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第四話 王家の秘術

「失礼します、お湯をご用意いたしました」


 サージャは声を掛けられてハッとする。ふと辺りを見回すと、すでに王子の姿はなかった。

 いつの間に部屋を出ていったのか、代わりに近くにはタオルを両手に抱えたメイドが立っていた。


「浴室までご案内します」


 浴室は、寝室の奥にあるそうだ。案内されて入った寝室には、天蓋のついた大きなベッドがあって、その大きさや豪華さに圧倒される。そのめずらしさに目を奪われていると、メイドは部屋のさらに奥にある扉を開いた。


(広くて、きれいだ)


 浴室はサージャが普段使っているそれの倍は広く、また美しい曲線を描いた浴槽が目を引いた。蒸気が空気に混じる中、サージャがおそるおそる浴室に入ると、メイドが続いて入ってこようとしたので驚いた。どうやら入浴の手伝いをするつもりらしい。

 たしかに神殿でも、見習いの神官が年老いた神官の入浴を補助する話を耳にしたことがあったが、腰痛持ちで危ないからという理由だったはずだ。


 サージャはひとりで大丈夫だと主張すると、メイドは静かにうなずいて出ていった。ただし扉の前で控えているようで、どうも過剰に心配されてる様子にサージャは首を傾げる。

 そのときふと、洗面台に掛けられた鏡を見て思い当たった。


(きっとコレが原因だろうな……早く消えるといいんだけど)


 左目を覆うように広がる蔦模様のような黒いアザは、見る人によっては痛々しくも感じるだろう。サージャはあらためて深いため息をついた。




 そのころディランは簡素な内装の応接室で、落ち着きなく歩き回っていた。

 二十平米ほどの室内は、必要最低限の調度品が置かれるほか飾り気もなく、ここが王妃のプライベートな部屋だと言わなければ、使用されてない数ある客室のひとつと勘違いされるだろう。


「お待たせしてごめんなさいね」


 固く結い上げた淡い金髪に白髪の筋が目立つ女性が、ゆったりした足取りで現れた。侍女を一人だけ付き添わせていたようだが、彼女は扉の前で軽く一礼すると閉じられた扉の後ろに姿を消した。

 ディランは母親に近づくと、差し出した両頬に義務的にキスを落とす。王妃は長いカウチに腰を下ろし、息子にも座るよう勧めた。


「お忙しいところを、お呼び立てして申し訳ありません」

「いいのよ、今日の公務は退屈なものばかりなの」


 少し皺が深くなった顔に浮かぶ笑顔には、わずかに居心地悪そうな表情が混じる。なぜ我が子に呼び出されたのか、おおかた理由を察しているようだ。


「なぜ私に黙って、勝手におかしな術をかけたのですか」


 ディランは社交辞令のあいさつ抜きで、さっさと本題に切りこんだ。お互い忙しい身だから、このほうが双方にとって都合が良い。


「おかしな術ではありませんよ。王家に古くから受け継がれてきた、立派な秘術のひとつですもの」

「私は誰かを犠牲にしてまで、この身をかばわれたくありません」


 王妃は困ったように微笑んだ。まるで聞き分けのない若者に対するような態度は、ディランの神経を逆撫でるとも知らずに。

 いや知っていて、わざとこの態度なのかもしれない。


「あなたはすでに、さまざまな人々の犠牲の上に立ってますよ。あなただけではなく、私たち王族はそのようにして存続しているものです」

「だからといって、あのような術をわざわざ用いるなんて非人道的過ぎます。王族だからといって許されることではありません。それに彼の立場を知ってしまった上で、再び討伐隊には」

「参加するわけにはいかないわね」


 王妃は笑みを消した。二人の間に重苦しい沈黙が落ちる。


「あの憐れな青年を苦しめたくなければ」

「もう苦しめたくありません。だから術師の身元を教えてください」


 強力な術ほど、それをかけた術師本人でないと解くことは難しい。

 ディランとサージャを繋ぐ『形代』の術は、間違いなくその類だろう。王妃の証言から、王家に伝わる秘術と知ったからには、術師本人に解いてもらうしかない。

 しかし王妃の口から、思いもよらない言葉が出た。


「術者はすでに、この世にはいません。八年前に命を落としました」

「この世にいない……しかも八年前……? 一体どういうことです?」


 王妃は視線を上げると、決意したように口を開いた。


「少し長い話になるわ」




 サージャは王都からほど近い、宿場町ルベールで育った。

 王都グランカーサと工業地帯ランジュを繋ぐ重要な商業拠点でもあり、王都から足を運ぶ商人であふれる賑やかな街だ。


 サージャの両親が細々と営む雑貨店は、そんな街の大通りから一本入った裏道沿いにあった。

 両親は自営業で年がら年中いそがしく、また子育てに関しては放任主義なため、十人兄弟の六番目として生まれたサージャは兄や姉に育てられた。そして物心がつくころには、上の兄弟のやることなすこと見様見まねで覚えた。


 小さなころは親の愛情なんて意識したことなかったが、歳を重ねた今になってみれば、そのようなものはたしかに存在してたように思えるから不思議だ。

 サージャが神殿へ連れていかれるときだって、両親は最後までサージャの身を案じて反対していた。


「あのときは、一家の働き手が減るから惜しまれているって思ってました。弟や妹の世話を見てたのは俺だったし、十歳でも店番くらいはできたし。でも神殿からきた人たちにとっては、俺らの事情なんてどうでもよかったんだと思います」


 サージャはそう言うと、テーブルをはさんで向かい側に座る王子から目をそらした。あまりにも真っ直ぐ向けられる視線は、とても落ち着かない気持ちにさせられる。

 しかも視界の端にうつる窓ガラスは、室内を煌々と照らす照明を反射してやたら眩しく、目をくらませる。外はもうとっぷりと暮れてしまったのに、この部屋はやたらと明るすぎた。


「君はこちらの都合で、一方的に神殿へ連れてこられた。年端もいかない子どもを親から無理やり引き離すなど、本来なら絶対に許されない行為だ」


 サージャは小さな苦笑をもらした。今朝いきなり神殿から強引に連れ出して、この部屋に押しこめたのは『無理やり』ではないのか。

 室内では常に数名のメイドが待機して、あれこれ世話を焼こうとするが、サージャは彼らが見張りだと気づいていた。間違いなく部屋の外でも誰かが見張っているのだろう。


 そのやり口は、かつて実家に『迎えにきた』神殿関係者のそれと、たいして変わらないように思えた。


「そのように、かたくならないでくれるか。ほとんど初対面だから、緊張するなと言うほうが無理な話かもしれないが、この件はどうしても君の口から話を聞く必要がある。だから、もうしばらく我慢してほしい」


 王子は丁寧にそう言って、しかし無作法とも呼べるほどサージャをながめていた。まるで髪の一本一本、すべての爪の先まで検分してるかのようだ。特にアザの広がる左目には、痛いほど視線を感じる。

 その確認するような視線は、なにかの答え合わせをしているようにも思えた。


「神殿に連れてこられた後のことを、君がおぼえているかぎり詳しく話してもらいたい」

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