さて、王宮を去ったダミアンは、せめてもの慰めとして一定の手切金と共に街へ放り出された。
誰もが認める箱入り息子だったダミアンは、ここからどう生活していけばよいのかなど全く分からなかった。とりあえず適当な宿を見つけてしばらく滞在し、上手く飲めもしない酒を煽りながらしばらくを過ごした。
酒で回る頭の中、ダミアンは様々なことを思い出す。
信じていた、確かに愛していたはずのシンディーからの辛い言葉。そして、美しく着飾っていたエリンの姿だ。
エリンがあんなにも美しい女だとは思わなかった。きっと、帝国で皇弟殿下に大事にされ、女として愛されてきた証拠であろう。
本来ならそれは、ダミアンがやっていたであろうことだったのに。
(私は選択を間違えた……)
今更悔いてももう遅い。ダミアンは既に王子ではなく、今やエリンは皇族の一人。あまりにも身分が違いすぎる。
かつて通っていた学園の裏庭で、エリンに婚約破棄を告げた時のことを思い出す。
……あの時の彼女はどんな表情をしていたのだったか。もう、あまり思い出せない。酒で視界がぼんやりしているからだろうか。
(あの時、シンディーを選ばなければ……)
エリンを毛嫌いせず、大切にしていたら。
きっと今頃は、あの妖精のように美しい彼女と夫婦になっていたのだろう。王族の地位を捨てることなく。
「私は、大馬鹿者だ……」
そんなことを呟きながら、己の過ちを後悔しているダミアンだったが、それでもどこかにまだ甘えが残っていた。
いくら廃嫡されたからといっても、自分はこの国の王の血を引く人間。王宮からは追い出されたが、さすがに監視の目はついているだろうと思った。本当に自分が困るような状況になれば、誰かが助けに来てくれるだろうと。
しかし、それはとんだ甘い考えだったということが、後々になってわかるのだった。
元々世間をまるで知らない男だったダミアン。
金は使えば無くなるし、その使い方が乱雑になればなるほど、締まっていくのは自分の首であるということが分かっていなかった。
「嘘だろう、もう金がない……!」
ダミアンは頭を抱える。
王からもらった手切金はとうの昔に全部無くなった。さすがに金がないと食料も水も買えないことは分かっていたが、ここに来ても尚、ダミアンの頭の中には「生活のために働く」という考えが浮かばなかった。これまでの人生、そんなことを考えたことは一度たりともなかったからだ。
しかし、食料が無くなり、水ですら飲めなくなったダミアンはどんどん衰弱していった。
自分につけられていると思っていた王家の監視の目も動きを見せない。自分がここまで困っているのに、誰も助けの手を伸ばしたりしてくれない。
この世はなんて残酷なのだろう。
こんなことをしていたものだから、当然宿の金も払えなくなり、ダミアンは路上生活を余儀なくされた。
何せどこへ行っても門前払いだ。行くところなど、どこにも無かった。
もうダミアンを「元々は王子の身分であった」などと思う者は誰一人として居ないだろう。
「……み、みず、たべもの……」
譫言のように呟く。
頭ががんがんする。目の前が真っ暗だ。
ここまで来てしまえばもう、背に腹は代えられない。
ダミアンは汚れた体をよろよろと上げ、目の前に見えるパン屋の中に入っていった。
「あの……」
「ん? ……ぎゃっ! 何だいあんた?!」
店の中に居た女の店員が叫んだ。まるで化け物でも見るかのようなその表情に、ダミアンの心は限りなく傷ついた。
だが、その店員の反応も致し方ないだろう。
キラキラと輝きを放っていた金髪は今や薄汚れ、堂々とした翠の瞳も今は濁りを見せるばかりだ。服も何日洗っていないのだろう、異様な臭気を放っていた。
「なにか、くれないか……? なんでもいい、食料と、水を……」
「ああ、もう! そんな状態でうちにいられたら堪ったもんじゃない! ほら、これをやるからとっとと出ていきな!!」
女から水の入った入れ物と少し傷んだパンを投げるように渡される。
ダミアンはぺこりと頭を下げながら、急いで店を出た。
路地裏でしゃがみ込みながら、ダミアンは貰った水とパンを一心不乱に口の中に入れた。
よほど飢えていたのだろう、その勢いを他人が見たら内心引いてしまうほどのそれだ。
そしてその最中、ダミアンの目からは大量の涙が溢れて止まらなかった。
かつて王子だった自分が、卑しい物乞いを見る目で見られたこと。
それに怒り、羞恥、情けなさを感じるプライドはまだ残っているのに、彼女の瞳が何よりも現状の自分を正しく表示していたのを、自分で理解していること。
その全てが悲しくて、辛くて、消えてしまいたくて──それでも、ここで飢えて死ぬという選択は、ダミアンには取れなかった。
そんなのはあまりにも恐ろしかったから。
(ああ……、私は一体、これからどうすればいいんだ……?)
先が見えなくて怖い。自分を愛してくれていた人たちや、愛し合っていると思っていた相手は、もう自分の傍には居ない。
『ダミアンよ。お前は平民となり、物や金の大切さを知るといい』
今になって、父王の言葉が頭に思い浮かぶ。
それを現在、身を持って痛感している所だった。
だが、全てもう遅すぎる。
これから自分がどうなっていくのか。
それが分からなくて、恐怖感にダミアンは自分の両腕をぎゅっと抱きしめるのであった。