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第七話 治癒師と浄化魔法

 王子の淡々とした口調からは同情も嫌悪も感じられず、ただ冷静に状況を見定めようとしているようだった。


「……治癒師の人に診てもらったことは、なくもないんですけど」


 以前、神殿の地下で内密に診察してもらったことがあるが、呼ばれた治癒師はとても嫌そうな顔をしていた。なぜならサージャのアザには、浄化魔法がほとんど効かなかったから。

 治癒魔法に長けた大神官の力を用いても、気休め程度に痛みがやわらぐだけなのだ。


「不思議な模様だな……まるで植物の蔦のようだ。普通ならば、瘴気の影響を受けた箇所は、打ち身のような黒いアザになるのだが」


 王子が言うとおり、普通なら瘴気を浴びるとその部分は青黒いシミのようなアザができる。被害の程度によって濃淡が変わり、治癒をしても完全に取りきれないこともある。


 だがサージャの場合、絡みつく蔦のような黒い模様のアザができる。

 浄化はいつも夜眠って意識がないときに、勝手に体内でおこなわれる。だから朝起きたら一番に、アザの状態を確認するのが習慣になった。なぜなら浄化が終わると、必ずアザはきれいになくなるから。


 しかし体内の浄化がうまく進まないときは、時おりアザの部分が燃えるように熱くなる。

 それは激しい痛みに似ていて、ひどいと肌を突き抜けて臓腑にまで影響が及ぶ。


「少しでも治癒魔法が助けになるのなら、私が」


 サージャは首を小さく横に振った。


「いったん俺の体に取りこまれた瘴気には、治癒魔法が効かないんです」

「そうか……」


 そういえば王子は、浄化魔法の使い手でもあると聞いている。

 しかも相当の手練れで、討伐隊の中でも一、二位を争うほどらしい。きっと遠征先でも重宝されただろう。残念ながら治癒師は、自分が受けた瘴気は治せないのだが。


(この人の場合は自分で治せなくても、俺がいるから関係ないか)


 王子はずっと『形代』の存在を知らなかったようだから、きっと旅先で相当とまどったに違いない。

 仲間が瘴気を浴びて苦しむ中、自分だけは影響されないなど、普通でないと思うのは当然だ。


 サージャは王子の揺れる瞳を見つめながら、はじめて同情心のようなものが芽生えた。するとその瞳がゆっくりと近づいてきて、サージャの左のこめかみにやわらかなものが押しつけられた。


「君を守らせてほしい」


 触れた場所から一瞬、ジワリと魔力を感じた。

 サージャは我に返ると、あわてて王子から距離を置こうと顔を背けた。


「む、無理です、ホント困るからっ……無理なのに、なんでこんなしつこいんだよ。俺、神殿に戻れないの? もう前の生活に戻っちゃいけないの?」


 サージャは半泣きで正直な気持ちを吐露した。

 別に、前の生活に愛着があるわけではない。ただ、そこから出るのが怖かっただけ。それに王宮の中は朝も夜も関係なく明るくて、サージャには眩しすぎた。この光に体が慣れてしまうと、もう二度と地下へ戻れなくなりそうで怖かった。


「すまない、私は君を困らせてばかりいる」


 真っ直ぐな瞳は黒かと思ったら、よく見ると深い緑色だった。

 森の深淵をのぞいているようなそれは、サージャをどこか懐かしい気持ちにさせる。ずいぶんと昔のまだ幼いころに、家族と森へ出かけたことを思い出した。

「すまない」


 もう一度謝罪の言葉をかけられるも、向けられたまなざしからは、一切の拒絶も反論も受けつけそうにない強固な意志の強さを感じた。




 ディランはいつもより遅れて王宮内にある自分の執務室に入ると、デスクに座る時間も惜しむようかのように、立ったまま手持ちの書類の束に目を通した。そこには当日の公務時間が記されていて、いつも軍部の仕事と比較して、どちらがより重要か天秤に掛けるのが日課となっていた。


 大抵の場合、リストに記された公務の多くは、ディランが赴かなくてもさして支障はないものばかりだった。王家の顔である国王夫妻か、または王太子夫妻か、どちらかが対応すれば済む。

 ディランは読み終えた書面を解決済みの箱に放りこむと、わずか数分足らずで部屋を後にした。そしていつものルーティンに従えば、ここから軍司令部へ向かい、そこで一日の大半を過ごすことになる。


 しかしこの日ディランは踵を返して、王宮の奥にある王太子の執務室へ向かった。この時間ならば、王太子はまだ公務前の打ち合わせ中のはずだ。


「……驚いた。お前がこの部屋に顔を出すなんてめずらしいな」


 リューク王太子は予想どおり、数名の臣下たちと打ち合わせ中だったが、ディランの訪問を歓迎してくれた。


「討伐隊の隊員は、当面の間は仕事を休んで構わないのだろう? 手が空いているのならば、少しばかりこの親愛なる兄上の仕事を手伝ってくれないか」

「ええ、そのつもりです」

「おおっ、それは願ってもないことだ! いやホント猫の手でもいいから借りたかったところでね」


 すると部屋の奥から、わざとらしい咳払いが聞こえてきた。


「殿下。日頃から書類仕事をためこまないようにすれば、たとえ不測の事態が起ころうと、お困りにならなかったはずですよ?」

「分かってる、今回は私が悪かった。優先順位を考えるうちに、つい後回しにしてたからな」


 なんでも国王夫妻の公務日程が、当日になって再調整されたらしい。結果、二つの外せない公務が重なってしまったそうで、一方を急きょ王太子夫妻で代理出席することになったとか。


「だが実は、今日明日中にどうしても目を通さなくてはならない書類仕事があってな。内容に問題なければ、承認の署名をしなくてはならない。でもお前ならば、私の代理署名が可能だろう? 補佐も何人か付けるから、分かりにくい箇所は彼らに説明させるといい」


 それはディランにとって願ってもないことだった。

 軍部に入隊して早五年経つが、それ以前は兄である王太子の仕事を手伝っていた。公務についても、恒例のものは大体理解しているので、大抵の書類仕事はそつなくこなせるだろう。


「しばらくの間は王宮から離れないつもりなので、構いませんよ」

「よし、頼んだぞ!」


 リュークは手放しによろこぶと、意気揚々と執務室を出ていった。

 デスクワークよりも、人との交流や社交を得意とする兄なので、ディランの申し出はきっと歓迎されるだろう自信はあった。仮に歓迎されなくても、ディランはもはや軍部へ戻るつもりはなかった。 


 ――もちろん、討伐隊にも二度と参加するつもりはない。


「ディラン様、よろしいのですか?」


 顔馴染みの臣下のひとりが、心配そうに声を掛けてきた。

 ディランが王太子に逆らえず、意に沿わないまま手伝わされているのではと心配してるようだ。だがむしろ、この流れはディランの目論見どおりだった。


「ああ。この仕事は慣れているし、嫌いではないからな」

「しかし恐れながら、ディラン様は今や国民的英雄になられたのですよ? 討伐隊での目覚ましいご活躍、そしてなにより唯一、瘴気の影響を受けずに帰還された、まさに奇跡の英雄だと……」

「皆は誤解している。私は英雄などではない」


 執務室に残った補佐の臣下たちは、皆そろって『第三王子はなんて謙虚なのだろう』という空気を漂わせた。

 そしてその空気が、ディランをいっそう苦しめた。


 己の無事は、あの白髪の青年の苦しみへと直結している。

 そして彼の献身とも呼べる働きは、誰にも伝えることができない……なぜなら彼の『形代』としての立場は、ディランの、引いては王家の弱点になり得るからだ。

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