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第十三話 真珠色の髪

 ディランは午前中の仕事を終えると、真っ直ぐサージャの部屋へと向かった。一刻も早く、彼と話す必要があると思ったからだ。


 途中、渡り廊下から見える中庭は、昨夜の雨に打たれた常緑樹が、玉のような水滴をまとってみずみずしく輝いている。その白く光る丸い粒は、サージャの髪の色を彷彿とさせた。


 ディランが無神経にも『真珠のようだ』と賞賛した件について、サージャは怒らなかった。

 彼の髪色はもともと濃い色だったが、ディランの『形代』をつとめたせいで、その色を失ってしまったのだ……たとえディランが美しいと感じても、本人にとって忌まわしい記憶ならば、触れてはいけない部分だったと反省する。


(それに、あのアザだって……)


 サージャは顔だけではなく、体のいたるところにアザがあった。蔦模様の黒いそれは、ディランから見ると神秘的に映った。


 ディランは幼いころ教育の一貫として、国が管理する美術館へ連れていかれたことがあった。

 そこで観た数々の素晴らしい絵画の中で、特に印象的だった作品のひとつが『神への舞』という題名の絵だった。たしかアンクラン出身の画家の作品で、神官が神に捧げる舞を踊る様子が描かれていた。

 その神官の体には蔦模様があって、子どもながらに不思議な化粧だと思った。


(あれが化粧でも刺青でもなく、瘴気によるアザだったとは、な)


 はじめてサージャのアザをみたとき、ディランはなせが既視感を覚えた。そして『形代』の解術について調べを進めているうちに、幼いころの記憶が蘇ってきて、ようやくどこで見たか思い出した。

 するとあの絵画の神官は、間違いなくリトアギルの神官だろう。そしてその絵を描いた作者が、アンクラン出身という点が意味深だ。


 アンクラン側に、サージャの存在を知られるのは危険だ。

 知られたら、確実に狙われるだろう。彼らが過去に犯した過ちを、もう二度とくり返さないという保証はない。


(彼を奪われるわけにはいかない。たとえ『形代』を解術しても――)


 ディランは廊下の途中で立ち止まった。

 もし彼が『形代』ではなくなったら?

 ディランとの繋がりから解放させれて、何者にも縛られなくなったら?


(もし彼が、再び何者かに利用されそうになったら……私が全力で阻止する。そのためにも、私は彼から離れない)


 ディランは、剣を持つほうの手をギュッと握りしめると、視界にうつる雨粒のきらめきに目を細めた。




 サージャは窓辺によりかかって、中庭をぼんやりとながめていた。


(退屈、ではないけど……)


 応接間の片隅にはたくさんの本をはじめ、ひとりでも遊べるゲームが、山と積まれている。どれもサージャが退屈しないようにと、用意されたものだ。


 その中でも、サージャが特に気に入っているのは、絵の道具一式だ。箱に詰められた色とりどりの水彩絵の具に、数種類の絵筆、束で用意された真っ白な画用紙は、サージャの目には贅沢品としてうつった。


(外に出たら、もっといろんなものが描けるかも)


 ディランの言いつけで、王宮にきてからずっとこの部屋を一歩も出てない。

 寝室と、この続き部屋は、ひとりで使うには広すぎる。なにより大きな窓があるせいで、神殿の地下にある部屋より明るく、落ち着かなかった。


「気分はどうだ」


 王子がやってきた。

 開口一番にサージャの体調を気づかう。


「いつも通りだよ」


 サージャの返事に、王子は表情を曇らせた。

 つまり浄化は進んでないと理解したようだ。王子の理解は、残念ながら間違ってはいない。


「食欲は? 昼は食べられそうか」

「食べるよ。特に浄化してるときは、体力必要なんだ」


 するとホッとした表情を向けられた。

 王子は感情がすぐ顔に出るので、とても分かりやすい。


(はじめて会ったときは、ほとんど無表情だったのにな)


 サージャの前では、取りつくろうことをやめたのかもしれない。それは気を許してくれたようで、少しうれしかった。


「食べたら移動だ」

「は? どこへ?」

「私の部屋だ。そこのほうが人目を避けられる上、警備もここより厳重にできる」

「ここより厳重って……なんかあるの?」


 サージャは部屋を見回した。奥のテーブルではメイドが昼食の用意中で、カトラリーを並べていたが、王子の言葉に手を止めると、次の指示を待ってる様子だ。また薄く開いた扉の向こうには、兵士が数人控えているのが見えた。


「ここで悠長に食事をとってる場合ではないな……それは私の部屋に運んでくれ」

「かしこまりました」


 ディランの命令に、メイドはすばやくテーブルセットを片付けてしまうと、運んできた食事のワゴンとともに、さっさと部屋を出ていってしまった。


「さあ、君も。なにか持っていきたいものはあるか? ああこの絵は私が運ぼう」


 ディランの手が、サージャの描きかけの水彩画に伸ばされた。


「待てってば。なんで部屋を移らなくちゃなんないの」

「君には、より安全な場所にいてもらいたいだけだ」

「別に、行かないって言ってるわけじゃないよ。理由を教えてほしいんだってば」


 サージャの訴えに、ディランの伸ばされかけた手が下ろされた。


「……アンクランの使者が王宮に滞在してる。彼らには、君について極力知られたくない」

「アンクランの?」


 サージャは、アンクランという国に対して、あまり良い印象を持ってなかった。なぜなら昔読んだ歴史書に、リトアギルの使役について書かれていたからだ。

 これまできちんと調べたことはないし、調べる術もなかったが、サージャは自分にリトアギルの血が混ざっているのではないかと感じていた。

 その根拠は、リトアギルの民だけが持つと言われる浄化の能力とその方法が、自分の能力と酷似している点だ。神殿の古書には、リトアギルについていろいろ詳しく書かれていたが、一部難しすぎて、最後まで読めなかった覚えがある。


「アンクランに捕まるくらいなら、神殿の地下へ戻るよ」

「神殿なんて、彼らが一番に目をつける場所だ」

「だからって、アンタの部屋に隠れるなんておかしいよ」

「おかしくないだろう。君は私の伴侶だ」

「それは便宜上だろ? どうせ術が解けなくても、いずれ王宮を出ることになるんだから……っ!」


 大きな手がサージャの手首を強くつかんだと思ったら、体が触れ合うほど互いの距離が近づいた。


「君は、私の命が尽きるまでずっと、私の伴侶だ」

「アンタの命が……じゃあいなくなったあとは?」

「そのときは君を解放するしかない。もう君のそばにいられないのだから。しかし私が生きているうちに、君の安全を確保できる場所を王宮内に用意するから、安心するといい」


 サージャはあきれはてて、ディランの真剣な顔を見上げた。

 この男は、生きてても死んでても、サージャを囲いこむつもりだ。自分で言ってて、その言葉の矛盾に気づかないのだろうか。


「もし君が、どうしても神殿の地下にいたいのならば、私もそこについていくしかない」

「えっ、いや冗談だろ?」

「この非常事態に、私は冗談など言わない。さっそくベッドを、もうひとつ運び入れるよう手配しよう。それからクローゼットと、身の回りのものは取り急ぎまとめて……」

「わ、わかったから! 俺がアンタの部屋に行けばいいんだろ?」


 ディランは小さく吐息を漏らした。その表情はどこかうれしそうで、サージャは落ち着きなく髪をかき上げる。


「……それはどうした」

「えっ」


 ディランの指が、サージャの前髪をそっとかき分けた。


「アザが薄くなってる……いや、色が変わったのか? なぜ、こんな……」


 そのときサージャは、しまったとばかり体を引いたものの、すでに遅かった。


(見られた……)

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