シンプルな白いシャツに黒いズボンを身に着けているだけなのに、やたら高貴に見えてしまうのは、やはり腐っても王族だからだろう。
サージャは気後れしつつ、ためらいがちにテーブルへと近づくと、メイドが先に椅子を引いて待っている。しかたなく席に着いたが、目の前の男の顔を直視できなかった。
「昨夜はあまり食べてなかったようだな。今朝は、少しは食欲が出るといいが。君は苦手なものはあるのか?」
「え、いや、別に……」
「では君の分は、私が取り分けよう。量が多かったら都度言ってくれ。さあ、まずはこれを食べるといい」
差し出されたのは、小皿にバランス良く盛りつけられたサラダだった。内容は葉物が中心でどれも馴染みのある種類ばかりだが、まだ温かい季節ではないこの時期に生野菜を食べられること自体めったにない。
「今朝、温室で収穫したばかりだそうだ」
「温室ですか」
貴族や裕福な商人は、季節に関係なく野菜や果物を栽培できる温室を所有していると聞いたことがある。とうぜん王宮にだって、温室のひとつやふたつあっても不思議じゃない。
「生の野菜は苦手か?」
「いえ、いただきます……」
みずみずしい緑の葉は、咀嚼すると口の中でシャクシャクと音が鳴った。
そういえば神殿では、暑い季節でもめったに生の野菜を食べたことなかった。必ず火を通してあるのだが、火が通りすぎて茶色く変色してることもよくあった。神官たちによれば、食中毒の対策らしいが、見た目も味もイマイチだった。
(生の野菜って、新鮮だとこんな感じなんだ)
王子は次に卵料理を取り分け、パンにバターやジャムを塗って差し出し、小鉢にはいろいろな果物を少しずつ盛ってくれた。
あれこれサージャの世話を焼きながらも、器用に自分の分の料理も平らげていくので、サージャが満腹でフォークを置くころにはテーブルの上の皿はほとんど空になっていた。
しかしメイドたちによってテーブルの上がきれいに片付けられても、王子は椅子から立ち上がる気配がなかった。王子は両手をテーブルの上で組むと、慎重な口調で切り出した。
「ところ君の今後についてだが、王宮で暮らすにはそれなりに理由が必要だ。昨日は取り急ぎ私が保護をした体にしたが、いつまでも正当な理由なしで王族の居住空間に留め置くことは難しい」
言われてみれば王宮は、王族の居住空間だ。
サージャはあらためて動揺してしまい、メイドが運んできたテーブルの上のカップをソーサーごとひっくり返してしまいそうになったが、かろうじて堪えた。
「えっと、それなら別の場所へ移ればいいんじゃないの……?」
別の場所というか、神殿に戻してくれたらいいのだが、それを言うと昨夜の険悪なムードを蒸し返しそうなのでやめておいた。
たぶんサージャは、王宮内にいなくてはならないのだろう。理由は分からないが。
「君は私の居住空間にいなくては駄目だ。私と君は特殊な術によって、いわば『繋がっている』状態だ。万が一、私の目の届かないところで君に身になにか危害が及べば、お互いどうなるのか分からない」
たしかにサージャに危害が及び、最悪命を落としてしまった場合、この体内で浄化しきれてない瘴気がどうなるのか不安だろう。
サージャの命とともに消滅してしまえばいいが、もしかすると王子の体に戻ってしまうかもしれない。
「そこで、やはり身内になってもらうのが最良の選択だという結論に至った。私にもっとも近く、また現実的に可能な立場を考えたら、伴侶になるのが一番だ」
「……はい?」
サージャは聞き間違いかと思って、首をかしげた。
「私の配偶者になれば、もっとも近い場所に君の居住空間を設けられる。護衛はいくらでもつけられる上、たとえ寝室を共有しても不自然ではない」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
ガチャン、と今度こそ音を立ててカップをひっくり返してしまった。
両手をついた白いテーブルクロスには、茶色のシミがジワジワと広がっていく。
「アンタなに考えてんだよ? 無理にきまってるよ!」
「無理ではない。今のところ私の配偶者の席は空いている。そろそろ迎えなくてはならないから、これをちょうど良い機会ととらえたい」
空いてるからといって、誰でもその席に座っていいわけではないだろう。それに王族は何世代にも渡って子孫を残す義務があるだろうから、かならず異性婚が必要なはずだ。後裔なくして王家は栄えない。
「お、俺だと、子どもが作れないだろ」
「子どもが欲しいのか?」
「違うっ、アンタ王子なんだから、子孫とか世継ぎとか、そういうのを気にしなくていいのかよ!?」
「私が子どもを作れば、むしろ王位継承権争いの火種になりかねない。それに国王の嫡男である王太子と王太子妃の間には、すでに五人の子がいるから、世継ぎの心配はないだろう」
「いや、でもっ……無理だってば!」
「他にもなにか問題があるのか」
問題だらけだ、とサージャは思ったが、どう説明すればいいのか分からず言葉を詰まらせた。
貴族、ましてや王族の婚姻は、極めて政略的なものだと聞いたことがある。そこに当事者の考えや感情など、考慮されないのが普通なのだろう。ならば情に訴えても意味がない。他に正当な理由を見つけないと、きっと説得は不可能だ。
「ええと、そうだ身分差が」
「神官は神職に携わるが故に、通常の身分制度の枠から外れた特殊な立ち位置だ。歴代の王族の中には、神官と婚姻関係を結んだ者も少なくない。そのほとんどが勢力争いを避けるための婚姻だったようだ」
サージャはますます困ってしまった。
するとその気持ちが伝わったのか、今度は王子が困った表情を浮かべた。
「私の伴侶になるのは嫌か。もしや……恋人や将来を誓い合った者がいるのか」
「いるわけないよ。あんな場所で、できるわけがない……誰にも会うわけにはいかなかったんだからな。それに俺、気味悪がられてたみたいでさ」
サージャの指先が、無意識に左目に伸びた。するとそれを追いかけるように、長い指が絡みつく。
「君は、誰の目にも触れさせない」
「な、なに言ってんの」
「身内はもちろん、身内以外の第三者も然り。使用人はごく限られた者にする。それも嫌ならば、私が君の世話をしよう」
サージャはびっくりして、握られた手をふり解こうとしたが、逆にさらに強く握りこまれてしまう。
「今度は私が、君を全力で守る側になる。この王宮で心安らかな日々を過ごせるよう最大限に配慮する」
王子の表情は真剣そのもので、決してその場限りの冗談を言ってるようには見えない。それでも首を縦に振らないでいると、王子の視線の先がサージャの左目に向けられた。
「そのアザだが、治癒師に診てもらったことは?」