短大を卒業して5度目の春が来た。
社会人5年目、25歳にもなると毎年少しずつ後輩ができ、すっかり会社での私の立ち位置は新人から中堅だ。
つまり任される仕事が増えた。
疲労感しかない顔で、一歩一歩、私は何とか足を踏み出し、一人暮らしのマンションの階段を登る。
仕事帰りにこの階段を登る度に引っ越しが頭をちらついた。
家賃と部屋の綺麗さを優先した結果がこれだ。
そろそろせめてエレベーターのあるマンションに引っ越そう。
今日も決意を固めたところで、やっと自分の家の前まで辿り着くと、私はふぅと一息つく。
それからいつものように呼び鈴を鳴らし、扉が開くのを待った。
「咲良!おかえりなさい!」
笑顔のテオによってガチャ!といつものように勢いよく扉が開かれる。
彼は私と同居しているおそらく外国人の男、テオだ。
何故、おそらくなのかというと、きちんとテオに確認をしたことがないからだった。
だが、テオの見た目は紫の肩まである柔らかい髪に血のように濃い赤の瞳をしている。それも地毛と裸眼でだ。
そんな地毛と裸眼の日本人がいる訳がない。
さらに顔立ちも可愛らしく、日本人とは違う雰囲気があるので、私は勝手にテオを外国人だと思っていた。
ちなみにテオはこんなに可愛らしく、中学生にしか見えない見た目だが、成人らしい。
テオが何者なのか私は本当に何も知らない。
それでも私はもうずっとそんなテオと一緒に暮らしていた。
多分世間は私たちの関係を見れば〝恋人〟だと言い、この現状も同居ではなく〝同棲〟と言うのだろう。
「ただいま、テオ」
私は今日も私を出迎えてくれたテオに優しく笑った。テオの愛らしさは疲れを吹き飛ばすものがある。
「咲良、ほら、こっち」
慣れた手つきでテオが私の荷物を受け取る。そしていつものように愛らしく笑って自分の側にくるように手招きをした。
「はいはい」
テオの方へ行けば、頬に軽くキスを落とされる。
いつもと同じ夜。
「?」
あれ?
テオにキスをされた頬を触って、私は首を傾げた。
本当にいつも〝こう〟だっただろうか。
こんなにも甘くて満たされる時間があっただろうか?
「…咲良?何、固まっているの?もう一度キスしようか?今度は口にでも」
この状況に違和感を感じていると、先に歩き始めていたテオがこちらに振り向いて意地悪く笑った。
「い!いい!大丈夫だから!」
そんなテオに慌てて返事をして5年も見てきた玄関で靴を脱ぐ。
…気のせいかな?
私は何故か感じた違和感に蓋をして、いつものようにテオの後を追って、部屋の中へと入った。
*****
やはり世間から見た私たちは恋人なのだろう…といつもふとした瞬間に思う。
一線は超えていないが、キスは普通にするし、もうずっと同居もしている。
あまりにも一緒に居た時間が長い為、恋人というよりも、テオとは家族のような雰囲気さえある。
それでもずっと違和感を覚えたあの日から私はどこかで何かを疑問に思っていた。
何を疑問に思っているのかわからないままに。
そんなモヤモヤした日々がかれこれ1ヶ月は続いていたある日のこと。
私はテオと街へ出て、ショッピングを楽しんでいた。
「おいで!咲良!」
「はいはい」
終始ご機嫌な様子のテオが私を手招きで呼ぶ。私は本日何度目かわからないテオからの呼び出しに笑顔で応え、テオの元へ向かった。
「この服絶対咲良に似合うと思う。だからこれあげるね」
「え!?」
いきなりのテオからの贈り物に私は驚く。
どうやら私が1人で服を見ている内に買ってしまったようだ。
嬉しいけど!また買って!
…ん?また?
またではない。これは今日初めてのテオからの贈り物で…。
いや、ショッピングに行く度にテオは私に何か贈り物をしてくれる。
また、と思うことは当たり前のことだ。
何を私はそんなことを疑問に思っているのか。
「ありがとう、テオ!今度は私がテオに何か贈るよ!」
「いいんだよ。僕が買いたくて買っただけだから。今度出かける時はその服を着てね?」
変な考えを頭からすぐに追い出し、私は笑顔でテオにお礼を言う。
するとテオも愛らしい笑顔で嬉しそうに笑った。
幸せだな。
プライベートにはテオという美少年がいて、仕事も忙しいが順調で。
何もかも完璧な日常。
「…」
だけどどうしてだろう。
そう思えば思うほど心のどこかで「これは違う!」と誰かが叫ぶ。
偽りの日常だ、と。
「ねぇ、咲良、次はどこに…」
明るい笑顔でこちらを窺うテオの言葉がテオのポケットから聞こえてきたスマホの着信音によって止まる。
テオは一瞬だけめんどくさそうな顔をしてスマホに手を伸ばした。
「…あー。職場からだ。ちょっと話してくるから待っててもらってもいい?」
スマホの画面を見て嫌そうな顔をした後、今度は申し訳なさそうにこちらを見て、テオがその場から離れる。
休みの日なのに仕事ってテオも大変だよね。
あんな中学生みたいな見てくれでもやっぱり社会人なんだよね、テオは。
1人になった私はぼーっと何となく街の中を観察し始めた。
さすが人間界だ。
昼間でもちゃんと太陽が昇っている。
いつになっても太陽が昇らない、薄暗いあっちに慣れてしまった私には少々眩しくもあるが、とても心地いい。
「…あれ」
何、これ。
おかしい。何かがおかしい。
「咲良」
よくわからない〝何か〟に疑問を感じていると突然街中から誰かに声をかけられた。
誰だろうか?
わからないはずなのにとても聞き覚えのある声だ。
そう思いながらも声の方へ視線を向けると、そこにはテオにも負けないくらいの派手さと美しさを持つ外国人のような男が1人で立っていた。
「…やっと見つけた」
美しい男は泣きそうな表情で私を見つめている。
銀髪の硬そうな無造作にセットされた短髪に黄金の宝石のように輝いている瞳。
ギラギラと輝いている見た目とそれと同じくらい整った綺麗な顔が眩しい。
年齢は私と同じくらいか年下だろうか。
そんなすごくやんちゃな大学生のような彼と私はもちろん知り合いでもなんでもないはずだ。
それなのにどうしてこんなにも懐かしく思い、会いたかったと思っているのだろう。
「…アナタは誰ですか」
訳が分からなくて私はとりあえずそう彼に聞いてみた。
「そう、だよな。やっぱりヘンリーが言った通りか」
私の問いかけに美しい男が悲しそうに笑う。
何故、彼はこんな傷ついたような顔をするのか。
わからないはずなのにどこかでわかってしまう私もいる。
彼は私に忘れられて〝悲しんでいる〟。
「…俺は咲良の契約悪魔だ。俺はお前のこと結構気に入ってんだ。お前の願いが人間界へ帰りたいってことなら叶えてやるよ。でも、こんなところに閉じ込められているなんてそれは違うだろ?」
彼は何を言っているか。
私が閉じ込められている?
「…ちょっと待ってろ。ちゃんと咲良の願いは俺たちが叶えてやるから」
美しい男はそれだけ言うとスマホを触り始めた。
多分誰かに連絡をしているのだろう。
「…」
ああ、そうだ。
彼が誰なのかはわからない。
それでも名前だけは何故かわかる。
なんで忘れていたのだろうか。