光が消えるとそこは無限に広がる何もない白い空間だった。
「咲良、大丈夫か?」
「うん」
私を未だに抱きしめたままエドガーが心配そうに私に声をかける。
先程まで居たのは書庫だった。
だが、ここは明らかに違うどこかだ。
つまりここはどこ?
「…あの本の見た目には見覚えがある」
「俺もだよ、ヘンリー」
状況がよくわからずにエドガーの腕の中で固まっていると難しい顔をしたヘンリーとギャレットの話し声が聞こえてきた。
よく見れば私たちの周りにはヘンリー、ギャレットだけではなく、あの場にいたクラウス、バッカスの姿もある。
「咲良、1つ確認したいのだが、あの本のタイトルは見ているか?」
「…タイトル」
ヘンリーに質問されてあの本、おそらく先程まで私が持っていた禍々しい本の表紙を思い出す。
確か表紙には薄くだったけど…
「desireって書いてあった」
「やはり、か」
私の答えを聞いて納得したようにヘンリーは頷いた。
「あー。desireか…。やっぱりね。まじかー」
ヘンリーの横でギャレットがめんどくさそうに頭を抱えている。
あの本がこのおかしな状況に関係しているのだとヘンリーとギャレットのリアクション見て察した。
「ちょっとちょっと、2人ともー。desireって何?僕たちは何もわかっていないんだけど?」
何かをわかっているらしいヘンリーとギャレットに頬を膨らせてクラウスが文句を言う。
それに対してエドガーも「そうだそうだ」と言い、バッカスも文句までは言わないが無言でうんうんと頷いていた。
私もバッカスと同じように首を縦に振る。
「…まず状況から説明しよう。ギャレット、いけるか」
「おけー」
私たちの視線を受けてヘンリーは同じく状況がわかっていそうなギャレットに話を振った。
「ここはおそらく咲良がさっき持っていた本、desireの中だよ。この本は呪われた本として結構有名でタイトルの通りdesire…欲望に関する呪いがかけられているんだ」
「…呪い。呪いの内容はなんだ?」
説明を始めたギャレットに質問をしたのは意外なことにバッカスだった。
表情からして早く解決させてご飯を食べたいのだろう。
私のところにも「お腹が空いた」て理由で来ていたもんね。
「心からここにいる全員が帰りたいと思えなければ帰れない呪いだよ」
「んだよ!楽勝じゃねぇか!」
バッカスの質問に深刻そうな顔で答えたギャレットに今度はエドガーが呆れたようにそう言った。
「ヘンリーもギャレットも無駄に深刻そうな顔してんじゃねぇぞ!」
「はぁバカ。最後まで話聞いてからそれ言えよ。ここには欲望に関する呪いがかけられているんだよ?」
ギャレットはエドガーの様子に大きなため息をつく。
「ここは己の欲望が絶対に叶えられる世界なんだ。そんな世界から心の底から帰りたいと思えるなんてなかなか難しいことでしょ」
そしてギャレットがそう言ったのと同時に白い空間が一気に煌びやかなホールへと変わった。
そこは先程居た書庫でも、何ない白い空間でもなく、昔海外旅行で行ったカジノのような場所だった。
「…カ、カジノ!?」
突然変わった空間に驚きながらもエドガーの目がギラギラと輝く。
まさに欲望を宿した目だ。
「これが俺の欲望ってことか!」
そう嬉しそうに叫んだエドガーの表情にはとてもじゃないが〝帰りたい〟という感情はない。
「…欲望、つまりご飯食べ放題」
エドガーに続き、じゅるりとヨダレを飲んでいるバッカスに、
「えー!つまり僕好みの女の人たちと遊び放題!?」
うっとりとした顔をしているクラウス。
2人ともエドガーと同じように欲望を宿した目をしていた。
「…まあ、そうなるよね」
そんな欲望に忠実な3人の様子にギャレットも苦笑いだ。
「帰りたいと思えば帰れるんだろ!?だったら自分の欲望を思う存分堪能してからでも遅くねぇんじゃねぇか!?ちょっと遊ぼうぜ!」
「ありだね!賛成!」
「ああ、俺も」
興奮気味のエドガーに賛成したのはクラウスとバッカスだった。
「…まあ、一理あるね。俺も賛成」
そして意外なことにギャレットもそれに賛成していた。
「何を言っている。一度欲望に染まってみろ、帰るに帰れなくなるぞ。この本から帰れなくなった悪魔がいくらいると思っている。だからこそ我が家の書庫に保管されていたというのに」
ここで一番冷静だったのは流石の長男ヘンリーだ。
兄弟の内、5人中4人が欲望に流されている中、全く流されそうな気配はない。
「帰れないのは私も反対!さっさと帰るべき!」
私もヘンリーと同じでここに留まりたいとは思わなかったので声を大にして主張した。
ここにいては人間界に帰るどころではなくなるではないか。
本から魔界、魔界から人間界と帰るためのフローチャートが増えてしまっているぞ。
「でも全員帰りたいと思えることが帰る条件なんだろ?今はその条件を満たせねぇぞ?」
「…」
エドガーの意地の悪い笑顔にやるせない気持ちになる。
ヘンリーと私を除いた、他の者全員がここにまだ居たいと思っているからだ。
だからこそどんなに帰りたいと願っていても帰れない。
「そんな…」
「はあ、仕方ない。とりあえずはここで過ごすことにしようか」
肩を落とす私に呆れたようなヘンリーの声が聞こえてきた。
…ああ、神様、私はもしかしたら本の中からですら帰れないのかもしれません。