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第十一話 終わりの見える苦しみ

 その夜サージャは、喉の乾きを感じて目を覚ました。


(熱い……)


 左目が燃えるように熱い。

 ああいつもの発作か、と固く目を閉じてやり過ごそうとする。


 この半年ほどの間、よく夜中にこんな発作が起きた。瘴気を吸った体の部位が熱くなり過ぎると、焼けるような痛みへと変化する。

 眠りを妨げられるので、ただでさえ落ちている体力が、ますます削られてしまう。


 しかし神殿の地下は、暗くて静かで、人目が無いから安心できた。

 どうせ治癒魔法は効かないからと、神官たちも安心して放置してくれる。サージャにかまわなくても、誰も責任を取る必要はなかった。だから仮に、たまたま通りかかった誰かが、地下から漏れるうめき声を偶然耳にしても、駆けつける必要もなければ助けを呼ぶ義務もなかった。


 ――誰にも、どうしようもできないのだから。


(でも王宮だって、同じだよな)


 王宮にいる治癒師は、神殿の治癒師と変わらない。

 誰に診てもらっても困らせてしまうだけだ。だから放っておくしかない。


 ――ならば少しくらいなら、声をあげても大丈夫だろうか。


 でもここは神殿の地下ではない。サージャがうめき声をあげたら、誰かが駆けつけてしまうかもしれない。

 そう考えながら無意識に口元をおおっていた両手に、あたたかな手が重なった。


「痛むか」


 薄く両目を開くと、緑の双眸が間近にあって息をのんだ。


「アンタ、いつから……」


 いつからここにいたのだろう。

 もしや寝てるときに、うっかり声をあげてしまったのか。


「落ち着いて、ゆっくり息を吸って吐くんだ……そう、いい子だ」

「は、はっ……なんで、ここに、いるの?」


 食いしばった歯の隙間から、塩からい味がした。額やこめかみからこぼれ落ちた汗が、唇の隙間から流れこむ。その不快さに顔をしかめると、大きな影が視界をさえぎって、次にやわらかな布が額に当てられた。


「君の苦しみを、私が変わってやれたら、いいのだが」

「……やめといたほうが、いいよ」


 切れ切れの言葉に重なるように、王子の吐息が暗闇に溶けていく。


「君だけ苦しむのは不公平だ」


 顔の汗をぬぐわれ、ややホッとしたところで、こめかみに湿った感触がした。小さくはねるような水音に、サージャの頬が熱くなる。


(また、だ)


 キスに見せかけて、治癒魔法を使っている。今朝も同じことをされたから、すぐに気づいた。


(治癒魔法は効かないって言ったのに)


 それでも使うのは、気がすまないからだろう。

 やはり罪悪感があるのだ。きっとサージャばかり苦しんでる姿を見て、無駄だと分かっていても、使わずにいられないのだ。


 サージャが大人しくしていたら、王子は大胆にも唇を、こめかみから額へとすべらせていった。もはや隠すことなく治癒魔法をかけている。

 ジワリとしみこむそれは、痛みをわずかにやわらげてくれるようで、サージャは少しだけ驚いた。例の薬以外、効かないと思っていたからだ。


(ただの思いこみ、かな……?)


 王子の唇を通して流れてくる治癒魔法は、くすぐったいくらい控えめで静かで、抵抗感なく皮膚からしみこんでいった。

 こんなふうに労わるような魔力は、はじめて経験した。

 それというのも、これまで受けたことのある治癒師の魔法は、どれも強引な力で抑えつけようとする感じがしたから。


「眠れそうか?」

「うん……」


 フワフワと包まれるような魔力に身をまかせたサージャは、いつの間にか眠りに落ちていた。




 目が覚めると、寝室には誰もいなかった。


「お目覚めですか」


 昨日と同じように、サージャが起きるのを見計らったようにメイドがやってきた。タオルを受け取って浴室へと向かう。

 洗面台で手早く顔を洗い、濡れた顔を上げると、正面の鏡の中の人物が驚愕のあまり目を見開いた。


(えっ、待って、嘘だろ。こんなことって……)


 見間違えかと、あわててタオルを顔にあてて乱暴に水をふきとり、もう一度鏡をのぞきこむ。

 前髪をかき上げて、むき出しになった左目周辺の、額やこめかみに広がるアザの一部が、まだらに薄くなっていた。濃い部分はあいかわらず真っ黒だが、薄くなった部分は緑色を帯びていて――蔦のような形と相まって、まるで植物のようだ。


(なに、この色! はじめてだ、こんなの)


 いつもならば、浄化が進んでアザが薄くなってくると、淡い紫色に変色する。その色合いがまるで打ち身のケガのようで、食事を運んでくる神官たちは、時に気の毒そうに、また時に気味悪そうにながめていたものだ。


 サージャ自身も、治りかけのアザを見るのは好きではなかった。

 アザというより、むしろ自分の顔自体を見るのが嫌になっていた。陽の光を浴びない顔色は白く冴えなくて、不健康そうでなさけなかった。

 そして特に、すっかり色の抜けた紫色の瞳は、ちょうど治りかけのアザのようで嫌いだった。


(まてよ、瞳の色……?)


 まだらに薄くなっている部分は、緑に変色している。その色は、昨夜サージャを見つめていた王子の瞳を彷彿とさせた。


(まさか、アイツの治癒魔法のせいなのか?)


 サージャは改めて、額とこめかみのアザを、念入りに観察した。緑がかっている部分は、主に髪の生え際やこめかみ部分で、前髪を下ろしてしまえば隠れてしまう位置だった。


(これは……アイツに見つからないようにしないと)


 もし王子がこの状態に気づいたら、きっと完全に回復するまで、自らの治癒魔法を使おうとするに違いない。

 それだけではすまずに、この先ずっとサージャがうまく浄化できないたびに、助けようとするだろう。


 ――やがて『形代』としての存在価値はなくなる。


 遠い昔に告げられた言葉が脳裏をよぎり、サージャは洗面台についた手をグッと握りしめた。

 存在価値がなくなるのは、別にかまわない。ただ『形代』は不要だったとか、過去の自分を否定されるのは嫌だが、ここから先は『消耗』する一方だと分かっているから、今後は不要だと言われても、しかたないと納得できる。


 まだ『形代』になって間もないころ、術師に教わったことのひとつが『消耗』についてだった。


 ――お前はいつか枯渇する。『形代』は消耗品だ。


 枯渇の兆しは、もう見えていた。浄化の遅さがなによりの証拠だろう。

 しかし王子の治癒魔法が『効いて』しまったら、役目を終える日が遠くなってしまうかもしれない。


(そんなの、困る……)


 サージャは、いつしか自分が『消耗』して、神殿を立ち去る日を待ち望んでいた。

 あの薄明るい地下の部屋で、自由に太陽の下も歩けず、与えられた食料を食べて、それでも耐えてこれたのは、終わりを示されたから。


 終わりの見える苦しみには、どこか目標じみた意味があって、これまでずっとおだやかな気持ちで走ってこれた。


「サージャ様、大丈夫ですか」


 ノックの音でサージャは我に返った。

 扉の外からメイドのうかがうような声が聞こえる。急いで浴室を出ると、扉の前にはホッとした表情を浮かべるメイドと、なぜかそのすぐ後ろに王子の姿があった。


「どうした。なにがあった」

「えっ、別に何も?」


 サージャは手櫛で前髪を整えると、平然を装って首をかしげてみせた。


「もう朝ごはん?」

「ああ」

「なんか王宮に来てから、食べてばっかいるような気がするなあ」


 軽口に笑顔はやりすぎだったかもしれない。聡い王子は、問うような視線をサージャに向けた。

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