の顔が、とても醜いものに思えてならない。


 必死に制止の声を出す。


「っや、めて、くださいっ!! や……っ!!」

「うるさいですわねえ。そこの、口も塞いじゃってくださいませ」

「むーーッ!!」


 すると、大きな手に口を塞がれて声が出なくなった。

 そうしている間にも、私の身体を彼らの手が、舌が這っていく。


(──嫌だ!!)


「ッ!!」

「いっでェ!! この女ッ、噛みやがった!! このっ!!」

「い゛ッ……!!」


 口を塞いでいた男の手を噛むと、顔を思いっきり殴られた。口の中に血の味が広がる。

 逃げようとしても身体を引っ掴まれ、戻された。


「無駄なんだよ!!」

「余計な手間かけさせんな!!」


 彼らの影が、大きく大きく、上へと伸び上がっている気がした。

 恐怖で身体が震える。

 心を染め上げたのは、恐怖と、絶望。


(嫌だ、こわい、こわい)


 それと。

 こんな状況でも微かに残っている、誰かへの希望だった。



「……グレン、さま……」



 彼の名を呟くと、目からぽろりと涙が零れた。





「────うわぁあッ?!」

「?!」


 すると、扉の向こうから叫び声が聞こえた。

 その場に居た者全員が扉の方を見る。


 そして、バン!! と勢い良く扉が開かれた。

 姿を現したのは。


「────エリンッ!!」

「ぐれん、さま?」


 私がずっと、頭の中で思い描いていた。

 グレン様その人だった。

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