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第五話 サージャの過去

 神殿に連れていかれたサージャは、まず大神官の執務室へ案内され、そこで温かい食事を出された。野菜や肉をたっぷり煮込んだスープに、やわらかで真っ白なパン、そして果物のジュースはどれもおいしくて、腹も減ってたこともありペロリとたいらげた。

 食事を終えると執務室を出されて、廊下の奥に設えた部屋へと入った。そこで若い神官の介添えで『沐浴』をさせられた。頭のてっぺんから足のつま先まで、よい香りのする石鹸でくまなく洗い清めたあと、四角く切り抜かれた床にたたえられた水に体を浸した。まだ肌寒い季節で、水の冷たさに全身鳥肌が立った。

「沐浴がすんだあと、裾の長い、白い服を着せられました。それから、いくつもの長い廊下を通って、さいごに豪華な部屋に入れられました」

 そこは誰かの寝室で、カーテンの向こう側に人の気配がした。落ち着いた室内灯が、カーテンに影絵のように人の形を映し出していた。その影絵から苦しげなうめき声が聞こえてくる様は、サージャの恐怖を否応無しに煽り、足の運びを凍らせた。すると示し合わせたように、両脇から手が伸びて体を拘束され、そこで意識が途切れた。

「次に目を覚ましたら、神殿の地下にいました。それからずっと、そこで暮らしてきました」

 サージャは話疲れて椅子の背にぐったりもたれると、差し出された水のグラスに首を振って視線を落とした。

「地下に着いてから、何が起こったのか詳しく知りたい」

「それは……」

「話せないか? 誰かに口止めされたのか」

 別に、誰かに口止めされたわけではない。サージャと関わる人間はごく限られていて、その者たちは皆サージャの事情を知っていた。ただサージャは、他の誰かに会って話す機会がないから、口止めも必要なかったのだろう。

「……それから、何日間かベッドにいました。苦しくて、死ぬかと思いました」

 それが『形代』として、はじめて浄化をした経験だった。三日三晩眠れず悶え苦しみ、その後も一ヶ月はベッドから起き上がれなかった。

「この髪、もともとは黒かったんです。でも全身のアザが消えるころには、こんな色になってました」

 サージャが自分の真っ白な髪のひと束をつまんで視線を上げると、王子の顔は真っ青になっていた。そこまでショックを受けるとは思わなかった。これでは逆に、罪悪感を覚えてしまいそうだ。

「めずらしい髪の色とは思っていたが、そのような事情があったのか……すまなかった」

「王子様があやまる必要なんてないです。俺が『形代』して未熟だったから、しかたなかったんだって思ってます」

 いろいろあったが、すべては『形代』になるための通過儀式だと思うことにした。あきらめたのではなく、受け入れたのだと。

「この術をかけた術師は、もう他界してるそうだ」

 王子の言葉が重々しく響いた。

「本来なら術師に『形代』の術を解いてもらうはずが、別の方法を見つけなくてはならなくなった」

「別に、このままでも俺は構いませんけど」

 サージャの言葉に、向かいの王子が勢いよく立ち上がった。

「それは駄目だ。私が許さない」

「許すもなにも、俺がいいって言ってんだから、よくないですか?」

「君がよくても、私は納得いかない。この先、私が瘴気にさらされる度に、君が犠牲になるなど耐えられない」

「ハッ……今さら」

 サージャは耐えきれなくなって、正面の人物を避けるように、椅子に座ったまま体を横に向けた。肘掛けにダラリと左腕をかけると、肩の付け根がズキリと痛んだ。そういえばこの部分も、まだ浄化が終わってなかった。

「左肩、右の脇腹、足の甲……あとどこだったかな。ああ左目は分かってるか。全部アンタが瘴気を浴びたところだ。俺はこの半年『形代』として、どうにか浄化をしてきた」

 まさに文字通り、身を削って浄化に勤しんできた。その結果が感謝されるどころか、悲痛な顔をして『お前はもうクビだ』と言われたようなものだから、我慢ならない。

「アンタ、ずっと王宮で守られてきたんだろ? それなのに急に討伐隊なんかに入って、わざわざその体を危険にさらしてさ。俺がいなかったら、アンタ今ごろ病院送りだよ。いや、王子様は病院なんて行かないか。お城に医者を呼びつけるもんな。そもそも俺も、アンタに呼びつけられたクチだし」

 王子から痛いほど視線を感じる。敵意か後悔が、それとも身の程知らずの口を叩く無礼者への憤りか、彼の心情はサージャには分かりようもなかった。

「とにかく……まずは体を休めてくれ。今後のことについては、また日を改めて相談したい」

 王子はそう言い残すと、静かに部屋を出ていった。後に残されたサージャは、しばらく椅子から動けなかったが、やがてノロノロと身を起こすと、扉の近くに控えていたメイドが飛んできた。

「もうお休みになられますか」

 小さくうなずいて肯定すると、奥の寝室へと案内された。そこで着替えを渡されて、室内に一人残された。サージャは手に抱えた肌触りのよい寝巻を、近くの椅子に放り投げると、そのままベッドに倒れこんだ。目を閉じる刹那、部屋中の明かりが見計らったかのように消えた。瞼に感じるのはカーテンからうっすらにじむ月明かりだけで、神殿の地下の寝室と比べたら、まだ眩しく感じた。




 久しぶりにまとまった睡眠が取れたサージャは、半身を起こすと、すっかり明るくなった室内をキョロキョロと見回した。

(誰もいないな……誰か呼んだほうがいいのかな)

 ベッドの上で足を組むと、ハアッ、と大きく肩で息をした。頭はスッキリしているが、気分は最悪だった。

(いろいろ正直に言いすぎた……)

 昨夜、サージャは王子に対して責めるような口調で、好き勝手に文句を言ってしまった。

(いくらなんでも、あれは八つ当たりだったよな)

 しかも相手は仮にも王族だ。不敬罪で捕まっても文句は言えないだろう。もはや生きて神殿に帰れるのかと不安がつのってきたところで、静かなノックが聞こえてきた。

「お目覚めでしょうか。開けても構いませんか」

 おそらくメイドだろう。サージャがうつろな返事をすると、予想どおり昨夜のメイドが現れた。ワゴンに乗せて運んできたのは、数枚のタオルと大きなピッチャーにたっぷり入った温かい湯だった。

「すぐに朝食をご用意いたします。なにか苦手な食べ物はございますでしょうか」

 サージャはぼんやりと首を振ると、勧められるまま洗顔をすませた。タオルで顔を拭いていたら、次に着替えの服を差しだされた。

「お着替えはこちらをご用意しました。お手伝いしましょうか?」

 あわてて首を振ると、メイドは心得た様子でしずしずと部屋を出ていった。再び部屋にひとりになると、サージャは朝からドッと疲れを感じてベッドの下にしゃがみこんだ。

(なんなんだよ、もう……ほっといてくれればいいのに)

 しばらく床に座ってジッとしていたが、いつまでもこうしているわけにはいかない。グズグズしてると先ほどのメイドが戻ってきそうなので、観念して渡された服に袖を通した。淡い緑色の上下は、シンプルなデザインで飾りも少なく、着心地がよかった。

 着替え終えてしばらく待っていたが、一向に誰もやってこないので、寝室の扉をそうっと開いた。すると外には何人ものメイドが待ち構えていて、思わず扉を閉めてしまった。

(え、なになになに?)

 再びそうっと開くと、そこは広い部屋で、中央にテーブルが設えてあった。たくさんの皿がのっているが、まさかあれが朝食だろうか。そして極めつけは、すでに席に着いている人物がいたことだ。

「起きたか。こちらへ来て、食べるといい」

 真面目な顔で手招きするのは、昨夜サージャが散々責めたてた王子その人だった。


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