「まだ、いいよ。今日は特別お忙しいだろう? それに、これでも少しは良くなってきてるんだよ」
サージャは明るく、だがキッパリ断った。大神官ほどの治癒師であっても、サージャの症状にはあまり効果がないことは実証済みだ。サージャの存在は神殿でも限られた者しか知らないため、なにか体の不調があれば大神官に来てもらうしかない。そうでなくても、週に一度は検診のためだと、わざわざ地下まで足を運んでもらっているのだ。これ以上、手をわずらわせたくなかった。
治癒魔法を扱う治癒師は、主に瘴気の治療を得意とする。サージャも治癒の才を持っているが、そのやりかたは普通と比べて少々特殊で、相手の瘴気を自らの体内に取り込むことで浄化する。サージャの両親は魔力などまったく持ってないので、このめずらしい能力はおそらく先祖返りだろうと言われた。遠い祖先に治癒師がいたのか、家系図など見たことない一般庶民の家庭だから、その真偽は謎のままだ。
だが神殿から『迎えにきた』人たちによれば、サージャの能力は非常に優れているらしい。そして彼らはちょうど、サージャのような能力の持ち主を必要としていた。だから今サージャは、こんな生活を強いられているのだ。いや、強いられていたのは最初のころだけで、今は立派に使命感を持って生きている。神殿の地下に設えられた居住空間は、かつて聖人が修行のためにこもる場所だったそうだが、八年前からサージャの住居と化していた。
寝室の続き部屋では食事や勉強はもちろん、小さなキッチンもあって簡単な料理もできる。反対側には洗面室や広めの風呂場も完備されていた。なにより、どう設計したのか、あちらこちらに明かり取りの窓があるおかげで、室内全体が明るく居心地の良い空間になっていた。
「ところで、あの、第三王子様は……無事だったのかな」
「ご無事だとうかがってますが、左目を負傷されてるようでした」
「あ……」
サージャはとっさに自分の左目を押さえた。もしかしたら、自分のせいだろうか。そんな不安を感じていると、外からなにやらバタバタと人がかけてくる音が響いた。次にバタン、と大きな音を立てて扉が開く。
「大変だ! 本当に人がいるぞ!」
扉から飛び込んできたのは、見たこともない若い兵士だった。体をおびえたように震わせ、目を大きく見開いている。サージャと神官は顔を見合わせた。
「誰か、来客の予定とかあったかな」
「そのような状況には、とても思えませんが……」
ほどなくして、扉の外からカツカツとブーツの音が近づいてきたかと思ったら、件の兵士を押し除けるように現れた人物がいた。
「……君が、そうなのか」
サージャを見つめるのは、騎士服を着たスラリと背の高い青年だった。襟足の短い黒髪に、剣の切先のような鋭さがある深緑色の双眸が、端正な顔立ちによく似合ってる。その風貌は気品があり、威厳もあり、どこか甘さも感じられて、とてつもない美形だ。
(だ、誰だろう……?)
サージャが惚けたようにその顔を眺めていると、隣で神官の咳払いが聞こえた。
「ディラン第三王子殿下。まさか、このような場所に足を運ばれるとは」
サージャは驚きとともに、男の全身をくまなく眺めた。自分の想像の第三王子像と、あまりにもかけ離れていたからだ。
(この人が、ディラン第三王子……)
遠い記憶のそれは、あまりにもぼんやりとしていて、今ではほとんど思い出せない。そう、あのときはそれどころじゃなかったから。
「このような場所に、なぜ『彼』がいる?」
「それは……私の口からは何とも。お許しください」
王子の厳しい詰問口調に、神官はその場にひざまずくと深く頭を垂れた。サージャは隣で、自分も頭を下げたほうがいいのだろうかと悩んでいたら、またしても扉の外からバタバタと騒がしい、複数の乱れた足音が近づいてきた。
「殿下、このような場所に来られるとは!」
「大神官。ではなぜ『このような場所』に、この者が閉じ込められている? 理由を聞かせてほしい」
白い髭に青いローブ姿の大神官は、いつものおだやかな雰囲気から一変して、ひどく動揺していた。
「それは……」
大神官は言いかけた言葉を、とまどうように飲みこんでしまう。すると第三王子の表情に、怒りともあきらめともつかない表情が浮かんだ。そして長い黒髪の前髪をゆらしながらサージャの目の前までやってくると、すばやくあごをつかまれた。
「この目で見るまで、信じられなかった。まさか私の受けた瘴気を、このように代わりに受ける術があるとは。『
「……はい、俺があなたの『形代』です」
あごがゆっくりとはなされ、次にその手は端正な男の顔を覆った。
「クソッ……なぜ、こんなひどいことを……」
かすれた声音は、憐憫の色を帯びていた。憂いをまとう視線は、サージャをひどく居心地悪くさせる。なにか言わなくては、誤解を解かなくてはと、あわてて口を開いた。
「でも、王子様がご無事でよかったです! このアザも、少し経てば消えますから、そうすれば何も問題は」
「問題だらけだ」
ハアッ、と大きくため息をつかれ、サージャは相手が王子でもだんだん腹が立ってきた。なにが『問題だらけ』だ。王子が無事ということは、サージャがきちんと『形代』の役目を果たせたということだ。そりゃ左目の瘴気は、まだ浄化しきれてないが、これでも初日よりはだいぶ薄くなった気がする。あと三日、いや一週間もすれば、ほとんど目立たなくなるはずだ。それにいったんこの体内に受けとめた瘴気は、二度と王子へ戻ったりしない。八年前にはじめて瘴気を受けとめたときだって、三日三晩苦しみ抜いたけど、すべて浄化しきれたし、瘴気が王子へ戻ることはなかったはずだ。
「ここ半年、ずっと浄化はうまくいってました。今回だって、もう少し時間をもらえば大丈夫です」
「君は……こんな目にあってて、なにも不条理さを感じないのか」
「不条理さって、なんのことでしょう? 俺は『形代』として、きちんとお役目を果たしてるつもりです」
少しのあいだ、部屋に沈黙が落ちた。それを破ったのは、大神官だった。
「ディラン殿下、そのように彼を問い詰めてもしかたないでしょう。彼はずっとこの神殿で『形代』のお役目をつとめてきたのです。特にこの半年ほど、彼は浄化魔法を極限まで使っています。ご覧になられたとおり、左目のアザはまだ消えておりません。体内の浄化力が枯渇しかけているのです」
「……そのあいだ、私は己の瘴気への抵抗力を過信して、さんざん魔獣と戦い、あまつさえ油断して左目に瘴気を受けたのだ。彼が犠牲を払わなければ、今ごろ私も後方部隊の負傷者用の馬車で運ばれていたところだ」
なんと、サージャは犠牲を払ったと思われてるらしい。
(俺は、自分の『仕事』をしただけなのに)
なんだか面白くない。それとも自分のアザを見て、憐れんでるのだろうか。
「ひどい。こんなのあんまりだ」
サージャがつぶやくと、王子はその言葉に腕を組んだ。
「たしかにひどい扱いだ。人目を避けるために、このような地下に閉じこめるとは、人道的にも許しがたい行為だ。すぐに君を地上へ連れていく」
サージャは顔を上げる。今この人はなんて言った?