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第十話 噂の真偽

 神殿を出て二日目の夜。

 昼間のように明るい寝室で、ベッドの端に小さく座ったサージャは途方に暮れていた。


「なんでアンタがここにいるんだよ」

「もう寝なくてはならない時間だからだ。さあ、先に風呂をすませよう」


 サージャの前に立ちはだかるのは、リネンを手にした王子だ。

 上着を脱いだ白いシャツ姿だが、朝に見たそれよりも袖にたくさんのドレープがあって、優美さを感じられるデザインだ。


「……王子殿下こそ、お風呂に入って、お休みになられたらいかがです?」

「先に君を、風呂に入れる。昨日はメイドに手伝わせず、一人で入ったそうだな?」


 返された言葉に、サージャは首をひねった。

 たしかに昨夜は一人で風呂に入ったが、それが、王子が風呂に入るのを手伝うことと、何の関係があるのだろう。


「メイドの世話になりたくないなら、私が世話をすると言ったろう?」

「えっ、ちょっと待てよ。風呂くらい一人で入れるってば」

「君は私の伴侶だ。入浴中に万が一のことがあればどうする?」


 そうは言っても、サージャは持病もなく、これまで大病を患ったこともない健康体だと自負している。今まで生きてきて、風呂の介添の必要性など感じたことなどない。


(まさか、入浴中に命が狙われるわけじゃあるまいし)


 ここは王宮の中でも、最も厳重な警備を敷かれた王族の居住エリアだ。

 心配し過ぎだろ、と笑い飛ばすことは簡単だ。しかし王子がサージャを心配するのは、そんな単純な理屈ではないのだろう。


(俺の顔、また見てる……)


 いまだに左目のアザは濃く、それは視覚的に王子の気分を害するのだろう。

 それにサージャの身に何かあれば、王子にどんな影響があるか知れないのだ。


「……分かりました」

「理解に感謝する。さあこちらへ」


 両手を伸ばされて抱き上げられそうになったので、サージャは急いでベッドから飛び降りると、さっさと浴室の扉へ向かった。


(そこまで世話になりたくねえよ。俺にはちゃんと歩ける足があるんだ)


 王子は黙って手を引くと、サージャの後に続いて浴室へと入った。

 もうここまできたら、あきらめて好きにさせるしかない。


(それにしても、昨日も思ったけど、俺には贅沢すぎる風呂だよな)


 脱衣所はクリーム色の大理石で四方を囲まれ、奥の一角にはいろいろな花をいけた大きな花瓶が飾られていた。涼やかなラタンの間仕切りをはさんで、さらに奥に進むと、広めの洗い場と大人二、三人は入れそうな大きさの浴槽があった。

 湯はすでに用意されていて、脱衣所にもあたたかな湯気がうっすらと漂っていた。


(……なんかこう見られていると、脱ぎにくいな)


 サージャは、王子が腕を組んで見守る中、ノロノロと衣服に手をかけた。

 王子は服を脱ぐところから手伝うつもりだったようだが、そこはキッパリと断った。自分は服の脱ぎ着もできないような小さな子どもではない。

 とうとう下着まで脱ぎ捨てると、サージャは王子の食い入るような視線に気づいて苦笑いを浮かべた。


「……お見苦しい体ですいません」


 肩や横腹に、浄化しきれてないアザが広がっている。

 もう何日も消えず、サージャ自身もうんざりしてたところだ。


「それは、痛むのか?」

「まあ、たまに。でも今は痛くないです」


 大抵は夜中に痛のだが、どうやら浄化するタイミングと関係してるようで、浄化が難航するほど痛みは増した。


 ――その最たるケースが、はじめて浄化を経験したときで、あれは相当つらかった。


 今回は浄化が思うように進まないせいか、日中でも時おり痛んで困ってしまう。

 人目がない地下の部屋ならば、なにも気にせずベッドに伏せって、うなり声も好き勝手にあげられるが、王宮ではでは自由に痛がることも苦しむこともできやしない。ましてや王子が見張っている中なので、痛がる姿なんか見せたら嫌味になるだろうと、できるだけ顔に出ないように我慢していた。


(別に、嫌われてたっていいけど、俺のことでトラウマになったら嫌だもんな)


 自分の存在価値は、王子を瘴気から守ることだ。

 下手に関わって、変な後ろめたさを感じて欲しくない。いや、王宮にきた時点ですでに失敗してる。


 本来ならば、一生顔を合わせることはなかった。『形代』は隠さなくてはならない存在なので、神殿の地下で密かに役目を果たすだけだ。

 会うどころか、存在を気づかれることすら許されない。できる限り相手のことなど、知らないほうがいいと言われた。だからサージャは、王子の絵姿すら見たことなかった。


 ――そんな今の自分は、逆に王子の目にはどのようにうつっているのだろう。


 サージャは落ち着きなく自分の体を見下ろす。瘴気の穢れはいまだ浄化しきれず、その痕跡が体のあちこちに、はっきりと刻まれている。

 なさけない『形代』だと、己の不甲斐なさにみじめな気持ちになってしまう。


「やっぱり、自分で洗います。気味が悪いでしょう、こんなの」

「そんなことはない。それと、そのようにかしこまった態度も必要もない。君は私の伴侶だからな」

「いえ、そのようなわけには」

「その口調もやめてくれ。先ほどのように、くだけた口調がいい」


 思いのほかやわらかな声音に、サージャの心臓がはねた。

 顔を合わせてからまだ二日しか経ってなくても、王子のサージャに対する、哀れみとも労りともつかない感情は真っ直ぐ伝わっていた。


 同情は時として、ひどく人を傷つけるかもしれないのに、王子はためらいなく気持ちを向けてくる。

 そしてそれは、サージャを嫌な気持ちにはさせなかった。


「この椅子に座るといい。湯は熱すぎないか?」

「うん……大丈夫」


 やわらかなタオルで背中をこすられ、温かい湯をかけられた。

 王子に背中を流してもらうなど、不敬な気もするが、王子の伝家の宝刀『伴侶だから』のひと言で、すべて不問にされてしまう。


(もういいや、ここには他の誰の目もないんだし。あー、気持ちいいなあ……力加減が絶妙)


 あまりの気持ちよさにうっとりしていたら、気がつくと頭のてっぺんから足の先まで洗われていた。大きな手はひたすらやさしく、前を洗われても嫌らしさも感じられず、なんとも不思議な気持ちだった。


 首まで湯に浸かるよう言われて、そろりと湯船に体を沈めると、背中から髪の毛をすくい上げるようにまとめられた。

 その手つきは、あたかも大切で壊れやすいものを扱うようで、不本意にもドキドキしてしまった。


「綺麗な髪だな、まるで真珠のようだ」

「しんじゅ?」

「ああ。海の中で生まれる宝石だ。貝の中で長い時を経て、少しずつ大きく育っていくんだ。そして丸くて美しい、白い粒になる」


 サージャは肩をすくめた。浄化に時間をかけ過ぎた『罰』のように思えたこの色が、王子の手の中では海の宝石に変化するのか。

 サージャは皮肉な笑みがこみあげてきた。


「……すまない、君にとっては不本意だったはずだ。無神経なことを言った」

「かまわないよ。なんとも思ってないから……こんな髪」


 切ってしまおうか。

 しかし短くすると、目のアザが丸見えになってしまう。


「神殿のみんなは、気味悪がってたみたいだけどね。触ると瘴気がうつるって噂を立てられたよ」

「噂は嘘だろう」

「なんでそう言い切れんの」


 嘘の真偽はサージャすら分からないのに。

 噂で気味悪がられ、気味が悪いから噂はますます広がった。


 一番親しくしていた神官すら、ある時からサージャを避けるようになった。

 当時はショックだったし、悲しくもあったが、今なら理解できる。白い髪に黒いアザを気味悪がるのは、不思議でもなんでもない。


 ふと、髪を指でやさしく梳かれる感触がした。


「私はこうして触れても、なんともない。だから噂は嘘だな」


 その言葉に、サージャは不覚にも涙が出そうになった――でもメソメソ泣いてる姿なんて絶対に見せたくない。


「それは俺が、アンタの『形代』だからかもしれないよ?」


 サージャは王子の手をそっと払いのけると、濡れた髪をかきあげて湯船を出た。

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