どこまで走ってもこの街には一切色がない。今、動いている私たち以外の全てがモノクロだ。
そんな街を目の当たりにし、私はここが私の知っている世界ではなく、テオの作った世界なのだと、嫌というほどわかってしまった。
こんな世界のどこに逃げれば、元の世界に帰れるのだろうか。
そもそもヘンリーとエドガーとクラウスは無事なのだろうか。
『咲良』
ギャレットとバッカスと共に、街を駆け抜ける私の頭の中に、突然誰かの声が聞こえる。
いや、これは誰かではない。
ちゃんと私が知っている人物の声だ。
『咲良、帰っておいで。じゃないとヘンリーもエドガーもクラウスも殺しちゃうよ。今一緒にいるギャレットとバッカスも、みーんな』
テオだ。
テオのおかしそうな声が頭の中で響く。
何がどうなっているだ。
テオはどうしてこんなことをするのか。
私は何故、彼らを信じて彼らと逃げることを迷わず選べたのか。
わからない。
もうすぐでわかりそうなはずなのにどうしてもわからない。
だが、彼らが…、ヘンリー、エドガー、ギャレット、クラウス、バッカスが殺されるのだけは絶対に嫌だった。
「…ギャレット、バッカス」
私は気がつくと、その場で足を止めていた。
「…声が聞こえるの。テオが帰って来なければみんなを殺すって。どうしたら…」
震える声を何とか抑えて、私は2人に視線を向ける。
今どの選択をするのが最善なのか、状況を理解しないまま逃げ続けている私にはわからない。
「構わない。そのまま逃げ続ければいい。もうすぐで咲良は帰れる」
そんな私に答えたのはバッカスだった。
無表情だが、優しい目でバッカスが私を見つめる。
どうしてだろうか。
すごく嫌な予感がする。
「…ねぇ、もしかしてだけど、みんな自分の命を犠牲にして…とか、そんなおかしなこと考えていないよね?」
嫌な予感を胸に秘めながらも、私は変な笑顔を浮かべる。
自分で言ったことだが、彼らが自分の命を犠牲にするなんてあり得ない。
彼らは魔界を滅ぼすと言われたほど己の欲望に忠実で自由な悪魔だ。
そんな彼らが誰かの為に命を張るなんて。
あり得ないはずなのに。
「「…」」
ギャレットとバッカスは私に答えることなく、曖昧な笑顔を浮かべた。
ああ、そうなんだ。
「そんなこと!私が望んでいると思うの!?私がみんなを殺してまで帰りたいなんて!」
涙が溢れる。
どうしてこうなってしまったのだろう。
何故、私は今泣いているのだろう。
彼らは名前しか知らないただの他人であったはずなのに。
「…そんなの嫌に決まっているよ」
そこまで言って私は思い出した。
全てを。
欲望に忠実で最低最悪だけど、少しずつ仲良くなっていった大好きだった彼ら5兄弟たちの存在と、私がそんな5兄弟たちと過ごしてきたあの1年間を。
「ギャレット、バッカス」
ギャレットとバッカスの名前を改めて呼ぶ。
「「…」」
2人は最初こそ困ったように私を見ていたが、それはやがて信じられないものでも見るような目に変わっていった。
もしかしたら、今のたった一言で、2人は察したのかもしれない。
私が今記憶を取り戻した、と。
「私の願いを叶えてくれるのなら、今すぐテオのところへ連れて行って。テオだってちゃんと話せばわかってくれる」
このまま帰ったってきっといいことにはならないはずだ。
そう思い、先程とは違い、強くギャレットとバッカスに訴えかける。
「…そういうわけにはいかない。魔王はきっとまた咲良をここへ閉じ込めるはずだ。今度はもっと酷い目に遭う可能性だってある」
しかし、ギャレットは私の訴えをすぐに切り捨てた。
「俺たちは悪魔だ。欲望に忠実で自由なんだよ。だから咲良の願いは叶えない。自分たちの願いを叶える為に咲良を逃すんだ」
にっこりと笑うギャレットの言葉は矛盾している。
彼ら5兄弟は、人間界へ帰りたいという私の願いを叶える為に動いていると言っていた。それなのに自分たちの願いを叶える為に私を逃すだなんて。
だが、それを指摘したところで今のギャレットとバッカスは私の言うことなんて聞かないのだろう。
どうすればいいのか。
私はみんなを死なせたくない。
呪文さえ言えてしまえば、契約者は契約している悪魔に対して何でもできる。
ふと、随分前に必死に頭に詰め込んだ悪魔との契約についての知識が頭をよぎる。
そうだ。
呪文だ。あの厨二病呪文さえあればギャレットもバッカスも強制的に私の願いを聞くはずだ。
「…」
正直、あの呪文は厨二病すぎて、一度たりとも口にしたことがなかった。
きちんと覚えているかと言われれば曖昧だが、もうこれくらいしか方法が思いつかない。
ええい!厨二病上等!なるようになれ!
「我が名は特級悪魔ギャレットと特級悪魔バッカスと契約を結ぶ者、咲良!我とギャレットとバッカスの契約の元、ギャレットとバッカスに私をテオの元へ連れて行くことを命じる!我が声に答えよ!特級悪魔!ギャレット、バッカス!」
ここは勢いが大事だと、私は恥じらいを捨てて、それはそれは大きな声でその場で叫んだ。