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第八話 世話焼きな付き添い

 その日の午後、サージャは再びベッドへ戻ることを余儀なくされた。

 左目のアザが熱を持ち、ひどい頭痛を引き起こしたからだ。


(痛み止めは、むこうの部屋に置きっぱなしだもんな。あー、なんとか取りに戻れないかなあ……)


 神殿の部屋には、サージャの痛みに特化した薬が切らさず常備されていた。

 一時的な対処療法で効き目も限定的だが、それでも無いよりマシだ。特にアザがある期間は、ひとりで過ごすことが多いので、痛みがあるときは自分でなんとかするしかなかった。


(でも具合が悪いって言うと、面倒なことが起こりそうでやだな)


 そこでサージャは『昨夜あまりよく眠れなかったから二度寝したい』とメイドに嘘をついて寝室にこもった。しかし嘘は見透かされてたらしく、小一時間もたたないうちに王子がやってきてしまった。


「具合が悪いそうだな」


 ベッドの端に座られると、シーツをつたって体温が届きそうだ。

 サージャは落ち着かない気持ちで身を縮こませ、昨夜はあまりよく眠れなかっただけだと言い張った。すると枕にのせた頭に大きな手がのびて、熱をはらんで汗ばむ額にそっと触れた。


「熱があるな……これはまさか、アザの部分から?」


 ごまかしようもなく、サージャは小さくうなずいて目を伏せた。

 すると王子はすばやくベッドから立ち上がると、足早に部屋を出ていってしまう。やがて戻って来た気配とともに、布をしぼる水音がした。かたく絞られたタオルが額にのせられ、その冷たさにホッとする。


「冷却魔法をかけたから、しばらくは冷たさがもつだろう」


 そんな言葉を聞きながら、サージャはするりと意識を手放した。




 次にサージャが目覚めると、室内はまだ日の光で明るかった。

 半身を起こそうとしたら、ぬるくなったタオルが額からすべり落ちた。


「起きたか。気分はどうだ?」


 なぜか王子もベッドの上にいた。ヘッドボードを背もたれにして、のばした足の上に書類の束を置いている。


「すっかり、ぬるくなってしまったな」


 額を冷やしていたタオルは、今は王子の手の中にあった。

 サージャの視線に気がついた王子は、わずかに視線をやわらげる。


「顔色がだいぶマシになった」


 そう言われてみると、まだ頭の芯がぼんやりするものの、頭痛はほとんどおさまっている。


「もう、大丈夫です。ところで、まさか、ずっとここで仕事をしてたんですか?」


 サージャがどうにか半身を起こすと、シーツのそこかしこに置かれた書類がカサカサと音を立てた。広いベッドのはずが、王子が座っている上さらに書類が置かれているため、身動きが取れないくらい隙間がない。


「俺、どのくらい寝てました?」

「二時間ほどだな。そろそろ昼になるが、食べられそうか?」


 サージャが首を横に振ると、王子は手にしていた書類をサイドテーブルに放り投げた。


「少し外の空気を吸うか? バルコニーに席を用意させよう。中庭に面しているが、ちょうど木の影になって、誰の目にもつかないから安心するといい」

「いや、空気を吸うのはいいんですけど……仕事中だったんじゃないですか?」

「今日の仕事はもう終わらせてある。今目を通していたのは明日の分だ」


 どうやら王子は当面デスクワークが中心らしい。

 討伐隊が帰還したばかりだから、次の遠征はしばらくないのかもしれない。


(次の遠征までに浄化が終わってくれれば、体も楽なんだけどなあ)


 自分の体のこととはいえ、いつ体内の浄化が終わるのかサージャ自身も分からない。

 あまりに体内に瘴気をためこみ過ぎると、今度こそサージャの身が持たなくなりそうだ。そうなったら効果が薄いとはいえ、薬を飲んでしのぐしかない。


「あの、それなら神殿の部屋へ荷物を取りに戻ってもいいですか。今みたいな頭痛に効く薬が置いてあるから、取りに行きたいんです」


 すると王子は、書類が雪崩のように落ちるのも構わず、さっさとベッドから飛び降りた。


「いいだろう、私が連れていく」

「いや、戻り方さえ教えてもらえれば、俺ひとりでも……あわわ」


 あっという間に王子に抱き上げられたサージャは、あたふたしながら目の前のシャツにしがみついた。


「待ってよ、目立つからやだってば……」

「では、このベッドシーツをかけるか。視界は悪いだろうが、あちらへ着くまで我慢してくれ」

「わ、わかった」


 まさか、こんなに簡単に神殿へ戻れるとは思わなかった。


(別に、本当の意味で戻れるってわけじゃないけどさ)


 カツカツと響く王子の靴音に耳を傾けながら、シーツの下でため息をつく。下ろしてさえもらえれば自分の足で歩けるのだが、そういえば靴を履いてなかった。不可抗力とはいえ、神殿と王宮を行き来するときは、きまって靴を履き損ねてしまう。これもすべて、王子が強引に抱いて運ぶせいだ。


 やがて神殿に到着すると、少しのざわめきが聞こえたが、足止めされることなく地下へと通じる階段を降りた。


「着いたぞ」


 下ろされたベッドの上でシーツを取りはらうと、見慣れた自分の部屋に胸を撫で下ろした。ここを離れてからまだ二日も経ってないのに、すでに懐かしさすら覚えてしまう。

 さっそくベッドのサイドテーブルを開いて、薬を入れた袋を取り出した。そして少し迷ってから、古い本と数冊のノートを一緒にまとめる。


(そういえば、食べ物はなんか残ってたかな)


 続き部屋にある小さな食料棚をのぞきこむと、使いかけの小麦粉の袋や半分に減った砂糖壺が出てきた。このまま残していったら、おそらく処分されてしまうだろう。

 サージャはあることを思いついて、部屋の入り口に立って腕を組む王子を振り返った。


「少しだけ時間をもらえますか。食材を余らせるともったいないから、簡単なビスケットを焼きたいんです」


 王子はサージャの元にやってくると、食料棚の隣のキッチン台に置かれた小麦粉の袋を見下ろした。


「君は料理をするのか?」

「えっと、少しだけ。おやつとか、簡単なものばかりですけど」


 食事は朝と晩に運ばれるが、昼食は食べたい日だけ自分で用意して食べていた。そのため缶詰をはじめとする保存食や、日持ちする野菜、調味料等も支給されていた。

 特に半年前からは、体のあちこちにアザが出てきたため、事情を知ってる神官たちも気味悪がってあまり部屋に近づこうとしなかった。食事を運ぶ神官は数名いて、当番制で運んでくれるのだが、日によって誰も現れないこともしょっちゅうあった。


「ここで見ていてもいいか」


 どうやら王子は、ビスケットを焼く時間は待ってくれるつもりらしい。

 サージャは別の扉からボールを取り出すと、手際よく粉と砂糖を混ぜ合わせた。油は少しだけ瓶に残っていたので、すべて入れてしっかりと練り込んでいく。耳たぶくらいのかたさになると、今度はトレーを取り出して瓶の底に残った油を塗りこみ、粉をはたいて丸めた生地を等間隔に並べていく。表面にフォークで穴を開けたら、次にストーブの蓋を開いて中をのぞいた。


「あ、よかった、薪が少し残ってた。焼き上がるまで火がもてばいいけど」


 薪に火をつけて、生地を並べたトレーを入れて蓋を閉じる。

 しばらくすると、ビスケットの焼ける香ばしいにおいがストーブから漂ってきた。


「焼きたて、ひとつ食べてみますか?」

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