「なぁ、ジャパニーズモリソルトって知ってるか?」
朝、いつものように食堂で5兄弟たちと朝食を待っているとエドガーが唐突にそんなことを言い出した。
私は思わず聞き覚えしかない〝ジャパニーズモリソルト〟に反応しそうになるが、何とか堪えとりあえず知らないフリをする。
何故、エドガーがお父さんの盛り塩のことを知っているんだ?
「知ってるよー。どこかのクラブでその話聞いたなぁ。今結構話題だよねぇ」
そんなエドガーにまず反応したのはクラウスだ。
え!今話題になってるの!?
あの袋叩き事件があったのはたった3日ほど前だ。その時にたまたま適当に言った私の〝ジャパニーズモリソルト〟がたった数日でまさか話題になるとは。
ある意味インフルエンサーじゃん、私。
「あれだよな、なんかすげぇ由緒正しい高価な聖なる塩で退魔効果がヤバいっていう」
「うんうん。だーれが魔界に悪魔にとっての毒を持ち込んだんだろうねぇ。怖いよねぇ」
「何かまた情報あったら教えろよな。いい値段で売り捌くから」
「はいはーい。エドガーはお金のことしか頭にないねぇ」
「うっせ。クラウスは自分と女のことしか頭にねぇだろ」
マジか。
エドガーとクラウスの会話を聞きながらお父さんの盛り塩が何だかすごいことになっていることに驚く。
今度からあまり〝ジャパニーズモリソルト〟とか言わないでおこう。
エドガーみたいな輩に盛り塩を強奪されかねない。そのついでに酷い目に遭う可能性も十分にあり得る。
〝ジャパニーズモリソルト〟を私の中で固く封印したところで私は再びエドガーたちの会話に耳を傾けた。
「とりあえず出所を調べて、ジャパニーズモリソルトの独占販売でも始めようかと思ったんだけどよ。ジャパニーズモリソルトの意味がわかんねぇんだわ」
困った様子で首を傾げながらも真剣に〝ジャパニーズモリソルト〟について考えているエドガーの姿が目に入る。
私が適当に言った〝ジャパニーズモリソルト〟に真剣に向き合っているエドガーの姿があまりにも滑稽で笑えてしまう。
本人には死んでも言えないけど。
「ネットで調べても出てこねぇしよぉ。ジャパニーズが日本で、ソルトが塩だろぉ?モリは何だ?おい、ギャレット何かわかんねぇのかよ。日本お前好きだろ?」
〝ジャパニーズモリソルト〟の答えを求めてエドガーが今度はギャレットに話しかける。
「…確かに日本は好きだよ。オタクとしては崇拝すべき存在だ。だからって日本のこと何でも知ってる訳じゃないから」
するとギャレットは大きなため息を付いてエドガーにめんどくさそうにそう言った。
「ジャパニーズモリソルト。…日本…モリ…塩…。日本、モリ、塩。ん?日本モリ塩?」
ギャレットが1人、ブツブツと何か呟いている。
初めこそ意味がわからないといった感じの表情を浮かべていたが、その表情はやがて何かを理解した表情へと変化した。
「盛り塩だ」
「あ?」
ギャレットの呟きにエドガーが前のめりになる。
ギャレットだけではない。クラウスも興味を示している様子だ。
「盛り塩だよ、エドガー。日本には盛り塩と呼ばれる聖なる塩があるんだ」
「本当か!?」
「間違いないね。調べたら出てくるはず」
「ナイス!ギャレット!あとで調べねぇとな!」
どこか誇らしげなギャレットにエドガーはギラギラした目で嬉しそうに笑った。
ギャレット正解です。
でも盛り塩だけじゃ私のお父さんの盛り塩まではたどり着けないだろうな。
5兄弟たちのくだらない話を聞いているといつものようにヘンリー、エドガー、ギャレット、クラウス、バッカス、私の順に朝食が運ばれてくる。
どうせ今日もゲテモノ料理だろう。
あまり期待せずに目の前に置かれた朝食を見る。
すると思っていたものとは違うものが目に入ってきたので私は驚きで目を見開いた。
目の前に置かれた朝食が普通の日本料理だったからだ。
虫なんて一つも入っていない。
ご飯、みそ汁、鮭、サラダ、漬け物、玉子焼き、と人間界で出されても嬉しすぎる内容の朝食にこれは現実なのかと目を疑いたくなる。
だが何度見返してもそこに置かれているのは豪華な日本料理だった。
何を思ってこうなったのかわからないが、普通に嬉しい。
私は目の前に用意さているフォークをここへ来て初めて手に取ってまずは漬け物を食べてみた。
「…美味しい」
その懐かしい味に思わず感嘆の声が漏れる。
涙が出そうだ。
それからご飯を食べたり、みそ汁を飲んだりと私はここへ来て初めてここで朝食を食べた。
「咲良、今日はご飯食べるんだな」
「うん。今日は体調がいいみたい」
「そうか。いいことだが残念だ」
朝食をどんどん食べる私を不思議そうに見ているバッカスに私は満面の笑みで答える。
するとバッカスはどこか複雑そうな表情を浮かべていた。
今日も私の朝食を食べられるものだと思っていたのだろう。
ごめんね、バッカス。またゲテモノ料理が出たら食べてもらいますから。
「咲良、体調が回復したようで何よりだ。さて、俺はそろそろ行くよ。咲良はゆっくりふるさとの味を堪能してくれ」
私の食べっぷりを見てヘンリーが満足そうに目を細めて笑う。
そしてヘンリーは席を立ち、食堂から去っていった。
「俺も行くわー。ゆっくりしろよ」
それを見たエドガーもヘンリーと同じように席を立ち、私に声をかけさっさと食堂から去る。
「…」
「僕も。じゃあね」
「俺も行く。よかったな、咲良」
エドガーが去った後、ギャレット、クラウス、バッカスもそれぞれ席から立ち、食堂から去った。
この広い食堂にはもう私しかいない。
食堂に最後まで1人で残ったのは初めてだ。
陰湿な嫌がらせしかしてこない癖に一体どういう風の吹き回しなのだろう。
嫌がらせをすることに飽きたとか?
訳こそわからなかったがご飯が美味しいのは確かなので私はありがたくご飯を1人でいただいた。
「…っ」
その時だった。
「…はぁっ」
いきなり息苦しくなったのは。
身体中が熱く、耐え難い鈍い痛みが私を襲う。
おまけにうまく息ができず、どんどん酸欠のような状態になる。
私はその場に座っていられなくなり、ガシャン!と椅子から滑り落ち、床に倒れた。
「はぁっ、はぁっ」
苦しく辛い中、すぐに私は朝食のことを疑った。
ヘンリーだ。ヘンリーがゲテモノ料理という嫌がらせが私にもう効いていないことを察してこういった嫌がらせに変えたに違いない。
「ゲホッ、ゲホッ」
粗い呼吸の合間に咳が出る。何度も咳き込んでいると終いには私の口から血が吐き出された。
え?死?
吐き出された血を見て死を意識してしまう。意識も朦朧とし始め、より死への恐怖が強くなった。
死にたくない。
私はここで唯一頼れる存在に助けを求めようとポケットの中のスマホに手を伸ばす。
そして取り出したスマホから何とか連絡用アプリを開いてミアに電話をかけた。
『もしもし?咲良?』
何回かコール音が鳴った後に聞き慣れたミアの声がスマホ越しに聞こえてくる。
この魔界で唯一安心できる優しい声が私を落ち着かせていく。
「…ミア、たす、けて。どく、もら、れ…た」
私は何とかそれだけ言うとついに意識を手放した。
『…え。咲良?どういうこと?』
スマホからミアの声が聞こえる。
『ねぇ!咲良!咲良!?返事をして!』
その声は何度呼んでも返事のない電話越しの相手を酷く心配し、焦っているようだった。
*****
次に目を覚ました時、私は自分の部屋のベッドで眠っていた。
先程まで私を襲っていた耐え難い鈍い痛みや熱はない。咳も出る気配もなく、少々体が怠いくらいだ。
呼吸も落ち着いている。
あれからどうなったんだ?
ミアに何とか電話したのは覚えている。
だがそこからは意識を失ってしまい、何も思い出せない。
誰かが私を助けてくれたのか?
「…咲良」
私が目覚めたことに気がついたらしい誰かが私の名前を酷く暗い声で呼んだ。
誰?
そう思って私を呼んだ誰かの方へ視線を向ける。
するとそこには酷く疲れた顔をしたミアがいた。
あまりにも聞き慣れない暗い声だったので、ミアだと気がつかなかった。
そして私はミアがそこにいることによってミアが私を助けてくれたのだと察した。
「…み、あ」
ミアにお礼を言おうとしたが思うように声出ず、自分でも驚く。
声がうまく出せない。
「怖かったよね。ごめん、ごめんね」
そんな私を見てミアは悲痛そうな表情を浮かべながら私を見つめた。
「咲良の体から人間にとっては毒になるものが出てきたの。だからその毒を私が解毒したわ。ちゃんと解毒したから後遺症も残らないから。ただ今日は安静にしてね」
「…う、ん。あ、り、が…と」
「無理に喋らないで」
ミアの説明を受けて私は何とか今度こそミアにお礼を言うがミアは不満そうだ。
ミアの瞳にはただただ私の身を案じる想いでいっぱいだった。
…過度に心配かけさせて申し訳ない。
「…咲良、今から私の言うことに咲良は頷いてね」
「…」
どこか暗い表情のままのミアに私はミアから言われた通り頷く。
「…耳を塞いでいて欲しいの。これから私が言う言葉が咲良に絶対聞こえないように」
「…」
ミアの言葉に、わかった、と私は頷いて両耳を塞ぐ。
するとミアは何かを言い始めた。
ミアの希望により耳を塞いでいる私にはミアが何を言っているのか全くわからない。
そしてミアは私の首筋に噛み付いた。
「…っ!?」
何事!?
驚いて両手が耳から離れそうになるが何とか耐えて私はそのまま両耳を塞ぎ続ける。
ミアは首筋を噛んだ後、噛んだことによってできた小さな傷を舌で舐めた。
「…っ!!!」
今度は変な声が出そうになったがそれも耐えた。
訳がわからないままもう私から離れたミアを見つめていると、ミアは両耳を塞いでいた私の両手を取り、私の耳から離した。
「ごめんね。いきなりでびっくりしたよね」
「…!」
案ずるように私を見つめるミアに喋れない分激しく頭を縦に振る。
驚いたよ!一体なんだったの!あれ!
「咲良、今いつ死んでもおかしくないでしょ?だから今私と契約したの」
「…?」
契約?
私を見つめるミアの瞳は真剣だ。
だが私には契約の意味がいまいちわからずミアとは対照的に曖昧な表情を浮かべてしまう。
「人間界でも聞いたことない?悪魔と人間が契約をして悪魔が人間の願いを叶える…みたいな」
「…」
ある。
日常ではないが、ドラマとか映画とかの架空の話ではよく聞く話だ。
「今それをしたの。咲良が私のいないところで死んでしまうのが嫌だったから」
嘘?そんなファンタジーな話ある?
…いや、あるな。
今まさに魔界にいる時点で十分ファンタジーだし、可能性しかないことだ。
「契約さえすれば咲良はいつでも私を召喚できる。今日みたいなことがあったら必ず私を召喚してね?約束だよ?」
「…」
ミアの表情はまだどこか暗い。
きっと私が死にかけたことがミアには相当ショッキングなことだったのだろう。
私はミアを落ち着かせる為にも笑顔で頷いた。