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第31話 私の心の中に巣食う不安

 あれからお城に戻った私は、泣いているフィリスやユーフェミア様達に盛大に迎えられた。

 びっくりしている間に二人は私にがばりと抱きつき、わんわん泣いている。


「え、エリン様ぁ〜!! ご無事でよかったですぅ〜〜!!」

「ほっ、本当に、よか……ッ! 私のせいでエリンがひどい目に遭っているのではないかと……!!」

「ふ、二人とも落ち着いてください!」


 慌てて声をかける。

 それに顔を上げた二人の様子は、なんというか、淑女のそれではなかった気がする。泣きすぎて。フィリスはともかくユーフェミア様もぐじゃぐじゃだ。


 でも、それだけ心配してくれていたということだろう。

 私は二人を抱き寄せて言った。


「ありがとうございます、お二人とも。

 この通り、私は無事ですよ」


 その言葉にまた二人が泣きじゃくり出したが、ふと私の顔を見つめたユーフェミア様が「まぁ!!」と声を張り上げる。


「エリンの可愛らしいお顔に傷が!! ちょっとグレン、これはどういうことなの?!」

「へっ」


 そこで思い出した。そういえば私、顔を殴られてたんだったわ。

 グレン様は深々と頭を下げながらユーフェミア様に謝っている。


「申し訳ありません。全ては俺の不得の致すところです」

「女の子にとって顔はとてもとても大事なものなの。あなたにも分かるでしょう?! それなのに、こんなに腫れ上がってしまって……!!」

「ゆ、ユーフェミア様、私は大丈夫ですから!」

「いいえダメです! エリンを助け出してくれたことには感謝しているけれど! 言わなきやいけない所っていうものはあるのよーー!!」


 ……この後、怒るユーフェミア様を宥めるのが大変でした。

 私のために言ってくれてるからとても有難いんだけれどね。



 *



 そんな事件もありつつ。時が過ぎていって。

 ついに私とグレン様の結婚式が近づいてきた。


 この時期になると私もグレン様も大忙しで、これまで毎日行っていた狼達の庭も、ほんの少しの滞在時間しか取れていなかったりする。

 もう行かなきゃ、とその場を去ろうとすると、どこか寂しそうな表情をした狼達と目が合ってしまうのだ。

 その度に身が引き裂かれそうな思いになる。


 くっ! みんな、少しの辛抱よ!

 もう少ししたら前みたいにみんなと遊ぶことができるからね……!


 そんなことを思いながら、私は毎回後ろ髪を引かれる思いでいるのだった。




「ああ、エリン。来たか」


 そんな忙しい中。

 グレン様に呼ばれたので部屋に行ってみると、室内には無数の布が広がっていた。

 思わぬ光景に目を点にする。


「あの……、これは……?」

「お前が結婚式で着るドレスだよ。どの生地がいいか迷っててな」


 結婚式のドレス!! の、生地から悩んでいるとは!!

 いつも用意されているものを着るだけの毎日だったので、お役に立てるか分からないそれに困惑するしかない。


「お前の意見も聞かせてほしいと思って呼んだんだ。

 どれがいい?」

「……ど、どれがいいと申されましても……」

「たとえばこれなんかはとても生地が滑らかだ。着心地は抜群だと思うぞ」

「へ、へぇ〜……」

「これは繊細な作りだな。花嫁衣装にしたらきっと、とてもお前に似合う」


 ごめんなさい。よく分からないです。


「……よ、よく分からないので、どれでも……」

「そうか? なら、これとこれならどちらが好みだ?」

「じゃ、じゃあこっちで」

「そうか! ならこの生地に似合うデザイン図を持ってきてくれ」

「かしこまりました」


 うん。もう大体全部グレン様に任せればいいような気がしてきたわ。


 あれよあれよとドレスのデザインが決まり、身につける宝石類なんかも吟味して。

 そうして私の着るウエディングドレスの中身が決まっていくうちに、私の心の中には一抹の不安が過った。


(これ……、本当に私に似合うのかしら……)


 今まで考えないようにしてきた色んなものが脳を支配するようだった。


 グレン様の選んでくれたドレスは、生地からデザインから、何から何まで綺麗で、素晴らしくて。

 でも、着る人間がそれに見合っていなかったら?


 ……彼は、どう思うのかしら。


「エリン?」


 声をかけられ、ハッと意識を現実に戻す。


「どうした? ……気に入らなかったか?」

「い。いえ! そんなことは絶対、ありません!」


 ああ、グレン様が心配そうな目で私を見ている。

 上手く誤魔化せただろうか。不審なところを、見せたりはしていないだろうか。


 綺麗なもの達に囲まれているけれど、私の心には、一滴の黒いインクが落ち、広がっていくようだった。



 *



「エリン、話がある」

「え……」

「少し話せないか」


 そう言ったグレン様のお顔はどこか心配そうなそれで。

 ああ、私の雰囲気を彼は感じ取ってしまったのだ、と気付いた。


 断る理由もないのでこくん、と頷くと、今度はグレン様のお部屋に招待された。

「いいのですか?」と聞くと、「構わん構わん」と簡単に返される。


「それに、ここなら他に聞かれたくない内緒話も出来るしな」


 そう言われてしまえば、「NO」とは言えなかった。



「それで? お前は何に悩んでいるんだ」


 ギシリ、と音を鳴らしながらベッドの上に座ったグレン様が私に尋ねる。

 私は少しの間逡巡したが、彼の瞳からは逃げられないとわかり、重い口を開いた。


「……結婚式の、ドレスが」

「ドレス? ……もしかして、気に入らなかったか? それならすぐに作り替えさせて……」

「いえいえそういうわけではなくて!! あの、違うんです!!」

「だったらどういうことだ」

「……わ、私が……、あのドレスが似合うか、不安なんです」

「え?」


 首を傾げるグレン様。どういうことかよく分かっていないようだ。

 私は続けて説明する。


「わ、私、こんな地味な顔で、髪も目立たない茶髪で……、そんな私に、あの素晴らしいドレスが似合うか分からなくて」

「何を言う。お前に似合わないわけがないだろう? いつもあんなに元気溌剌としているのに、どうしてそこには自信が無いんだ」

「だ、って、私は……」


 唇を噛む。

 ああ、暗い話は極力したくなかったのだけれど。


「私は、親友に、婚約者を盗られたんです」


 グレン様の目が見開かれ、次の瞬間、「……どういうことだ」ととても低い声で言われた。


 私は、祖国レオステアであった一連の出来事についてグレン様に話をした。

 彼は静かに、黙って聞いてくれていた。


 粗方話し終えた後、私は言う。


「だから、私は、本当はグレン様に見合うような女じゃないんです。シンディー……親友の方が、もっとずっと綺麗で。だから、婚約者を奪われても仕方がなかった」

「そんなわけないだろう?! そいつらがやったのは悪辣で外道のすることだ。お前が気に病む必要など、どこにも……!」

「分かってます。私だって最初は全然気にしてませんでした。ダミアン王子のことも全く好きじゃなかったし……」


 この言葉に嘘偽りはない。

 当時の私は、シンディーにダミアン王子を盗られたこと自体には全く興味がなかった。好きにすればいいとさえ思った。それよりも、憧れの国に行けることの方が、私には重要で。

 でも。


「……なら、今のお前はどうしてそんなに悲しんでいるんだ? 教えてくれ」


 グレン様がそっと私の頬を撫でる。

 目に涙が溜まっていくのを感じながらも、それを頬に伝わらせないようにするのに必死だった。


「それは、……私が、グレン様のことを、好きだから」

「……うん」

「あなたの隣にいても恥ずかしくない、そんな女でありたかった。でも、魅力のない私には、そんなことできないから……!」


 そうだ。これが、私の心に巣食う黒いモノだった。


 グレン様を誰かに盗られたくない。彼の隣に相応しい、綺麗な女性でありたい。

 彼と、彼の周りに居た女性達は皆綺麗な人ばかりだったから。だから、グレン様を愛しているのだと分かった時から。この不安感がどうしても拭えなかった。


 グレン様はいつも私に素晴らしいものをくれる。優しいものをくれる。

 私は、それに報えるような女じゃない。


 だって私は、地味で目立たない、平凡な女だから──。



「──かわいいな」


(え?)


 思わぬ言葉に目を丸くした途端、ぎゅうっとグレン様に抱きしめられる。

 もう驚きで固まるしかない私。


「かわいい、かわいいぞエリン! 俺を想って泣くお前は、最高にかわいい!」

「えっ、え、あの……」

「いや、別に泣いている所が好きとかいうわけじゃないんだが。泣いてても可愛いけどな?」


 このお人は一体何を言っているのだろう。話の展開についていけてないわ、私。

 グレン様はくっついていた身体を離し、心底愛おしい、というかのような表情で私を見ている。

 お願いだからそんな目で見ないでほしい。恥ずかしいから。


「要はあれだろう? お前が俺のことを大大大好きで、俺を誰にも盗られたくなくて。俺の隣に居ても誰にも文句を言われないくらいになりたいってことだろ?」

「え、えっと、まぁ……、そう、ですね……?」

「そんなの、熱烈な愛の言葉以外ないじゃないか」

「は、」


 そう言われて、少しの間考えて、……一気に顔が赤くなった。


「……っ!!」


 そっ、そうよね! よくよく考えたら私、なんて恥ずかしい話をしているのかしら?!

 あまりにも直球すぎる言葉達だったわ!!


 顔に手を当てて恥ずかしがる私を見ながら、グレン様はとてもご機嫌そうに笑っていた。彼の笑顔は好きだけれど、今はなんだか憎らしいわ。


「随分と俺を好いてくれているようで。なぁエリン?」

「ち、ちがいます、いえ違わないのですが……! そういうことじゃなくて……!」

「じゃあどういうことなんだ?」

「……ずるいですよ、グレン様。その言い方は……」

「悪い悪い」


 くつくつと笑みを零しながら私を抱きしめるグレン様。

 悔しいけれど、彼に抱きしめられるとほっとしてしまう。


「これで分かっただろ。お前はかわいいんだ。

 外見がどうとかではなく、まずその心が」

「……はい」

「でも、お前の自信を取り戻させるためには、外見による説得力だってほしいんだよな?

 俺は今のままのお前だって十分かわいいと思うが」

「あ、ありがとうございます……。

 そう、ですね。少しでもあなたに似合う女になれればいいな、とは思いますけど……」

「ふふん、安心しろエリン」


 グレン様がにやりと笑う。


「お前は決して地味なんかじゃない。正しく着飾れば、どんな大輪の花だってお前には勝てないさ」

「グレン様はお優しいから、そう仰るかもしれませんけど……」

「言ったな? じゃあ、結婚式の日を楽しみに待て。

 お前に「生まれ変わった」と思わせてやる」


(生まれ変わる……?)


 そんなこと、出来るのかしら。

 グレン様の言葉が到底信じられなくて、私は首を傾げるしかなかった。


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